兄が稽古をつけたようです
「……少し明るくなってきましたね」
心地よい疲労感でぐっすりと寝たのだが、早起きをしてしまった。
窓から見える空は白んで、小鳥のさえずりが聞こえている。
目が冴えてしまってもう一度寝る気にもなれず、散歩でもしようと思い立つ。
夏の草の臭いを嗅ぎながらの散歩も、気持ちがいいものだ。
シンプルな水色のワンピースに着替えると、エルナは部屋を出た。
貴族と言えばドレスと言いたいが、王都ならいざ知らず、こんな田舎で普段から仰々しいドレスを着ている者などいない。
ろくにコルセットを着けたことのなかったエルナは、学園に制服があり、ワンピースだと知った時には安堵したものだ。
「おはようエルナ、今日はずいぶん早いね」
階段を降りたところで、剣を手にしたレオンハルトに声をかけられる。
「おはようございます、レオン兄様。剣の稽古ですか?」
テオドールに聞いていたものの、エルナはこの穏やかな長兄が剣を扱うというのが未だにピンとこない。
「久しぶりにテオドールと時間が合ったから、少しね」
ほとんど汗もかいていないようなので、本当に少しだけ手合わせをしたのだろう。
普段、レオンハルトは子爵代理として書類とにらめっこしていることが多いから、いい気分転換になったのかもしれない。
「あの王子も見所はあるが、まだまだだな。だが、まっすぐなのは、伝わった」
楽しそうにレオンハルトが笑う。
グラナートはさすがに王子なので、正統派の基本にまっすぐな剣を使うということか。
これがいわゆる、拳で語るというやつなのだろうか。
日本の少年漫画にありそうな「おまえ、やるな」「おまえこそ」的な会話があったのかもしれない。
男同士のやりとりは、エルナにはよくわからなかった。
「エルナ、二人は庭にいるから、タオルを持って行ってあげて」
「え、でも」
レオンハルトの様子を見る限りいらないのでは、と言いかけたエルナの前に、良い香りのタオルが差し出される。
「エルナ様、こちらをお持ちください。水もご用意しましたので、こちらも」
いつの間にか隣にいたゾフィが、水の入った瓶とタオルをバスケットに入れてエルナに差し出す。ゾフィがそのまま持って行けばいいのではと思ったが、二人の無言の圧力に負けてそれを受け取った。
庭に向かうと、誰かの話し声が聞こえる。
「気を付ける」とか「おそらく」とか聞こえてくるが、声からしてテオドールとグラナートだろうと近付いてみる。
レオンハルトの言う通り、二人は庭の真ん中にいた。
いたのだが、そのいでたちにエルナはぎょっとする。
「……水浴びでもしてきたんでしょうか?」
庭の芝生に大の字になって転がる二人は、頭から水をかぶったようにずぶ濡れだったからだ。
「おはようございます、エルナさん」
「おはようございます、殿下」
グラナートがエルナに気付いて挨拶をしたので、挨拶を返す。
寝ころんだままで疲れこそ見えていたが、グラナートは何やら嬉しそうにこちらを見ている。
もしかしてエルナに会えて嬉しいのかと思い、いやいやそんなまさかと首を振る。
昨日だって会っているのだから、今更そんなこともないだろう。
告白されたからって、自意識過剰だ。
これはきっと、恋愛経験の少なさが見せる、幻だ。
「エルナ、どうした?」
テオドールは転がったままエルナに顔を向ける。
「レオン兄様にタオルを届けろと言われました。……川まで行ってきたんですか?」
井戸で水浴びしたのなら、反対側のこの庭に戻る必要はない。
屋敷から少し歩けば川があるので、水浴びをするとしたらそこだろうか。
「レオン兄さんと剣の稽古だよ」
グラナートはゆっくりと体を起こすが、テオドールはそのまま動こうとしないので、近付いて水の入った瓶を渡す。
「助かる。のどが焼けそうだ」
「エルナさん、僕ももらえますか」
二人は勢いよく水を飲むと、残りの水を頭からかぶった。
「……話には聞いていましたが、想像以上ですね」
グラナートはエルナから受け取ったタオルで顔を拭くと、ぐったりとした様子で呟く。
「だから、レオン兄さんがいる家には帰りたくなかったんだ。……ただでさえ、今日は疲れているのに」
未だに転がったまま、タオルをかぶってテオドールが愚痴を言っている。
「自分が帰りたいと言って来たんでしょう? 何を言っているんですか」
エルナの指摘に、テオドールは言葉に詰まる。
「……レオン兄様って、強いんですか」
以前、テオドールは「剣豪と言っていい」と言っていたが、穏やかな兄を見ている限りは想像できない。
「知らないんですか?」
グラナートの顔には驚愕と書いてある。
「あの大会の頃、エルナはまだ小さかったし、領地にいたから知らないんですよ。家の者からすれば、わざわざ言うまでもない話題ですからね」
グラナートがなるほどと納得しているが、何のことだろう。
「テオ兄様、大会って何ですか?」
「いいか、エルナ。レオン兄さんはな、俺が十人で束になっても笑って相手できる腕だ。……あれはな、羊の皮をかぶった兵器だ」
狼どころか生き物でさえない例えだが、グラナートが神妙にうなずいているので、エルナは黙ることにした。
朝食を済ませると、早速祭り会場へと向かう。
ハンカチを売りきってから合流なのだと思っていたが、二人はエルナと共に行動している。
何故だろうと思いつつ、二人がいると女性客が寄ってくることに気付いたのでそのままにしておく。
売り切るためには、集客も大事だ。
昨日でハンカチのほとんどが売れていたのと、思わぬ集客のおかげで、あっという間にハンカチは完売。
しかし、まだ売っているかと問い合わせる人が多くて、その場から動けないでいた。
ハンカチのことを知っている人はエルナの顔を知っている人も多く、挨拶されては完売を告げるの繰り返しだ。
大抵は年頃の女性やその親、プレゼントにしたいらしい男性も多い。
領主の娘がハンカチを売っているのが珍しいのか、握手を求める人もいた。
「……領民との距離が近くて、仲が良いのはいいことですね」
グラナートに領民を褒められ、嬉しくて頬が緩む。
田舎の領地だからこその美点だと、エルナも思う。
「エルナ、こんにちは」
そんな時に明るく声をかけてきたのは、栗色の髪の美少年だった。









