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渾身の一発です

 夏休みも残り数日。

 ノイマン子爵領から王都への移動に二日はかかるので、のんびりできるのは今日と明日だけだ。

 寂しいけれど、仕方がなかった。


 日本でも、夏休みというものは情け容赦なく高速で過ぎ去っていくものだったが、こればっかりはゲームの世界も同じらしい。


「まあ、宿題がないだけ、幸せですよね」

 エルナは呟きながら、ハンカチを机に並べていた。


 今日は領地のお祭りだ。

 以前、祭りで刺繍ハンカチを売って人気だったので、今回も参加を請われたのだ。


 日本の記憶を取り戻してからというもの、刺繍をしたハンカチが清めのハンカチなどと呼ばれる事態になっていたのでユリアに相談済みである。

 今回は刺繍を小さくしたし、ユリアに事前チェックしてもらっているので問題ないだろう。



「このハンカチ、君が作ったの?」


 ハンカチも一通り売れて落ち着いた頃、栗色の髪の少年がエルナに話しかけてきた。

 赤鉄鉱(ヘマタイト)の瞳が印象的な、なかなかの美少年である。

 我がノイマン子爵領にも美少年はいるんだなと思うと、何故か誇らしい。


「はい、そうです」

「君の名前は?」

「エルナです」


 領民にノイマンの姓を名乗ると、無駄に緊張させてしまうかもしれない。

 祭りの常連ならエルナが領主ノイマン子爵の娘で、ハンカチを売っていると知っているだろうが、知らないならそれでいいと思う。

 せっかくのお祭りなのだから、楽しく過ごしてもらいたいものだ。


「いい名前だね。俺はヴィル」

「ヴィルですね。良かったら、おひとついかがですか?」


 売り切ればお役御免なので、祭りを見て歩きたいエルナはとりあえず購入を勧めてみる。

 邪な考えのセールストークを見抜いたのか、ヴィルはじっとハンカチを見て黙っている。


 売りつけようとしてごめんなさいと謝りたくなる沈黙の後、ヴィルはうなずくとエルナを見つめた。


「じゃあ、エルナ。ハンカチを買うから、俺と結婚しよう」



「……は?」

 何を言っているのだろう。

 意味がわからない。


 ハンカチを買ってもらうために結婚しないといけないのなら、エルナは今日だけで二十回程結婚をしていることになる。

 どんなお祭りだ。戸籍が乱舞するお祭りなのか。


「……ああ! いわゆるお祭りジョークというやつですね?」


 日本でいうエイプリルフールのように、一部の地域でお祭りの期間は冗談を言う習慣があるらしいのだ。


「いや? 俺は本気だけど。結婚してくれない?」

「……誰が結婚ですか」



 聞き慣れた声に振り向くと、そこには淡い金髪の美少年が立っていた。

 何故ここに、グラナートがいるのだ。

 驚くエルナに構わず、グラナートが歩み寄ってきた。


「お祭りジョークじゃないですか? この辺ではよくある習慣ですよ」

 護衛で王都に残っていたはずのテオドールも、その後ろについてくる。


「冗談ですか」

 グラナートの眼差しに、栗色の髪の少年は肩をすくめる。


「王子様の登場か。……今日はこのくらいにしておくよ。またね、エルナ」

 明るく手を振って去っていくヴィルの姿を、グラナートが眉をひそめて見ている。


「……まさか、な」


 何か呟いたと思うと、テオドールに耳打ちしている。

 どうやら、お祭りジョークの習慣はお気に召さなかったらしい。




「ええ? 殿下もノイマン邸に泊まるんですか?」


 何故か三人でノイマン邸に向かったので、お茶を飲むだけかと思っていたエルナは驚きの声をあげる。

 ゾフィが用意してくれた紅茶は柑橘の香りが清々しくて、それだけでも幸せになれそうだったが、一気に現実に引き戻された。


「仕方ないだろう。お忍びとはいえ、王子が泊まれるような宿がないんだ」


 テオドールの言う通り、田舎のノイマン領ではそんな格式の高い宿は存在しない。

 かと言って、安宿に泊まらせるのは安全上好ましくない。


「うちなら、俺の友人ってことで泊まっても自然だし。……大体、うち程安全な家もないからな」


 確かに、虹の聖女ユリアがいるのだから、滅多なことは起こらないだろう。

 そう考えれば、国の中でも一・二を争う安全地帯なのかもしれない。


 今日は父と母は祭りの所用で留守だったため、家にいたのはレオンハルトだけだが、夜には帰るらしいので安全策は有効である。



「……どうしても実家で寛ぎたかったんだよ、いいだろう」


 テオドールの喋りが、どことなくぎこちない。

 いい年をして実家に帰りたいと言うのが、恥ずかしいのかもしれない。


 こちらは入学してからずっと領地に帰りたかったし、そんなに照れなくてもいいのにと思う。

 こういうところは男女の違いか、年齢の違いなのだろうか。


「僕が一緒に来れば、護衛任務も問題ありませんから。……ですが、公務もあるので、明日の夜には発ちます」


 なるほど。

 グラナートはテオドールのホームシックに付き合って、わざわざノイマン領まで来たのか。


 以前も思ったが、グラナートはなかなか律儀である。

 かなりのハードスケジュールなのに、よく了承したものだ。


「殿下もお忙しいのに。……テオドールもわがままだな」


 そう言うレオンハルトの顔には、微笑ましいと書いてある。

 長兄も、家族が揃うのが嬉しいのだろう。


「いえ、僕は大丈夫です。……せっかく来たので、お祭りを見ていきたいのですが。エルナさん、明日一緒に行ってくれますか?」

 突然話を振られたエルナは、危うく紅茶をこぼしそうになる。


「テオ兄様の護衛付きでしたら。……明日もハンカチを少し売る予定なので、その後なら大丈夫です」


 これはきっと、王族による領地の視察でもあるのだろう。

 明日の夜には王都に戻るというし、王子というのはかなり忙しいようだ。

 のんびりと夏休みを過ごしている自分が、少し恥ずかしくなった。




「さて、テオ兄様。私に言うことはありませんか。色々と」

 グラナートが来客用の寝室に案内されたのを確認して、エルナはテオドールの私室を訪れた。


「だからうちに帰って来たんだよ……まあ、とりあえず中で話そう」

 すでに疲れた表情のテオドールは、そう言って扉を開いた。



「大体、何でいちいち私に絡んできたんですか。レオン兄様からもやめるように言ってもらったはずです」


 エルナは腰に手を当てて仁王立ちで不満をぶつける。

 言うに言えなかった、伝えたはずなのにさっぱり伝わらなかった。

 あのもどかしさは、未だに納得できない。


「あれは、エルナが名前を呼ぶまで殿下が諦めない様子だったから、さっさと終わらせて関わらないようにしてやろうと思っていたんだ。本当だ」

 拳を握りしめるエルナに、テオドールは両手で仰ぐようにして落ち着けとなだめてくる。


「グラナート殿下おはようございますって、軽く言ってくれれば初日で終わったんだよ。……まあ、聖なる魔力がない前提だったけど」


「言えると思いますか? あの状況で? 私は立派な豆腐メンタルですよ!」

「とうふ?」


 しまった。豆腐はヘルツ王国にはないらしい。


 じゃあ、『豆腐に(かすがい)』という言葉は存在しないのか。

 それとも、『プリンに鎹』とかになるのだろうか。

 ベトベトのせいで、倍速で鎹が錆びそうだな。


 駄目だ、またどうでもいいことを思い出してしまった。



「いえ、その。う、打たれ弱いんです。蚤の心臓です。あんなに注目された中で言えるわけがありません」


「それは……悪かった。まさか、あんなに長引くとは思わなかったんだ」

 しょんぼりするテオドールに少し同情してしまうのは、家族の情というやつだ。


「せめて、レオン兄様経由で伝えてくれれば。……いや、呼びませんけど」

「そうか、その手が! ……って、呼ばないんなら一緒じゃないか」


「心構えが違います。謎の行動をする王子から、名前を呼ばせたい王子に変わります。怖さが全然違います」

 すると、テオドールが心配そうに覗きこんでくる。


「怖かったのか?」

「怖いですよ。目的不明ですし。不敬罪からの処罰狙いかとか考えましたよ。何を言っても伝わらないので、兄の頭がおかしいのかと心配もしました」


「……悪かった」

 今度こそ本格的にうなだれたテオドールの肩に、エルナはそっと手を置いた。



「わかってくれたならいいです。――さあ、それでは。約束の渾身の一発、参りましょうか」


 にっこりと右手を掲げる。

 イメージは、「手術を始めます」でお馴染みの医者のポーズだ。


「は? 今、いいですって……」

「はい。事情は分かりましたし謝罪していただいたので結構です。後は、清算ですね」

 エルナがスナップを効かせた素振りを始めると、テオドールが目に見えて焦り始める。


「待て、おまえ、その目――」

「渾身の、一発です!」

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