違和感の正体がわかりました
「え、はい……あ、でも私は本当に、ただ刺繍をしていただけで。……お店にその魔力持ちの方がいたのでしょうか?」
こうなると、それくらいしか考えられない。
沢山売れてほしいという情熱が清浄な魔力になるのかは、甚だ疑問ではあるけれど。
「それなら、あなたが持っていた私物のハンカチが呪いの魔法を退けたのは、おかしいですよね」
確かにそうだ。
あの時投げつけたのは、刺繍しすぎて分厚くなったハンカチで、お店には出していない。
「……あれ?」
でも、聖なる魔力を持つという聖女はヒロイン、つまりリリーだ。
これは間違いないのだが、どうも辻褄が合わない。
睡眠薬の影響だろうか。何だか混乱して考えがまとまらない。
「僕はエルナさんが虹の聖女なのかと、テオに聞きました」
「ええっ?」
「違うと言われました」
「ですよね!」
変なことを言って、びっくりさせないでほしい。
「虹の聖女は、テオの母親だそうです」
「そうですか。テオ兄様の……って、うちの母ですか⁉」
虹の聖女というのは、『虹色パラダイス』のヒロインのことじゃないのか。
リリーはどうした。
グラナートと母では、年の差不倫ロマンスになってしまうではないか。
そんな泥沼な乙女ゲームはどうかと思う。
「かつて父と同級生だったよしみで、僕の身を守る術を相談したそうです。そこで、聖なる魔力を少し継いでいるテオを護衛につけてくれたんです」
「魔力って、遺伝するんですか? というか、本当に母が虹の聖女なんですか」
「魔力は必ずしも遺伝するわけではありませんが、テオには受け継がれたようです。黒曜石の瞳は母親譲りだと言っていました」
確かに、レオンハルトは父譲りの瑠璃、エルナは水宝玉の瞳なので、母の瞳の色を受け継いでいるのは、テオドールだけだ。
逆に母の焦げ茶色の髪をレオンハルトが、父の黒髪をテオドールが継いでいる。
エルナは水宝玉の瞳に濃い灰色の髪と、誰にも似ていないのが小さい頃は寂しかったのを覚えている。
「でも、レオン兄様。……上の兄も、母の髪の色を受け継いでいますが」
「魔力は、瞳の色に一番現れると言われていますから、そのぶんテオが受け継いでいるのでしょう」
「そうですか。……いえ、その前に、本当に虹の聖女なんですか?」
聖女がいないのなら、リリーが聖女ルートを選ばなかったということだろうから、理解できる。
だが、聖女がいて、それがリリーではないというのは意味が分からない。
「僕は実際に会ったこともありませんから、父の話しか分かりませんが。学園時代から美しい黒曜石の瞳と虹色の髪の優秀な女性だったと聞いています。父が誘拐された時にも救出に来てくれて……なんでも、その時に聖女としての魔力に目覚めたらしいのですが、極秘事項として扱われたために知っているのはわずかな人間だけだそうです」
「……え?」
今、グラナートは何と言った?
「母の髪の色は、焦げ茶色ですが」
「ああ、魔力が多いと髪の色が変化する人もいると聞いたことがあります。虹の聖女ですから、そういうことがあっても不思議ではありませんね」
恐る恐るエルナが問うと、グラナートは平然と答えた。
……まさか。
知らず、拳を握り締めながら、エルナは口を開く。
「……国王陛下の、髪と瞳の色は何色でしょうか」
「父ですか? 淡い金髪で、兄よりは僕の方に近い色ですね。瞳の色は青玉です」
――やはり。
『虹色パラダイス』についてエルナが知っていることは少ない。
パッケージから、白い鐘楼のある学園が舞台と思われること。
ヒロインは虹色の髪で、男前。
メイン攻略対象は淡い金髪で、瞳の色は青玉の、イケメンヘタレ王子。
二人は入学式の日に学園の入口で出会う。
王子が誘拐されてヒロインが助ける。
聖女ルートがある。
……これだけだ。
リリーは虹色の髪という部分以外は、当てはまらない。
グラナートは淡い金髪で王子だが、それ以外当てはまらない。
対して母は、学園時代は虹色の髪。
国王は当時王子で、淡い金髪に青玉の瞳。
子供であるグラナートとスマラクトから察するに、美少年だったことは間違いない。
そして、誘拐された当時の王子を母は助け出していて、聖なる魔力に目覚めているという。
つまり。
――母こそが、『虹色パラダイス』のヒロインなのか。
エルナは力が抜けて、ベッドに倒れこんだ。
「エルナさん! 大丈夫ですか?」
返事する気力も奪われ、ただうなずく。
道理で違和感があったはずだ。
転生したらしいと気付いて、ここが『虹色パラダイス』の世界だと知ってから、何の疑いもなくリリーがヒロインなのだと思っていた。
虹色の髪で、魔力も優秀な平民の美少女なんて素晴らしいスペックは、ヒロインに間違いないと。
入学式に思い出したから、そこからスタートするゲームと同じ時間軸だと勝手に思い込んでいたのだ。
グラナートの好感度がなかなか上がらなかったのも、悪役令嬢がほぼ存在しないのも全部、ヒロインはリリーじゃないのだから当然だ。
『虹色パラダイス』の母の物語は、もう終わっていたのだから。
……ということは、ヒロインと王子に関わらないように気を遣っていたエルナの行動は、まったくの無意味だったということになる。
「私、なんて無駄なことをしていたんでしょう……」
脱力感から思わずそう呟くと、グラナートがエルナの手をそっと握る。
「僕は、エルナさんに助けられました。あなたは、何も無駄なことなんてしていません」
「いえ、そういうことでは……」
不甲斐ない自分を責めているとでも思われたらしい。ある意味ではその通りだが。
「『グリュック』のハンカチからは、清浄な魔力がにじみ出ています。……僕はこのハンカチを手に入れた時に、あなたの瞳を思い浮かべました。水宝玉を思わせる、透き通った魔力だったから」
グラナートはエルナの手を握ったまま、話し続ける。
慰めてくれるのはありがたいが、後半は誉めすぎだ。
王子様は、誰にでもこういうことを言っているのだろうか。
それとも、乙女ゲームのキャラクターだからこうなってしまうのだろうか。
勘違いされかねないからやめておいた方がいいと、心配になる。
もはや、弟を心配する姉の心境だ。
脱力感と疲労も相まって、何だか眠くなってきた。
だが、グラナートは真剣な眼差しでエルナを見つめている。
「いつまでも、そばで美しい水宝玉と虹を見ていたい。他には渡したくない。……僕と婚約していただけませんか?」
ゆらゆら揺れる意識の中、エルナは考える。
なるほど、虹の聖女の娘を国として保護したいということか。
それでも、婚約者という肩書きをつけるのはいかがなものかと思う。
「やめましょう……無理です」
エルナの呟きに、グラナートが固まる。
善意を蹴られたのだから仕方ないかもしれないが、こちらだって令嬢達の嫉妬が怖いし、面倒くさい。
あと、眠い。
「国として珍しい魔力を保護したいというのはわかりますが、私は魔力の使い方もわかっていませんし……何より、殿下の妃になる方に申し訳ないです」
グラナートは以前、優秀な魔力のリリーが伴侶なら安心というようなことを言っていた。
ここが『虹色パラダイス』のシナリオから外れた場所だとしても、グラナートがリリーに好意を持っているのは明らか。
名ばかりとはいえ、自分以外に婚約者として扱われる人間がいるなんて、未来の妃に失礼ではないか。
「――僕は」
「何だか、疲れました……」
入学式の日からずっと気を付けて関わらないようにと頑張っていたのが、まるっきり無駄だというのはショックが大きい。
色々考えたせいなのか、まだ睡眠薬が効いているのかわからないが、どっと疲労感がきて更に眠くなる。
泥のような眠気に抗えずに、エルナは意識を手放した。









