公爵も俊足でした
田舎で鍛えた脚力を存分に活かして、エルナはレッスン部屋に駆け込んだ。
扉を閉めると、肩で息をする。
走って疲れたからではないと、自分でもわかっていた。
「な、何を言うのかと思えば……」
思い出しても叫びたくなる。
「他の人に見せたくないって……それじゃ、まるで自分は見たいと言ってるようなものじゃありませんか」
「――そうだと思いますわよ」
「ぎゃー!」
突然背後からかけられた言葉に、エルナは思わず叫ぶ。
びくびくしながら見れば、扉を開けてペルレが入ってくるところだった。
「王女……いえ、ザクレス公爵」
「ペルレでよろしいわ。いずれ姉妹になるのですから」
「では、ペルレ様。……あの、何か御用ですか?」
エルナとしては卑猥なワンピースをさっさと着替えたいし、落ち着かないから家に帰りたい。
モヤモヤ解消を兼ねて、今日は走って帰ろう。
そこまで考えて、ふと疑問が生まれる。
「あの、ペルレ様。私、ここまで結構な速度で走ったと思うのですが」
何故、間を置かずにここにいるのだろう。
すると、ペルレは大きくうなずいた。
「ええ、確かに速かったですわ。わたくしも、危うく見失いかけました」
いや、おかしい。
田舎貴族のエルナが俊足なのはありだとして、生粋の王女様が何故それについてこれるのだ。
すると、ペルレはくすりと笑った。
「わたくし、昔は女騎士に憧れていましたの。騎士になるべく、体力づくりに励んだこともありますのよ。普段はさすがに走ったりしませんから、久しぶりで楽しかったですわ」
それはまた、随分とやんちゃな王女である。
ということは、以前王都で案内をした時はわざとゆっくり歩いていたのか。
確かにこの気品あふれる美貌で俊足では、周りの気持ちが追い付かない。
是非とも、優雅にゆっくりと歩いていてほしい。
「そ、それで、私に何か御用でしょうか」
「あなたに、お詫びをしなくてはと思いまして」
「お詫びですか?」
「わたくしの母、ビアンカ側妃が大変失礼を致しました。兄共々、あなたに迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思います」
深々と礼をするペルレを見て、エルナは慌てる。
「い、いえ。ペルレ様は何も悪くありません」
「そう言っていただけると、ありがたいですわ」
にこりと花のように笑うペルレに、エルナは少し癒された気持ちになる。
これが、生まれついての気品というものなのかもしれない。
「それと、あなたに挨拶もしたかったのです」
「私にですか?」
「ええ。結果的に私と兄は、弟に王族の責務を押し付ける形になりましたから。弟のことは心配していたのです。でも、良き伴侶を見つけたようで、安心しましたわ」
「良き伴侶って……」
卑猥なワンピースを着た良き伴侶がいていいのだろうか。
思わず上着越しにワンピースを見ると、ペルレが笑う。
「グラナートが感情をあらわにしているのを、久しぶりに見ました。あなたのおかげでしょうね。……妃教育のことは心配いりませんわ。アデリナさんはミーゼス公爵家の地獄のレッスンを、幼少期からこなしています。並の講師では、あの子に勝てません」
「それ、もうアデリナ様が王太子妃で良いのでは……」
家柄に美貌に教養に、おまけにボディも完璧だ。
良き伴侶というのは、アデリナのような淑やかな令嬢のことを言うのではないだろうか。
少なくとも、卑猥なワンピースで踊る女は違う気がする。
「お飾りでしたら、それが良いのかもしれませんわね」
「お飾り、ですか?」
ペルレは首を傾げるエルナに近付くと、上着の前身頃をはだけさせた。
「な、何を!」
「あら、確かに随分短い丈ですわね。……でも、アデリナさんがこれを着たら、どうなると思いまして?」
アデリナが、この体のラインに沿った、短い丈の卑猥なワンピースを着たら。
「――大変にけしからん色気で、悩殺できると思います」
即答したエルナに、ペルレが笑う。
「そういうことではありませんのよ。グラナートがどう反応するか、ということですわ」
グラナートがアデリナの卑猥なワンピース姿を見たら。
「――大変にけしからん色気で、悩殺できると思います」
やはり即答したエルナに、ペルレは更に笑う。
「あなたはそう思うのね」
あなたはも何も、大抵の男性は悩殺されると思う。
何なら、女性だってちょっと見てしまう。
少なくとも、エルナなら見る。
「わたくしは、そうは思いませんわ。驚きはするでしょうけど、諫めて終わりじゃないかしら。……少なくとも、他の人に見せたくないなんて、言わないと思いますわ」
どうやら、グラナートの小声はばっちり聞かれていたらしい。
改めて言われると、やはり恥ずかしい。
「グラナートは母親を早くに亡くして、命を狙われてきました。目立ちすぎないように、周囲に関わりすぎないように、絵に描いたような大人しい王子になりました。それが、あなたの事ではあれだけ感情を出している。わたくしは、それが嬉しいのですわ」
エルナの手を取ると、ペルレは微笑む。
「エルナさん。グラナートをよろしくお願いいたしますわね」
「――ところで」
「は、はい」
「エルナ・ノイマンという名前ですわね? もしかして、レオンハルト・ノイマン様の親類か何かですの?」
「レオンハルトは私の兄ですが」
「あの、剣豪・瑠璃の、レオンハルト様ですわね?」
「そんな風に呼ばれているらしいですね。そのレオンハルトだと思います」
「――まあ! まさか、本当にレオンハルト様の縁者だったなんて」
矢継ぎ早に質問をしたペルレは声を上げると、輝く瞳でエルナの手を握りしめた。
「でも、何故ペルレ様が兄を知っているのですか?」
「知っているというよりも、ファンなのです。剣術大会で見かけた剣豪・瑠璃の勇姿は、いまだに忘れられませんわ」
「ファン……ですか」
そういえば、魔鉱石爆弾の一件でレオンハルトと共に行動した時、近衛兵も沸き立っていた。
ゾフィもその筋では伝説の人とか言っていたし、どうやら知名度は高いらしい。
女騎士に憧れて体力づくりをするくらいだから、ペルレは剣術にも興味があったのだろう。
「意外な縁もあるんですね。……機会があれば、兄をご紹介しますね」
「まあ、よろしいの? 楽しみにしていますわ」
日本で言う、甲子園出場校のファンみたいなものだろうか。
兄を褒められて悪い気はしない。
エルナは手を握って喜ぶペルレに、笑って応えた。










