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懐事情により、ヒロインとお出かけします

 空気になって学園生活の早期離脱を狙ったそばから、まさかのヒロインとお出かけとは。


 断るべきなのは分かっている。

 だが、良質の刺繍糸がお手頃価格と聞けば、やはり諦めきれない。

 エルナにだって、懐事情というものがあるのだ。


 場所だけ聞いて後日行くという手もあるにはあるが、どうもリリーはほのぼのお花畑ヒロインという感じではない。


 ここが乙女ゲーム『虹色パラダイス』の世界である以上、全てはヒロインのリリーを中心に回ると言っても過言ではないはず。


 リリーのリリーによるリリーのための世界。

 ここではリリーはヒロインであり、神であり、魔王にさえなり得る。

 それが、ヒロインだ。


 関わってしまったのは仕方ないとして、せっかくなのでリリーの行動を観察してみるのもいいかもしれない。

 乙女ゲームとはいえ、ヒロインが過激で武闘派とか、精神を病んでるとか、よろしくない方向の可能性だってあるのだから。


 ……死にたくないので、もしそんな感じだったら領地に逃げ帰ろう。



「エルナ様は王子様の護衛の方とお知り合いですか?」


 学園を出て少し歩いたところで、リリーが質問してきた。少し首を傾げる様も、恐ろしいほど可愛らしい。


「エルナ、でいいですよ」


 領地でもあまりお嬢様扱いされていなかった上に日本の記憶が戻ってしまったので、様付けで同年代を呼ぶのに違和感がある。

 

「あら、駄目ですよ。平民が貴族のご令嬢を呼び捨てなんて」


 当然と言わんばかりにリリーがたしなめる。意外と身分にこだわる方らしい。

 乙女ゲームのヒロインというと、天真爛漫で身分を気にしないイメージだったのだが。


「では、私もリリー様と呼びますね」

「駄目ですったら。平民を様付けしているところを見られたら、面倒くさいですよ? リリーで結構です」


 どうやら、身分にこだわるというより、現実的に揉め事を避けたいらしい。

 エルナは初めて、虹色のヒロインに共感した。


「……では、リリーさんで」

「了解しました」


 天真爛漫という名を武器にして、貴族社会に旋風を巻き起こす気配は、今のところない。

 もっとも、恋愛が絡むと変貌する可能性もあるので、引き続き警戒は怠らないようにしなければ。



「それで、お知り合いですか?」


 このヘルツ王国に、王子は現在二人。

 この場合の王子というのは、同じクラスの金髪王子こと第二王子のことだろう。

 つまり、その護衛というのは兄・テオドールだ。


「お知り合いといいますか……」


 恐らく、兄妹であることは勿論、素性に近付くことは言ってはいけないのだろう。

 だが教室で話をしているところを見られている以上、無関係というのも難しい。


「べ、ベルクマン様と父が少し話をしたことがあるくらいで。私はほとんど……」


 家名を間違っていないか、不安だ。

 そういえばテオは「久しぶり」と言っていた。

 話をしたことがない、というのは少しおかしい気もする。


「……えー、ずいぶん前に少しだけ、ご挨拶をしたような」


 苦しい。

 色々苦しい。


 だが、勝手に余計な設定を作ってしまうのもよくないはず。

 家に帰ったら長兄に相談しよう。

 そもそも何でこんなことになっているのか、聞いておかなければ。


「そうですか」


 意外とあっさりした返事で、追及もなかった。

 ヒロインは攻略対象以外には興味がないのかもしれない。

 乙女ゲームでは、攻略対象でもないただのクラスメイトと長々話をしたりはしない。


 つまりは、そういうことだろう。

 モブキャラへの無関心が今はありがたかった。


「でも、気を付けた方がいいと思いますよ」

「え?」

「いいえ。ほら、ここですよ。刺繍糸のお店」



 ぼそっと不穏な言葉が聞こえたような気がしたが、何だろう。

 だが、少しばかり怯えつつ店の中に入ると、あっという間にそんな不安は吹き飛んでどこかへ行ってしまった。


 決して大きくはないけれど、驚くほどの豊富な色数。

 それも、庶民価格の糸から高級品までの幅広い品揃え。

 何より店員の親身な接客に好感が持てる。


「それで、今まではこの赤を使っていたんです」


「二十四番の赤は派手過ぎず、周りの色と調和して使いやすいですから。ウチでも人気の商品ですよ」

 そう言って店員の女性はいくつかの糸の束を出してくる。


「七番も定番ですね。淡くて女性的な赤です。二十番は明るい色の布にはもちろん、暗い布でも映えるので重宝します」


「どれも素敵ですね。迷います」

 幸せな溜息をつきながら見ていると、店員がにこりと微笑む。


「でも、今はやはりこれが一番のおすすめですね」

 そう言って出したのは、美しい深紅の糸。


「この三十九番は上品で華やかな濃い赤が素晴らしくて。柘榴石(ガーネット)の瞳の色に似ているからと、恐れ多くも『グラナートの赤』と呼ばれているんです」


「本当に綺麗な赤ですね」

 艶もあるのに派手過ぎず、とても好みの色合いだった。



「でも、異名まであるなんて凄いですね。……恐れ多いって何ですか?」

「ええ?」

 何故かリリーが妙な声を上げたが、気にせず店員の説明を聞く。


「王族の名前を勝手に付けて呼んでいたら、不遜ですからね。あくまでも通り名であって、店としては三十九番の赤と呼んでいることになっています」


「へえ。王族にそんな方がいるんですか」

「ええ⁉」


「どうかしました? リリーさん」

「いえ、同じクラスにいるじゃありませんか」


「ああ、そういえば第二王子がいますね。そこから王族の『グラナート』様に伝わったらいけませんよね」


 あくまでも三十九番の赤と呼ばないと。

 糸の異名に使われたくらいで怒るものなのかはわからないが、無用な争いは避けた方がいい。


「伝わるも何も。第二王子の名前ですよ? エルナ様」

 リリーが諭すように、ゆっくりと説明する。


「グラナート・ヘルツ殿下です」

「……はあ。そうなんですね」


 あの金髪王子、そんな名前だったのか。

 そういえば、テオドールがそんな名前を言っていたような気もする。


 田舎の子爵令嬢でしかないエルナ・ノイマンでは、王族個人の名前までは知り得なかった。

 というか、興味がなくて知ろうとしていなかった。


「リリーさんは物知りですね」

 平民と侮ることなかれ。

 田舎の弱小貴族なんかよりも、王都の平民のほうが余程情報を持っているものだ。


「じゃあ、三十九番の赤ください。異名は使わないように気を付けます」


 学園で刺繍糸の話題をするかはわからないけれど、気を付けよう。

 リリーから何か残念なものを見るような労わりの視線を感じつつ、お値段交渉を済ませる。

 王族の名前を異名にするだけあって決して安くはないが、この色に惹かれたので仕方がない。



「ああ、でも。せっかくの糸で刺繍をしても、王都ではため込む一方なんですよね」

「どういうことですか?」

 買った糸を包んでもらう間の呟きに、リリーが反応した。


「いえ。領地ではお祭りの時に、出店で刺繍したハンカチなどを売っていたんですけど」

「ええ⁉」

「貴族のお嬢様がですか?」

 リリーどころか、店員まで手を止めて聞き返してきた。


「田舎の小さな領地ですから、貴族といってもアレですし。お小遣いは自分で稼げと母も言っていましたし。でも、結構評判は良かったんですよ? 幸運のハンカチ、なんて言われたりして」


 王都と領地を行ったり来たりの長兄に王都の流行を聞いて、ハンカチにそれを刺繍していた。

 流行に敏感な若い娘やその母親、ちょっとしたプレゼントにも売れていたのだ。


「いい収入源だったんですけどね。楽しかったですし」


 リリーは呆れ顔だったし、店員はお腹を抱えて笑っていた。

 どうやら転生以前に、ノイマン子爵家はちょっと変わっているらしい。

 そうなると、もはや何が正解かわからなくなるので困るのだが。


「では、うちのお店で出してみます?」


 店員曰く、ハンドメイド品の販売もしているらしく、そこで売ってみてはどうかということだった。

 勿論、刺繍した品物を見てから判断するというが、願ってもないことだった。

 楽しみが増えるし、収入にもなるのだからありがたい。



「本当にリリーさんには感謝しています。何か、お礼ができるといいのですが」

「いえ。……あの、エルナ様。もしよろしければ、私にもそのハンカチを一つ分けていただけますか?」


「もちろんです。明日にでもお渡ししますね」

「幸運のハンカチ、楽しみにしています」


 社交辞令の誉め言葉でも、美少女に言われると悪い気はしない。

 言葉一つで落とされる攻略対象の気持ちも理解できそうな気がする。

 エルナはちょっと幸せな気持ちで家路についた。

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