番外編 アデリナ・ミーゼス
それは、偶然だった。
国でも一二を争う名家ミーゼス家に生まれたのだから、自由な恋愛や結婚などとうに諦めていた。
第二王子であるグラナートとは顔見知りであり、互いに将来結婚するのかもしれないとぼんやり思っていたが、そこにあるのは王族と貴族の義務感だけだった。
たまたま参加した夜会で、たまたまグラナートに会ったので、挨拶をした。
ただ、それだけだった。
「――殿下!」
鋭い言葉と共に、アデリナの視界を紅の色が横切る。
金属音、何かがぶつかる音、弾かれる音。
アデリナが理解するより先に、グラナートの前に立つその人が振り返った。
「殿下、ご無事ですか?」
燃えるような紅の髪のその人は、黒曜石の瞳に虹色の光が浮かんでいた。
アデリナの鼓動が大きく跳ねた。
「僕は大丈夫です。それよりも、テオ。目が……」
グラナートに指摘され、彼は慌てて顔をそむける。
せっかくの綺麗な瞳を、もっと見たいとアデリナは思った。
その次の瞬間、思わず口を開いていた。
「――あの、ひとめぼれって、信じてくださる?」
突然の言葉に、テオと呼ばれた少年もグラナートも固まる。
アデリナだって、何故そんなことを言ったのかわからない。
だが、何か心がざわめいて落ち着かなくて、どうしたらいいのかわからない。
「ご、ごめんなさい。失礼いたしますわ!」
慌てて礼をするとその場から離れる。
何が何だかわからないが、胸が苦しくて仕方ない。
庭まで出ると、アデリナは何度も深呼吸をした。
さっきの人は誰だろう。
グラナートの新しい護衛だろうか。
「テオ、様」
その名をそっと呼ぶと、アデリナの胸は何かに満たされたような気がした。
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「テオ……さんに、報告してくれたんですね」
エルナ・ノイマン子爵令嬢が不審な動きの女生徒と一緒にいたのを、アデリナは見ていた。
彼女が行方不明だと探すグラナートとテオに、それを伝えたのだ。
「ち、違いますわ。たまたまテオ様がいらしたから、それで」
一年前の夜会で出会って以来、アデリナはテオのことがずっと気になっている。
だが、初対面で紹介もされていないのに、あんなことを口走ったのだ。
顔から火が出るというものを、アデリナは身をもって体験した。
幸か不幸か、テオはあのことについて触れてこない。
アデリナも何かの気の迷いだろうと思っていたのだが、想いはつのるばかり。
エルナの家からテオが出てきたという噂を聞いた時には、心臓が止まりそうだった。
だが、彼女はテオと親密な関係ではないと否定した。
半信半疑ではあった。
だが、エルナが行方不明だと探すグラナートとテオを見て、彼女が言っていたことは本当なのではないかと感じ始めた。
どちらもエルナを心配していたのだが、質が違うとでも言うのだろうか。
何となく、そんな気がした。
それに、最近はグラナートの様子が変わった。
明らかに、エルナのことを意識している。
アデリナは、グラナートが誰とも必要以上に関わらずにいたことを知っている。
それは、驚きの変化だった。
「アデリナ様がテオさんに報告してくれたおかげで助かりました。もう平気です。ありがとうございます」
テオという名を聞くだけでも、顔が赤くなる。
自分でも重症だと思うが、どうしようもない。
「……エルナさんは、噂は知っていますの?」
「噂? 何の噂ですか?」
やはり、知らないのか。
グラナートが伝えていないのなら、アデリナが先に言うのはおかしい。
アデリナとグラナートの婚約の話など昔からずっとあるが、二人の問題に口を出すべきではない。
「……なら、よろしいですわ。ごきげんよう」
グラナートは幼馴染のようなものだから、応援してあげたい気持ちはある。
だが、彼は王子だ。
その身に背負う責務がある。
心だけを優先にすることはできないと、アデリナは知っている
そして、それは公爵令嬢のアデリナも同じだった。
********
「また、あなたとの婚約の話が出ていますね」
グラナートに呼ばれて教室に向かうと、そこには金髪の美少年が一人で待っていた。
何の話かは予想がついていたので、この場にテオがいないことに安堵した。
「ええ。スマラクト殿下を廃する動きが強まっておりますから、それに乗じて殿下を王にしようとしているのでしょう」
スマラクト王子の母である側妃の実家は、大貴族であるザクレス公爵。
それに対抗できるだけの家となれば、ミーゼス公爵家が真っ先にあげられるからだ。
「ですが、僕はあなたと婚約はしません。王位を継ぐ気もない。次期国王は、兄上です」
きっぱりと淀みない答えに、アデリナは息を吐いた。
「以前の殿下でしたら、曖昧に濁して波風立たぬようにしたと思いますわ。やはり、エルナさんのためですの?」
「……いえ。僕のためですね。婚約の話を、彼女に聞かせたくないだけです」
「変わりましたわね、殿下」
命を狙われ続けて、誰からも距離を置いて。
優秀過ぎぬように、愚か過ぎぬように、目立たぬようにと調整していたのに。
「大切な人ができると、自ずと人は変わります。……アデリナさんと一緒ですよ」
テオのことを言われているのだとわかり、アデリナの頬が赤くなる。
ひとめぼれ発言をした時にいたのだから、グラナートはアデリナの気持ちを知っているのだ
「確かに。わたくしも変わったかもしれませんわ」
以前のアデリナなら、男爵家の四男などに見向きもしなかっただろう。
もしも何らかの想いを持っても、決して叶わないと知っていたからだ。
アデリナは、公爵家を捨てることはできない。
だが、この気持ちを捨てることもできなかった。
「お互い、頑張りましょうか」
グラナートにつられて、アデリナも微笑む。
そうか。
頑張ってみてから諦めても、遅くはないのかもしれない。
「わたくし、忍耐力には自信がありますの。公爵家のレッスンは、地獄と呼ばれておりますのよ?」
上手くいってもいかなくても、きっと乗り越えられる。
だから、あの人のそばにいるために少しだけ頑張ってみよう。









