耐性がついたはずでした
「こんにちは、ヴィル」
ヴィルという名前に、グラナートがぴくりと眉を動かす。
「昨日は買いそびれたから、ハンカチを買いに来たよ」
「すみません。もう完売してしまったんです」
「それは残念。……でも、俺はハンカチよりも君が欲しいな」
さすが、乙女ゲーム在住の美少年は言うことも普通じゃない。
エルナは感心した。幸か不幸か、グラナートのおかげで少しは美少年耐性がついているようだ。
グラナートはいつの間にかエルナの横に移動しており、ヴィルをじっと見ている。
「……王子様の護衛付きとは。よほど大切なお姫様なんだね?」
茶化すヴィルに対して、グラナートの表情は真剣だ。
「そういうあなたこそ、何故こんなところに?」
「何のことだい?」
ヴィルはとぼけているが、二人は知り合いなのだろうか。
でも、田舎の領民と一国の王子が何故。
「……もめ事を起こす気はないからね。ここは引くよ。またね、エルナ」
そう言って手を振ると、ヴィルは祭りの雑踏に紛れて行った。
「ちょっと、飲み物を買ってくる」
そう言ってテオドールが離れてしまったので、ベンチで待つことになった。
だが、腰掛けてからエルナはしまったと後悔した。
祭り会場の外れとはいえ、周囲に人は多い。
だが、賑やかすぎて誰も他人に興味を持たないし話も聞こえない。
これはある意味、二人きりではないか。
テオドールが必ずそばにいたので気にしていなかったが、一度意識してしまえば何だか緊張する。
『考えさせてください』と言って倒れているのだから、答えを聞かせろと言われても仕方ない。
だが、自分の気持ちも整理できていないのに、どうしたらいいのだろう。
「……こうして座っていると、学園で話をしたのを思い出しますね」
グラナートは懐かしむようにそう言った。
グラナートがリリーのような優秀な魔力の持ち主が伴侶なら安心だ、というようなことを言っていたのを思い出す。
リリーのことを好きというのは勘違いだったらしいけれど、もしかして珍しい魔力を持っていれば誰でも良いのではないだろうか。
「テオに聞いたのですが。僕が『魔力が優秀なリリーさんを伴侶にしたら楽だし安心』と言ったと思っていますか?」
「う」
図星だ。
何も言えないでいるエルナを気にすることなく、グラナートは続ける。
「あれは、情けない話を聞かせてしまいました。呪いの魔法で母を亡くし、僕も命を狙われ続けていたせいもあって、災いを避けようという気持ちが強かったんです」
エルナには母を失い、命を狙われるという経験がないが、そんな体験をしていたら避けられるものは避けたくなって当然だと思う。
あの時はストレスで八つ当たりしているようなものだったので、エルナの方が申し訳なくなる。
「でも、大切なのは避けることだけじゃなくて立ち向かうことだと、あなたが気付かせてくれた」
そう言うと、グラナートはエルナに頭を下げた。
「僕は、あなたに謝らないといけない。色々と、すみませんでした」
「いえ、と、とりあえず顔を上げてください!」
王子に頭を下げられるというのは、日本でも庶民、ここでも田舎貴族のエルナには何とも心臓に悪い。
周囲は誰も気にしていないだろうし、王子だなんて気付いてもいないだろうが、エルナが落ち着かないのだ。
「名前を呼んでほしいと言ったことも、よく考えれば断って当然です。あの頃は特に命を狙われていて、どうしても虹の聖女の情報が欲しかったのですが……それは僕の都合です。エルナさんが令嬢達に囲まれていたと、この間リリーさんに聞きました。僕の勝手のせいです。すみませんでした」
また頭を下げるグラナートに、こちらが加害者のような気持ちになる。
これが美少年の力なのか。なんて理不尽な正義だ。
「この間も、危険な目に遭った上に、慣れない魔力を使って疲れているところに、僕の気持ちを押し付ける形になってしまいました。あの時は何だか気分が高揚して、すぐに言わないといけないと思ってしまって」
グラナートは深いため息をつく。
以前、ユリアが言っていた『聖なる魔力に浮かされる』現象かもしれない。
なら、それから覚めた今、冷静に自分の行動を撤回するということだろうか。
「……本当は、夏休みが終わるまであなたが静養しているのを邪魔しないつもりだったのですが」
テオの帰省についてくる形になったというわけか。
「答えは、急ぎません。待ちます。考えてくれるだけでも、僕にはありがたい。……ただ、僕が大切にしたいのはあなたです。聖なる魔力なんて関係ない。それだけは、伝えたくて」
微笑むグラナートの言葉に、鼓動が早まる。
美少年の破壊力が凄まじい。少しは耐性がついたと思っていたが、甘かった。
何でこんなに動揺するのだ。
日本では短大生だったはずなのに、色恋とは無縁だったのだろうか。
少なくとも、美少年とは無縁だったのだろう。
残念なことだ。
「殿下、お待たせしました」
エルナの思考がパンクしかけた時に、テオドールが戻ってきた。
何とか事なきを得たことに、ほっとする。
「あれ、飲み物はどうしたんですか?」
何だかのどが渇いてしまったが、テオドールは手ぶらだ。
「え? ああ! ……忘れた」
飲み物を買いに行って、飲み物を忘れることがあるのだろうか。
もしかして、テオドールはわざと席を外したのかもしれない。
そうでなければ、大変に残念な頭だということになるので、エルナは切なくなった。
その夜には、グラナートとテオドールの二人は王都に帰って行った。
こんな弾丸スケジュールでは疲れがたまる一方だろう。
テオドールのわがままに付き合っているグラナートは、尊敬に値する。
実際には、テオドールはエルナと話すために来たようなことを言っていたが、実家でのんびりしたいというのも本音ではないかと思っている。
……もしかして、グラナートはエルナに会いに来たのだろうか。
今更その可能性に気付いたが、どちらにしても、エルナならこんな疲れる予定はお断りである。
休みの日はしっかりと休みたい。
グラナートは律儀な上にマメなのかもしれない。
次の日には、エルナもレオンハルトとゾフィと共に馬車で移動していた。
二日も馬車に揺られていると、お尻が統一されて平らになった錯覚さえ起きてくる。
「……そう言えば、フランツはどうしたんですか?」
一緒に領地に来たはずだったが、馬車にはいない。どうしたのだろう。
「殿下達と一緒に、先に王都に行っているよ」
「レオン兄様の専属なのに、別行動なんですか?」
レオンハルトと共に行動するとばかり思っていたので、不思議になって聞いてみる。
「掃除など、ありますから」
ゾフィが答えてくれたが、レオンハルト専属の執事見習いが何故、先行して掃除するのだろう。
主人のサポートなり護衛なりをするものではないのか。
「……そんなに、汚れていました?」
「埃というものは、どこからともなく湧いてくるものですから」
「ふふ。そうだね」
屋敷をいつも掃除してくれているゾフィがそう言うのなら、そういうものなのかもしれない。
レオンハルトが笑っているのは気になるが、答えてくれそうにないのでエルナは諦めて窓からの景色を眺める。
田舎の穏やかな景色を楽しめるのも、今のうち。王都に戻れば、また学園生活が始まるのだ。










