番外編 テオドール・ノイマン 2
「――その手を離せ」
グラナートの低い声に、テオドールの背筋が凍る。
男がエルナの腕をひねり上げ、彼女が苦痛の顔で声を漏らした。
その瞬間に、グラナートの気配が変わったのだ。
これは、やばい。
男が魔力を持っているかはわからないが、この殺気にも似た気配は察したらしい。
ひるんだ瞬間にエルナが腕を振り払う。
おかげで、テオドールは難なく男を倒すことができた。
だが、問題はこちらではない。
「あなたも、落ち着いてくださいよ」
努めて平静にそう言うと、グラナートの気配はすっと元に戻った。
いつもの穏やかな顔で、エルナに話しかけている。
正直、こんなならず者の男達よりもよっぽど危険だった。
グラナートの魔力は王族の中でもずば抜けていると聞いてはいたが、想像以上だ。
あのまま魔力が暴走でもしたら、辺り一帯焼け野原になりかねない。
王子であることを自らに律する、普段の彼からは想像できない姿だった。
その原因となったのが……エルナ。
これは、もしかして、もしかするのだろうか。
鈍いと言われているテオドールでも、さすがに考えてしまう。
先刻も、リリーの魔力についてエルナに聞きたいからと、テオドールに席を外すように言ってきた。
虹の聖女の関係者か確認するのにテオドールが邪魔なのだろうと思っていたが、もしかして。
……もしかするのだろうか。
********
「殿下と話はできたか?」
ノイマン邸で話をした後に、エルナに直接聞いてみる。
護衛対象であるグラナートと妹のエルナの甘酸っぱい話かと、少しの期待と少しの寂しさを抱えて尋ねてみれば。
「リリーさんのような優秀な魔力の方が伴侶なら安心だ、というようなことを仰っていました」
「まあ、でもゾフィを手伝ってくれたり、意外と律儀ないい方だったので、リリーさんとの仲を取り持ってあげようと思っていたところです」
……あの、馬鹿。
何を言っているんだ。
リリーが虹の聖女の関係者か確認するんじゃなかったのか。
なんでリリーが伴侶という話になっているんだ。
エルナもエルナだ。
何で仲を取り持とうとしているんだ。
あれだけ挨拶されて、名前を呼んでくれと言われて、何で何も思わないんだ。
よく周りを見てほしい。
グラナートが自ら話しかけているのは、エルナとリリーの二人だけだ。
この時点で、どうでもいいクラスメイトでないのは明白だろうが。
しかも、名前を呼んでほしいというのはエルナにしか言っていない。
まあ、虹の聖女の関係者か確認するためではあるけれど、それにしたって他の女生徒とは違う扱いにちょっとはときめいたりしないのか、妹よ。
男のテオドールが言うのもアレだが、グラナートはこれぞ王子様という美少年だぞ。
ここでときめかずに、どこでときめくんだ、妹よ。
********
側妃にさらわれ、グラナートが助け出したエルナが、ようやく目を覚ました。
どうやら妹も母の虹の聖女の力を受け継いでいたらしい。
事の経緯を一通り説明すると、エルナがとんでもないことを口にした。
「殿下が水宝玉と虹を見ていたいと。他に渡したくないから、婚約してほしいって」
テオドールは盛大に水を噴き出した。
急だ。
急すぎる。
もっと色んな過程があっただろう、グラナートよ。
まあ、ようやくグラナートも自分の気持ちを自覚したということか。
執拗に名前を呼ぶように言ってる間は、この関係はどうなんだと思っていたが、まさか一気にプロポーズするとは。
グラナートのことも弟のように思っていたので、何だか嬉しくなってくる。
「それで、なんて返事したんだ」
「無理ですとお断りしました。国として保護しておきたいというのはわかりますが、殿下の妃になる方に申し訳ないですから」
……何を言っているんだこの妹は。
何だ、保護って。
誰だ、殿下の妃って。
「……お前、そう言ったのか?」
「はい」
「殿下はなんて?」
「その後眠くなってしまったので、よく覚えていないです」
何でそんなことになっているんだ。
エルナが『他に好きな人がいるからグラナートの気持ちに応えられない』と言うのなら、まだわかるが。
何で、そこまでグラナートの気持ちが届いていないんだ。
いや、届くどころか、かすりもしていない。
寧ろ、おかしな方向にねじ曲がっている。
このままでは、エルナはグラナートの妃を嬉々として斡旋しかねない。
グラナートは今頃、エルナに振られたと思っていることだろう。
早く教えてあげなければいけない。
エルナは、グラナートの想いに気付いていない。
何にも伝わっていない、と。
「言葉が伝わっていないどころか、こじれているのはわかった。いいから、殿下とちゃんと話せ」
ちゃんと話して、グラナートの気持ちを聞いてやれ。
おまえは知らないだろうけど、あの馬鹿王子は本当におまえを想っているんだぞ。









