番外編 テオドール・ノイマン 3
「――あの、ひとめぼれって、信じてくださる?」
銅の髪に黄玉の瞳。
美しい令嬢の、突然の言葉だった。
何のことだか理解できずにいるテオドールと、同じく驚きの表情で固まるグラナート。
「ご、ごめんなさい。失礼いたしますわ!」
彼女は慌てて礼をすると、その場から立ち去っていく。
ふわりと甘い香りがテオドールの鼻をくすぐった。
母と国王の命でグラナート第二王子の護衛について、ひと月になる。
テオ・ベルクマンという偽名で、髪も紅に染めているが、ようやくそれにも慣れてきた。
護衛をしていると、ごく稀に黒曜石の瞳に虹色の光が浮かぶことがある。
呪いの魔法を帯びているからか、単純に反撃が発動したからかはよくわからない。
勿論、テオドール自身には見えないので、グラナートに指摘される。
これが、最初は大変だった。
テオドールが虹の聖女である母ユリアから受け継いだ聖なる魔力は、それほど強くない。
瞳に虹色の光が浮かぶのも、一瞬だとユリアに言われている。
だが一瞬とはいえ、そんなことは普通は起きない。
訝しがるグラナートに、『魔力を使いすぎると、瞳の色素が抜けて白っぽくなるので、一瞬輝いたように見える』と嘘八百の説明をした。
グラナートがじっくりと瞳を覗き込むことはなかったし、実際に一瞬のことなので何とか信じてもらえた。
気味が悪いと忌避された過去があるので、もし見かけたら教えてほしいとも頼んでいる。
これ以上、虹の光を他人に見せないための方便も、グラナートは信じて実行してくれる。
何とも律儀な王子様だ。
「……上流のお嬢様ともなると、発言一つとっても下々には理解できないものですね」
ひと段落してグラナートの私室で紅茶を飲むと、テオドールは呟いた。
謎のひとめぼれ発言をしたのは、アデリナ・ミーゼス公爵令嬢らしい。
ミーゼス公爵と言えば、ザクレス公爵と並ぶ大貴族だ。
相当なお嬢様だという事は、テオドールにもわかった。
「さっきのは、殿下に好意を伝えているんですか?」
「アデリナさんとは昔から知り合いです。今更、何をひとめぼれするんですか。……さっきのは、テオに向かって言ったんでしょう」
「俺? まさか」
あんな美少女にひとめぼれされる要素など、テオドールにはない。
それこそ、グラナートのように見目麗しい王子様なら理解できるのだが。
「まあ、アデリナさんとはこれからも時々会うことになりますから、仲良くしてくださいね」
仲良くと言われてもテオドールはただの護衛で、あちらは公爵令嬢なのだから、特に話すこともないと思うのだが。
********
「ねえ、テオドール。ちょっと聞きたいんだけど」
母ユリアの声に、テオドールは眉をひそめた。
ノイマン領に帰省して、テオドールは疲労が溜まっている。
まずは妹のエルナから、渾身の一発をくらった。
エルナは気付いていなかったみたいだが、聖なる魔力のおまけつきだ。
テオドールへの不満の清算だったので、ごっそりと体力を削られた。
仕方ないとはいえ、つらい。
次に、羊の皮を被った兵器である兄、レオンハルトの剣の稽古が始まった。
相手は人間ではない、兵器だ。
全身が汗でずぶ濡れになる稽古で、ごっそりと体力を削られた。
これでもグラナートが一緒だったので加減されているのだから、レオンハルトのいる家には本当に帰りたくない。
そこに、ユリアである。
相も変わらず、聖なる威圧光線を放つ母に、既にテオドールは疲労を感じていた。
「聞きたいって、何を?」
「聖なる魔力で浮かされる話、前にしたんだけど覚えてる?」
「……ああ。昔、魔物の討伐でレオン兄さんが暴走したやつ?」
ノイマン領は山がちで、他の地域と比べると魔物も比較的多い。
領民やエルナはほとんど見たこともないだろうが、それはユリアを筆頭とする魔物討伐隊が活躍しているからだ。
正直、ユリアを野に放っておけばそれで事足りる気はするが、さすがに領主の妻に放浪の討伐旅をさせるわけにもいかない。
男手はあって困らないし剣の稽古にもなるからと、レオンハルトとテオドールはよく一緒に連れていかれた。
ある時、ユリアの黒曜石の瞳に、虹色の光が浮かんだ。
魔物の一体が、毒のようなものを吐き出したせいだったと思う。
その場にいたのは、ユリアと息子二人だけ。
二人は初めてユリアが聖なる魔力を使うところを見た。
自分の瞳の色は見えないので、虹色の光というのは綺麗なものだなとテオドールは感心していた。
だが、隣のレオンハルトは急に動かなくなったかと思うと、突然声を上げた。
「俺、母さんに負けない剣豪になる!」
そう言うなり、魔物の群れに突っ込んでいった。
剣の腕前はおかしいが普段は穏やかな兄の行動に、テオドールは目を疑った。
一帯の魔物を綺麗さっぱり倒し尽くしたレオンハルトに、ユリアは微笑んだ。
「それなら、王都の剣術大会に出るといいわ。最近、騎士がたるんでいるから、叩きのめしてきなさい」
そして、レオンハルトは伝説の人になった。
「それよ。テオドールは聖なる魔力を持っているから平気みたいだけど、男性は浮かされちゃうのよね」
「浮かされるっていうか、レオン兄さんは暴走していたけどな」
「それでね、逆はどうなのか知らなかったから、聞いてみようと思って」
「逆?」
「テオドールが聖なる魔力を使って、王子は何かおかしなこと言ったりした?」
「いや、別に」
何度か聖なる魔力を使っているはずだが、特に変わった様子は見られない。
「性別が逆だから、効果も逆かしら。それじゃあ、女性はどうだった?」
「女性って……護衛任務で聖なる魔力を使うのに、周囲に女性がいることなんて」
『――あの、ひとめぼれって、信じてくださる?』
銅の髪の令嬢の言葉が脳裏に浮かぶ。
「……あれが、そうなのか?」
「あら、なにかあるの?」
興味津々のユリアに、テオドールはため息をついた。
「なんか、ひとめぼれがどうとか言われたことがある。あれは、浮かされて心にもないことを口走っていたわけか」
深窓の公爵令嬢がおかしなことを言うと思っていたが、聖なる魔力のせいだったのか。
あの後、アデリナは一切ひとめぼれ発言には触れてこないし、なかったことにしたい過去なのだろう。
「あら、それは違うと思うわよ」
「何が?」
「聖なる魔力で浮かされると、うっかり大きなこと言っちゃうのよ。心にもないことは言わないわ。まして、好きでもない人にひとめぼれだなんて言わないわ」
ユリアはそう言うと、にこにこと微笑みながら立ち去って行った。
こと聖なる魔力に関しては、ユリア以上に知っている者などいない。
ユリアがそう言うのなら、思ったことをうっかり言ったということになる。
『――あの、ひとめぼれって、信じてくださる?』
「……嘘だろ?」
テオドールは口元を押さえて呟いた。
********
「ひとめぼれ、というやつかな」
「……そうですか」
ブルート王国の第三王子であるヴィルヘルムスは、そう言って笑った。
エルナにひとめぼれなどしていないのは、わかりきっている。
グラナートの言う通り、注意しなければいけない。
だが、ヴィルヘルムスの言葉に、テオドールの心が揺れる。
「これは私個人の独り言ですが」
「軽々しくひとめぼれなどと言わない方が良いですよ。その言葉に縛られかねません」
少なくとも、テオドールは縛られてしまった。
あの銅の髪の少女の言葉に。
今は偽名を使って、グラナートの護衛をしている身だ。
任務だけに集中しよう。
だが、この任務が終わったら。
テオドール・ノイマンとして、彼女に会うことがあったなら。
その時は――。










