虹の聖女とお話しします
そうしているうちに学園は夏休みに入り、エルナはそのままレオンハルトと共に領地に帰ってきた。
静養のためであり、自分の気持ちを考えるためであり、母の話を聞くためでもある。
だが思った以上に疲労していたらしく、屋敷に到着した日はすぐに寝台の住人となった。
一晩ぐっすりと休んだエルナは、山と森に囲まれた穏やかな田舎の風景に癒されていた。
窓の外に広がるのどかな風景を見ていると、側妃のごたごたや『虹色パラダイス』のことなど夢だったのではないかと思ってしまう。
グラナートのことも、夢か、彼の気の迷いだったのではないだろうか。
王都に戻れば、うっかりしていたよと撤回するかもしれない。
それこそ続編に向けて、天の配剤でしれっとなかったことになっているかもしれない。
「……それならそれで、いいかもしれませんね」
少なくとも、これ以上モヤモヤと悩まずに済むのだから。
「エルナ、起きて平気なの?」
「はい、お母様」
「なら、お茶にしましょう」
母の手招きについていくと、既にお茶の準備が整っていた。
もともとお茶を飲む予定だったのか、エルナがお茶に来るとわかっていたのか。
二人分の用意がされているので、多分、後者だ。
今までは母の勘と思っていたが、これも聖なる魔力なのかもしれない。
何故なら、この母こそが『虹色パラダイス』のヒロインにして、虹の聖女と呼ばれる存在なのだから。
ユリア・ノイマン子爵夫人が、ユリア・エーデルと呼ばれていた少女の頃。彼女の髪は虹色だったらしい。
「色合いは嫌いじゃなかったけどね。目立つから、面倒なことも多かったわ」
知っている。
入学式の日に、髪色ごときで文句つけるなんて暇ですねって、鼻で笑ったらしい。
あくまでも『虹色パラダイス』の情報だが、多分間違っていないのだろう。
エルナはちらりと母を窺う。
焦げ茶色の髪に黒曜石の瞳の、ごく普通の女性に見える。
年の割には若々しくて美しいとは思っていたが、まさか乙女ゲームのヒロインだったとは夢にも思わない。
ただ、領地にいた頃は日本の記憶を取り戻していなかったので、普通の肝っ玉母さんくらいに思っていた。
……いたのだが。
「……あの、お母様の周りのそれは何ですか?」
「やだ、エルナも見えるようになったの? 聖なる魔力を継いでいるってレオンハルトに聞いたけれど、本当なのね」
柔らかい物言いと表情なのだが、その背景がさっぱり穏やかではない。
エルナにはユリアを取り囲むように、仏像の後光のようなものが見えている。
ただし、温かいとかありがたいという、優しい光ではない。
殺気を放射線状に放った光、という感じだった。
今までよく気付かずに接していたものだと自分に呆れるくらい、謎のプレッシャーを感じる。
「テオドールには聖なる威圧光線って言われたけど、酷いわよねえ?」
限りなく正解に近い気がしますとは言えず、曖昧にうなずく。
「テオ兄様には見えているんですか?」
「そうね。あと、レオンハルトは見えていないみたいだけれど、何か感じ取っているみたいね。あの子、物理的にはなかなか強く育ったから」
「物理的、ですか」
「レオンハルトは魔力皆無と言っていいわ。マルセル様に似たのね」
父であるノイマン子爵の名を呼ぶユリアは、とろけるように幸せそうだ。
言っている内容は「息子は魔法の才能がない」という身も蓋もないものだが、どうもユリアの中では誉め言葉らしい。
「エルナには迷惑をかけてしまったわね」
「はい?」
「虹の聖女と聖なる魔力が実在するというのは国でも極秘事項だから、知らせる方が危険だろうと思って口止めしていたの。でも結果的には、全部話しておいた方が良かったわね」
「いえ。それは、仕方ありません」
確かに、それなら最初からテオに接触せずに済んだのかもしれない。
だが、グラナートにも知らせておいてくれないと、結局名前を言ってくれ攻撃が来る可能性がある。
そちらは国王が決めることだろうから、事態が変化したかは微妙なところだ。
それに、エルナ自身に聖なる魔力があると分かったのはつい最近なので、ハンカチ製造販売からの騒動はどちらにしても起こっていた気もする。
「でも、何で急に聖なる魔力が出てきたんでしょうか」
思い当たる変化は学園入学と、日本の記憶がよみがえったことくらいだが、何か関係はあるのだろうか。
「そうねえ。学園で魔法を身近に感じて抵抗がなくなったとかかしら。……あなた、魔法の存在、あんまり信じていなかったでしょう?」
「あるのは知っていましたよ」
「自分も魔力があるかもとか、家族はどんな魔法を使うのかとか考えなかったでしょう? 他人事として、存在を知っていただけなのよね、多分。それが、親近感でも湧いたんでしょうね。魔法って、思っている以上に精神状態に左右されるのよ」
『虹色パラダイス』のことと同時に、魔法があるということも思い出しているからだろうか。
『世の中にはそんなものもあるらしい』という認識では自分は関係ないと抑制がかかっていたのに、『この世界には本当に魔法がある』と知ってそれが解けたのだろうか。
「そう言えば、第二王子にプロポーズされたんですって?」









