表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/182

番外編 ヴィルヘルムス・ブルート

 その祭りに行ったのは、偶然だった。


 虹の聖女は伝説のようなもので、はっきりとした存在を示す話はなかった。

 とりあえず、王都に行けば何かわかるかもしれないと、移動をしているところだった。

 活気のある祭りの中を通り過ぎようとしたヴィルヘルムスは、とある露店で足を止めた。


 その店は、ハンカチを売っていた。

 小さな刺繍が施された、何の変哲もないハンカチ。

 だが、ヴィルヘルムスは肌に突き刺すような痺れを感じた。

 技術大国で魔法にはほとんど縁のないブルート王国だが、さすがに王族は魔力持ちが多い。

 ヴィルヘルムスもその一人だ。

 国の中では比較的魔力に恵まれている方だが、ヘルツ王国のように育成機関が整っていないので大した魔法は使えない。


 その魔力が、震えるのがわかった。

 こんなことは、今まで経験したことがない。



「このハンカチ、君が作ったの?」



 店番をしている少女に声をかける。

 灰色の髪に水宝玉(アクアマリン)の瞳の、普通の少女だ。



「はい、そうです」

「君の名前は?」

「エルナです」



 立ち居振る舞いや服装からして、ただの町民ではなさそうだ。

 地方貴族か有力商人の娘といったところだろうが、とりたてて変わったところはない。

 という事は、このハンカチが原因だろうか。



「良い名前だね。俺はヴィル」

「ヴィルですね。良かったら、おひとついかがですか?」



 エルナと名乗った少女がヴィルヘルムスの名前を呼んだ瞬間に再び、少しだけ痺れるような感覚がやってきた。

 机に並べられたハンカチをじっと見てみると、今までに感じたことのない不思議な魔力が僅かに滲んでいる。


 ――見つけた。



「じゃあ、エルナ。ハンカチを買うから、俺と結婚しよう」



 歓喜と興奮に、ヴィルヘルムスは思わずそう口にしていた。

 ただの勘だ。

 だが、それが正しいと、ヴィルヘルムスにはわかった。


 これが、探していたものだ。

 この力を、必ず手に入れる。



 ********



「ヴィルヘルムス王子、ですね」

 どこからか、紅の髪の少年が目の前に現れる。

 エルナのそばに金髪の美少年がいた時から、こうなるのはわかっていた。


「……君は?」

「グラナート殿下の護衛を務めています。テオ・ベルクマンと申します」

「何の話かわからない、と言っても……信じてはくれなさそうだね」

 黒曜石(オブシディアン)の瞳の少年は、静かにうなずいた。



「グラナート第二王子がわざわざそばについているなんて、エルナは余程大切なお姫様なんだね」

「ヴィルヘルムス王子の非公式訪問について、殿下は懸念を抱いています」

 かまをかけたつもりだが、まったく引っかからない。

 ヴィルヘルムスは肩をすくめた。


「ウチがごたついてるのは知っての通りだが、俺は揉め事を起こしに来たわけじゃない。探し物をしているだけだ」

「探し物、ですか」

「俺はこの国に危害を加えるようなことはしない。それは信じてほしい」

 ヘルツ王国とはいずれ貿易関係を強化していきたいところだ。

 無用な諍いは避けたかった。


「では、何故田舎町の娘に突然求婚を?」

 痛いところをつかれた。

 グラナートがこんな田舎町にまで来ているのだから、エルナには何かあるのだろうが、それを言ってしまえば警戒されかねない。

 虹の聖女が存在するとしたら、国家級の極秘事項のはずだ。

 急いてはこの国から追い出されてしまう。


「ひとめぼれ、というやつかな」

「……そうですか」

 テオと名乗る護衛は納得していないようだが、とりあえず即刻国外追放するわけではなさそうだ。



「殿下からの伝言です。『国に仇なすことがなければ、訪問は歓迎する。だが、エルナには関わらないように願いたい』だそうです」

「へえ。という事は、グラナート王子は恋敵というわけか」

 軽い調子で答えるが、テオは無反応だ。


「これは私個人の独り言ですが」

 立ち去ろうとしたテオが、ぽつりとこぼす。

「軽々しくひとめぼれなどと言わない方が良いですよ。その言葉に縛られかねません」

 そう言うと、現れた時のようにすっと姿を消してしまった。


 ヴィルヘルムスはため息をつくと、空を見上げる。

「ひとめぼれなんてしないから、大丈夫だよ」


 国のために生きると決めたから、そんな感情はいらない。

 ヴィルヘルムスが欲しいのは恋ではなく、力なのだから。



 ********



「求婚はお断りします。心のない求婚だとしても、もう少し言いようがあると思いますよ。……リリーさんの時には、ちゃんと伝えてくださいね」



 頼みの綱の聖なる魔力保持者に、あっさりと求婚を断られた。

 その上、ヴィルヘルムスの淡い恋心まで言い当てられてしまった。



「エルナは、人のことなら敏いんだな」



 グラナートがエルナに向けている好意には、鈍いというのに。



「君の領地で俺が声をかけた時のことを覚えてる? 王子が俺の素性を見抜いて、護衛を使って君に関わらないよう釘を刺してきた。あの時には聖なる魔力の持ち主が実在して遭遇できた喜びが大きかったんだけどな」

「その割には、だいぶ失礼な求婚でしたよ」



 聖なる魔力で王位をもぎ取って戦争を回避することに夢中だったが、確かにエルナの言う通りだったかもしれない。

 エルナという個人ではなく、聖なる魔力を持つ者との結婚を望んだのだ。

 その誠意のなさから断られているのだろうから、自業自得と言える。



「好意ってのは、ままならないものだね。国のためには、今は必要ない感情なんだが」

「リリーさんには話してあるんですか?」

「言ってない。身分も、この国に来た目的も。俺の気持ちも」

「伝えないんですか?」

「伝えたところでどうしようもない。国のために、戦争を止められる力を手に入れるのが俺の役目だ。そこに俺の個人の感情を挟む余地はない」



 だから、あの美しい虹色の髪の少女のことは忘れなければならない。



「王族に生まれた義務だ。グラナート王子も同じだ。……ままならないものさ」



 ********



 しくじった。

 魔鉱石の爆弾を矢じりにつけていたのはわかっていたが、予想外の所で爆発した。

 思った以上に威力は小さく、腕にかすり傷を負っただけだった。

 なのに、血は止まらず、呼吸は苦しくなるばかり。

 こんなところで死ぬのかと絶望する。

 一方で、必死にヴィルヘルムスの手当をしてくれるリリーを見て、ここで死ぬのも悪くないと思う自分もいた。

 



 エルナのハンカチが触れたところから、清浄な何かが流れ込んでくる。

 泥水を押し流す清流のように、苦しさが消えていった。

 次いで、温かい魔力を感じると同時に、傷の痛みもなくなった。



「……ありがとう。助かった」

「私だけじゃ駄目でした。エルナ様のおかげです」



 涙ぐんで微笑むリリーの姿は、何よりも美しかった。



 ********



「――消えて!」



 エルナが叫んだその瞬間、辺りを眩い光が包み込んだ。

 ヴィルヘルムスの傷を治した時と同じ、清流のような清いモノが、辺り一面に広がっていくのがわかる。

 光が消えた後のエルナの瞳を見て、ヴィルヘルムスは震えた。

 いつもの水宝玉(アクアマリン)の色に、煌めくような虹色の光が輝いている。



「……聖なる魔力の、浄化……」



 これが、そうなのか。

 圧倒的な力と光景に、ヴィルヘルムスは興奮した。


 魔鉱石の爆弾はすべて砂になって散った。

 あとは、指揮官の男を捕らえ、この一連の勝手な行動と公爵との癒着を盾にすれば、王位を奪えるかもしれない。


「エルナさん!」

 糸の切れた操り人形のように、エルナの体が崩れ落ちる。

 あれだけの魔力を放出したのだから、当然と言えば当然だ。

 宝物のように大事にエルナを抱えるグラナートを見て、少しだけ羨ましいと思った。

 だが、次の瞬間、思いもかけない言葉がヴィルヘルムスの口から飛び出した。



「リリー・キール。俺と一緒にブルート王国に来てくれ。結婚しよう」



 誰もが突然のことに、動きを止めた。

 ヴィルヘルムス自身も、何故そんなことを言ったのかわからない。


「……どういうことですか?」

 リリーが麗しい顔を曇らせる。

「いや、違うんだ。違わないが……その、俺はブルート王国の王子なんだ」

「はあ」

「それで、国のために聖なる魔力が欲しかったんだが。この騒動を逆手にとって王位をもぎ取るつもりで……」


 自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。

 頭は回らないのに、心は逸って仕方ない。

 これは、何かの病気だろうか。



「……ああ!」

 混乱するヴィルヘルムスを訝しげに見ていたリリーが、合点がいったようにうなずいた。

「エルナ様の身代わりをしろという事ですね? 本物が行ったら、悪用されかねませんものね。聖なる魔力を手中に収めたというアピールで、結婚しているように見せかけるんですね!」


 恐ろしく察しが良いのに、致命的な方向音痴だ。

 成り行きとはいえプロポーズしたのだから、リリーに好意があるのだと伝えなければ。

「わかりました、一緒に行きます。エルナ様のためですから。私、聖なる魔力がありそうな雰囲気を出せるよう、頑張ります!」

 ヴィルヘルムスが訂正をする間もなく、リリーが使命感に燃えている。


 ブルート王国は魔法に疎い。

 当然、魔力を感じ取れる者も少ない。

 普段のエルナを連れて行くよりも、虹色の髪の圧倒的美少女を連れて行った方が効果はあるのかもしれない。


「……それじゃあ、行こうか。リリー」

「はい。短い間ですが、よろしくお願いします。旦那様」

 屈託のない笑顔に、ヴィルヘルムスもつられて笑う。


 今はまだ偽の夫だけれど、いつかこの少女に本当に旦那様と呼んでもらいたい。

 ヴィルヘルムスは長くなりそうな戦いに、小さく息をついた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ