公爵令嬢の逆鱗に触れました
「これは、どういうことですの!」
王宮の一室に、アデリナの声が響き渡る。
今日もいつものように妃教育を受けていたエルナだが、偶然通りかかったらしいアデリナが顔色を変えて叫んだ。
「アデリナ様、どうしたんですか?」
黄玉の瞳に怒りが浮かんでいる。
美人は怒っても美しいが、そもそも何故怒っているのだろう。
「どうもこうもありませんわ。エルナさん、その恰好は何です?」
「え?」
今日はダンスのレッスンだったのだが、エルナに用意されたのはこのワンピースだった。
黒のワンピースは体に沿ったシンプルな作りで、膝が見えるくらいの丈だ。
「何って、ダンスの練習用の服なんですよね? これ」
この世界では珍しい短さだなと思ったが、日本の記憶があるのでこの程度の丈に抵抗などない。
それに、ダンスの足運びを確認するにはちょうど良さそうだった。
コルセットをぎゅうぎゅうに締め付けたドレスよりも、動きやすくてありがたいくらいだ。
だが、何かがアデリナの逆鱗に触れたらしい。
「ダンスの、練習用?」
アデリナが講師陣を睨みつける。
ダンスの講師二人に加え、この後の講義のためにツンデレ熟女講師も見学していた。
「ダンスを教えるのに、この服を着る必要がありますの?」
「そ、それは……」
「大体何ですかこのデザインは。妃教育に使うとは思えない品のなさです。質も悪いですわ」
「これは、その」
「これでダンスをすれば、どうなると思っていますの?」
「ミーゼス様、話を」
「おだまりなさい!」
うろたえる講師を、アデリナは一喝した。
「――仮にも王太子妃に。ゆくゆくは王妃になろうという女性に、何てことをしているのですか!」
アデリナは叫ぶと、その勢いのままエルナの手を掴んで部屋を出る。
「アデリナ様? どこに行くんですか?」
「殿下にご報告します。こんなの、許せませんわ」
アデリナが怒っているのはわかるのだが、原因がいまいち理解できない。
どうやらワンピースが気に入らないようだが、そんなに変なのだろうか。
だが、怒り心頭のアデリナに話しかける隙はなく、エルナは大人しくついて行くしかなかった。
「殿下! ご覧になってくださいませ!」
グラナートの執務室の扉を勢いよく開けると、ずんずんと中に入っていく。
「アデリナさん? と、エルナさ――」
テオドールと共に何か書類を見ていたグラナートの手が止まる。
アデリナに連れられて二人の前まで行けば、驚愕の二文字が相応しい顔で固まっていた。
「どう思われますか、この格好!」
何だか凄い勢いで話しているが、つまりこのワンピース姿を見せたかったという事だろうか。
「……そんなに、珍しいんですか? これ」
不思議になって裾をつまんで見てみるが、ごく普通の服に見える。
「エ、エルナさん!」
「あなた、何てことを!」
「エルナ、待て!」
三人同時に叫ばれ、アデリナとテオドールに手ごと裾を押さえられる。
「……何なんですか? 一体」
訝し気なエルナに、三人は一斉に深いため息をついた。
「とりあえず、これを着ていてください」
そう言ってグラナートが丈の長い上着をエルナの肩にかける。
心なしか顔が赤いが、熱でもあるのだろうか。
「別に寒くありませんけど」
「――着ていてください」
「……はい」
有無を言わせぬ何かを感じて、うなずく。
「……それで、何故こんな格好を?」
「何故って。ダンスのレッスンをしていただけですよ?」
グラナートに着せられた上着は大きいので、手先が出ない。
「レッスン?」
エルナの返答に、グラナートが眉をひそめる。
軽く腕まくりしてみるが、何も引っかかるものがないので袖は元に戻る。
手が使いづらくて、邪魔だ。
この上着、必要なのだろうか。
「このワンピースが用意されたということですか?」
「はい」
今度こそ、グラナートの表情が目に見えて険しくなった。
「わたくしが通りかかった時には、この格好でダンスをしていましたの。わたくし、目を疑いましたわ」
「この格好で、ダンスを」
気のせいか、グラナートから冷気を感じる。
よくわからないが、何か気に入らないことでもあるのだろうか。
上着まで着せられたが、見たくないくらい、このワンピースは似合っていないということか。
少し落ち込むエルナの横で、グラナートの冷えた声が響いた。
「――講師を呼んでください」
呼ばれた講師は三人。
ダンスを教える男性と女性に、主に歴史と外交を教える講師だ。
エルナの中ではそれぞれ、熱血ダンスさん、こだわりダンスさん、ツンデレ歴史さんと呼んでいる。
この他にも、大声マナーさんやコルセットマニアさんなど、何人も講師がいる。
それが全て一流の講師だというのだから、妃教育はやはり凄い。
「……何故呼ばれたのか、わかりますね」
挨拶も前置きもなくグラナートが切り出すと、熱血さんとこだわりさんが明らかに顔色を変えた。
「殿下、これはちょっとした行き違いで」
「そうです。ノイマン様が練習用のドレスをお持ちでないと仰ったので」
聞かれた覚えはないが、練習用のドレスとはいかなるものだろう。
邪魔な飾りはなく動きやすいという事だろうか。
エルナの脳内にジャージ素材のドレスが浮かぶ。
それは確かに持っていなかった。
「それで、あのワンピースを用意したのですか」
「そ、それは」
「エルナ・ノイマン子爵令嬢は、わたしの妃となる女性。それはわかっているのですか」
「王太子妃候補のおひとりであることは、もちろんわかって」
「――ならば、王太子であるわたしに対する侮辱でもあると、わかっているはず」
熱血さんとこだわりさんの言葉を遮り、グラナートが声をあげる。
静かではあるが強い口調に、講師達が震える。
「……ダンスの講師は解任する。すぐに王宮から出なさい」
「そ、そんな」
縋るように何かを言いかけた熱血さんに構わず、グラナートは端のツンデレさんに目を向ける。
「あなたは歴史と外交の講師だそうですが」
「は、はい」
「あなたは、どうですか」
よくわからないが、熱血さんとこだわりさんは解雇されたようだ。
という事は、今はツンデレさんの勤務内容をチェックしているのだろう。
ここは、面倒くさいけど深い考えのツンデレさんを擁護しなくては。
「大丈夫ですよ、殿下。私の知らなかった暗黙のルールも教えていただきましたし、授業もわかりやすいですし」
「暗黙のルール?」
「予習するよう指定された内容だけでは駄目なんですよね? 私は田舎貴族なので知らなくて。なので、今は指定された先の先の裏まで予習するようにしています。先生のおかげです」
バッチリ勤務態度を評価したはずなのに、ツンデレさんの顔色が青くなっているのは何故だろう。
「……それは、わたしも知らないルールですね」
「で、殿下、それは。その、ノイマン様が予習を怠っていましたので」
「いい加減になさいませ。エルナさんは指定された内容を予習していたのでしょう? とんだ言いがかりではありませんか」
それまで黙っていたアデリナに、ツンデレさんが首を振る。
「あの程度で予習をしたなどと。……それに、王太子妃候補の筆頭であるミーゼス様には関係のない話ではありませんか。ノイマン様が脱落した方が、都合がよろしいのでは?」
ツンデレさんの言葉に、アデリナの何かが切れた音が聞こえた。









