番外編 リリー・キール 2
「やっぱり……いえ、とても綺麗です。ありがとうございます」
エルナに貰った刺繍ハンカチからは、魔力がにじみ出ていた。
清らかなそれは、リリーが知っているどの魔力とも違っていた。
浄化でもできそうな清浄な魔力だが、どうもエルナは気付いていないらしい。
わかっていたら、こんな聖なる爆弾みたいな物騒なハンカチをリリーに渡さないだろう。
エルナに害をなそうものなら、ドカンと何かが起きかねない。
それとも、悪意や害意を持たないと思ってくれているのだろうか。
リリーを信頼しているのだろうか。
そう思った瞬間から、胸の奥が温かくなるような気がした。
花の部分の刺繍は虹色のグラデーションで、リリーの髪の色に合わせて作られたのがわかる。
厄介事ばかりで切ってしまおうかと思っていた髪だが、こうしてハンカチを見ていると少しだけ好きになれそうな気がした。
ああ、きっとこれも、浄化の力なのかもしれない。
********
「なんで話しかけてくるんでしょう。意味がわかりません」
グラナート王子と護衛のテオに話しかけられ、逃げるように立ち去った後、エルナはそう言った。
令嬢達に囲まれたと聞いて、助けになればとそばにいるようにしたが、ただ挨拶してくる人をあしらうのは意外と難しいということがわかった。
だが、もうひとつわかったことがある。
「……なんだ、グラナートさんと呼んでくれないんですか?」
金髪の見目麗しい王子は、首を傾げてエルナに聞いていた。
あれは、エルナに興味があるのだ。
いわゆる好意かどうかはわからないけれど、エルナと話したいのだ。
リリー自身がそうだったからわかる。
王族が名前を呼んでくれというのは些か軽率だとは思うが、王族ゆえにエルナの魔力に惹かれているのかもしれない。
一般的に、身分が上がるほどに魔力を待つ者は増え、魔力は強くなっていくと聞いたことがある。
直系の王子であるグラナートなら、魔力も相当なものだろう。
魔力を持つ者は、魔力に惹かれる。
なのに、エルナは何も気付いていないらしい。
「そういえば、殿下はやたらと『グラナートさん』と呼ばれたがってましたよ。王子ゆえの願望ですかね。私には無理ですけど、皆さん是非呼んで差し上げてください」
取り囲む令嬢も困惑していた。
それもそうだろう。
王子が名前を呼んでくれと言うはずがない。
不敬罪で処罰したいのなら、あえて言わせることもあるかもしれないが、誰が真に受けるというのか。
********
「あなた、グラナート殿下が名前で呼ばれたがっているなどと、わたくし達を騙しましたわね?」
「どういうことですか?」
「あなたが! 『グラナートさん』と呼ばれたがっているなどと嘘をついたでしょう」
「殿下に不敬であるとお叱りを受けましたのよ! どうしてくださるの!」
真に受けた人がいた。
リリーに言わせれば、どう考えてもそんなはずはないのだから信じた方が悪い。
だが、貴族の自分中心な思考では、エルナが騙したことになっているらしい。
大変迷惑だ。
かつてリリーに勝手に懸想して、勝手に婚約しようとした挙句、玉砕したのを逆恨みしてつきまとっていた貴族を思い出す。
「お嫌いな平民と田舎貴族の言うことを勝手に信じておいて、結果が悪いからと責任転嫁されても困ります」
イライラしてつい本音を口にすると、ざわりと空気が変わる。
失敗した、とリリーは後悔した。
怒りや悪意が周囲に広がったその時だった。
「でも、本当に言ってたんですけどねえ。『グラナートさん』と呼んでくれないのか、って。二回も。……高貴な方の考えることはよくわかりませんね」
エルナが呑気にそう言った途端に、まるで中和でもされたかのように広がっていた悪意がすっと薄まっていく。
「本当に言われたの?」
「……え、名前を呼んでもいいというお許しだったのではなくて?」
「呼んでくれないのかと請われたの、ですか?」
「二回も?」
何やらブツブツ言っていたが、先程までの刺すような悪意はなくなっている。
やはり、エルナには悪意を中和なり浄化なりする力があるようだった。
その後も水の入ったバケツを持った令嬢が転んだり、エルナの教科書に触れた形跡があるのに並び替えられているだけだったりと、明らかに嫌がらせが矮小化されていた。
これなら、平民だ虹色の髪だと色々言われる自分がそばにいても、迷惑をかけずに済むかもしれない。
エルナ自身はさっぱり気付いていないようで、地味な『嫌がらせっぽいもの』の謎に首を傾げている。
「でも、相手を刺す者は相手に刺されることを覚悟しなければならないって言うじゃないですか」
「エルナ様。どこの武人なんですか」
意外と物騒なことを言うけれど、本質は優しいのだろう。
でなければ、厄介なリリーの相手をしようとは思わない。
「前向きなところは見習いたいですね」
「エルナ様は、そのままでいいんです」
そのまま、そばにいさせてください。
リリーにも初めて、友達と呼びたい人ができたのだ。










