番外編 テオドール・ノイマン 1
「……では、僕も挨拶をしたから、これからはグラナートさんと呼んでもらえますか?」
護衛対象であるグラナートがそう言った時には、思わず言葉を失った。
王子が敬称ではなく名前を呼ぶことを許すというのは、普通ではありえないことだ。
一般男子生徒だとしても、女生徒に『名前を呼んでくれ』と言えば好意を伝えているに等しい。
百歩譲って『グラナート殿下と呼んでくれ』という意味だったとしても、それはほとんど変わらない。
はたから見れば、エルナを気に入ったと宣言しているようなものだった。
「……殿下、あれはどういう意味だったんですか」
極太の針で突き刺すような妹の視線を受けて、どうにかその場からグラナートを連れ出した。
冗談だったとしても、あの場で言っていいことではない。
グラナートは女遊びをする方ではないし、嫌がらせをするような人間でもない。
だからこそ、何故急にあんなことを言い出したのか、テオドールにはわからなかった。
「テオの遠い親戚なんですよね? 彼女も虹の聖女の関係者なのかと思って、確認したかったんです」
グラナートはテオドールの母が虹の聖女だということを知らない。
テオドール・ノイマンという名前も知らない。
彼の中ではテオ・ベルクマンという男爵家の四男ということになっている。
それが王命であり、母の命だから、虹の聖女のことは秘匿されていた。
勿論、聡いグラナートはそれが偽名であることもわかっている。
彼なりに虹の聖女というものについて調べているのは知っていたが、何故それがエルナに名前を呼ばせることになるのだろうか。
「魔力確認の授業では、特別な魔鉱石に二人一組で触れて相手の名前を呼ぶことで、魔力の強弱や系統がわかると言ってたでしょう?」
テオドールはうなずく。
というか、既に学園を通い終えたテオドールはその授業を受けたことがある。
虹の聖女の瞳を継いでいるので授業は欠席して補習という形にしてもらったが、後日先生と確認してみると魔鉱石が淡く虹色に光ったのでびっくりしたものだ。
先生は数少ない虹の聖女の素性を知る人なので問題なかったが、もし授業に出ていたら大騒ぎになったことだろう。
「あれをやってみようと思ったんです。僕の名前を呼んでくれれば、大体の魔力の系統がわかりますから」
しれっと、とんでもないことを言っている。
特別な魔鉱石も何もなく一人でそれだけのことができるとは、さすがは直系王族といったところか。
いや、グラナートの魔力は王族の中でもずば抜けていると国王は言っていた。
彼だからこそ、できる芸当なのかもしれない。
だがしかし。
「王子が一人の女生徒に名前で呼ぶことを請うなんて、ありえませんよ。特別ですと言っているようなものです」
正直、エルナが心配だ。
嫉妬にかられた貴族連中に、目の敵にされないといいのだが。
「そうか。確かに。……だが、テオは教えてくれないんでしょう? なら、こうするしかないです」
「いや、確かに教えられないけど。何もあの子の魔力を確認しなくても」
「虹の聖女と関係ないと確認できれば、それ以上は関わりません。それでいいでしょう」
母である王妃を呪いの魔法で亡くしているグラナートにとって、聖なる魔力についての情報は譲れないものなのだろう。
エルナは母の瞳も髪も継いでいないので、特に問題ないとは思うのだが。
領地の祭りでハンカチを売った際に『幸運のハンカチ』などと呼ばれていたので、多少なりは魔力を持っているのだろう。
何にしても、エルナが名前を呼べば終わるのだからいいか、と結論を出す。
その後、一向に名前を呼ばないどころか挨拶すると華麗にかわして一目散に退散する妹と、それに食らいつく王子という意味の分からない構図になるとは、この時思いもしなかった。










