ヒロインと知り合いになりました
――リリー・キール。
それが、ヒロインの名前らしい。
何故知っているかといえば、学園に数名しかいない平民だからだ。
そもそもこの学園は、日本でいう高校生くらいの男女が学ぶ場である。
身分に関係なく、魔力があると分かれば必ず通うことが義務付けられている。
とはいえ、実際は平民には魔力持ちが少ないので貴族だらけ。
エルナは自分が何をもって魔力ありに分類されたのか不思議だったが、少なくとも貴族はとりあえず入学させているようだと聞いて納得した。
そんな中に魔力持ちの平民で虹色の髪の美少女がいたら、当然目立つ。
名前なんて、聞いてもいないのにわかる程度には有名人だ。
しかも、どうやら並の魔力ではないらしいという噂である。
魔力とか魔法とかいうと、ロールプレイングゲームなどを思い浮かべてしまうが、どうやら少し違うようだった。
残念だ。
炎の玉とか稲妻的なものを使えるのかと、興奮したのだが。
めくるめく冒険の旅が頭をよぎったが、よく考えると魔物なんて滅多に出るものではなかった。
魔物討伐というよりは魔物捜索だ。
それも、秘境探検レベルの捜索で、見つけても報奨などない。
あまり惹かれない。
というか、エルナは一応貴族令嬢なので多分その道を選ぶのは無理だ。
魔力は魔法を使うために必要なエネルギーで、だれでも持っているわけではない。
けれど、持っていればいいという問題でもないらしい。
要はいわゆるマジックパワー的なものがないと魔法は使えないし、それがあっても呪文を覚えないと魔法は使えないらしいのだ。
その辺りの仕組みを教えつつ、素養のある人物を進級させて魔法を教えるらしい。
ここで、エルナにひとつの希望の光が見えた。
「素養なしと認められれば、学園終了からのウキウキ領地生活じゃないですか!」
素養の無さを見せつければ学園から、つまり『虹色パラダイス』という危険な舞台から遠ざかれるのだ。
王族はさすがの魔力なので進級間違いなしらしいし、並々ならぬ平民ヒロインもきっと進級する。
最大で三年の学園生活は余すところなく、恋の嵐吹き荒れるイベントの宝庫となりはてるだろう。
その前に撤退するのだ。
思わぬ嬉しい発見に、思わず顔が綻ぶ。
「何をしましょうか。こころゆくまで刺繍三昧もいいですね。そういえば、赤の糸がそろそろなくなりそうでしたね。買いに行かないと。品質が良くて低価格のお店を調べないといけませんね」
ノイマン家は子爵とはいえ、名ばかりの田舎貴族。
貧乏とまではいかないが、浪費する余裕はないのだ。
領地なら懇意にしているお店があるのだが、王都は勝手がわからない。
「よろしければ、いいお店をお教えしましょうか?」
「まあ、ありがとうございま……」
反射的にお礼を言いながら振り向くと、そこには虹色の髪の美少女――リリーの姿があった。
「……す?」
状況が呑み込めず、じっとリリーを見てしまう。
ふわふわと柔らかな虹色の髪は絹のように滑らかで、紅水晶の瞳も輝いて。
整っているけれどあどけなさも残る可愛らしい顔立ち。
これは、もう……。
「天使ですか」
「え? ……そ、そんなに喜んでいただけるなら、お教えする甲斐もあります」
「あ、違います。いえ、お店を教えていただけるのは嬉しいのですが。あなたが綺麗で可愛らしかったもので、つい」
「……は、はあ……」
さらに声まで可愛いのだが。
これはもう、ヒロインになるべくしてなったとしか言いようがない。
天が二物どころかありったけのものを詰め込んで、手土産まで持たせているとしか思えない。
ここまで偏っていると、いっそ清々しい。
暫し眼福を堪能せざるを得ない。
リリーはきょとんとこちらを見ていたが、やがてくすくすと笑いだした。
鈴を転がすような、という形容詞がぴったりの可愛らしい笑い声だ。
さすがはヒロイン、笑い声もまた可愛らしい。
「あなたは私を避けないんですね」
「はあ、そうですね」
一応、関わらないようにはしていたのだが、話しかけられて無視するのはさすがに失礼だと思う。
決してお店の情報につられたわけではない。
……と思いたい。
「刺繍糸のお店は王都の中心部から少し離れますけれど、馬か馬車を停めるなら……」
「あ、大丈夫です。歩いて行きますので」
「えっ?」
そんなに驚くということは、馬車がないと疲れる距離なのだろうか。
「大丈夫ですよ? これでも健脚です」
「あなたが歩くんですか?」
この口ぶりだと、どうやら使用人が買い物代行すると思われていたらしい。
「だって、実際に見ないと色合いとか……あと、お値段の交渉も」
「しかも値切るんですか?」
愕然、という表情のリリーを見て、領地での自分の行いはあまり普通ではなかったらしいと今更気づく。
どうやら一般の貴族令嬢はお店を探して、歩いて買いに行き、値段交渉はしないらしい。
ノイマン領は、自由で平和だったようだ。
いや、ノイマン子爵家が、というべきか。
「祭り上げず、排斥せず、奢らず。それに……」
ぶつぶつと何か呟くリリーの表情が先ほどまでの柔らかいものから、凛としたものへと変化する。
「気に入りました」
何か企んでるとしか思えない、イイ笑顔のリリーを見て何となく気付いた。
どうやら、美しくて儚いだけの乙女ではなさそうである。
「あなたのお名前は?」
「エルナ・ノイマンです」
反射的に答えてから、しまったと後悔する。
合言葉は『私は空気』。
ヒロインと知り合いになってはいけないのに。
「私は、リリー・キールです。一緒に行きましょう。ご案内します、エルナ様」
天使のごとき極上の笑顔で、リリーは平穏な空気への第一歩をぶち壊してくれたのだった。