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初めて魔法を見ました

「従う気になってくれたかしら?」

「……従うも何も、私は聖女なんかじゃありません……」


 口元を覆っているが眠気は強くなるばかりで、体に力が入らないし、思考がまとまらない。


「まあ。それでは、確認してみましょうか」

 そう言うなり、側妃は指をエルナに向ける。


 その瞬間にエルナの横を何かが通り過ぎたと思うと、熱い痛みが左頬に走る。

 恐る恐る触れてみれば、指にべっとりと血が絡みついた。

 遅れて、切断された髪の毛がはらはらと幾筋か舞い落ちる。


「……攻撃魔法は防げないのかしら。それとも、不意打ちは駄目なのかしらね」


 初めて魔法を見た。

 というか見えはしなかったけれど、接した。


 本当に魔法はあるのだという呑気な驚きと共に、人をためらいもなく傷つける側妃に恐怖を感じる。



「では、聖なる魔力でなければ防げない、呪いの魔法にしましょうか。そうしましょう」


 妙案が浮かんだとばかりに、手を叩いてはしゃぐ姿は無邪気で。

 まっとうな人間ではありえない発想に、本能が警告を発する。


「呪いの魔法って……」

「わたくしは公爵家の出で、魔力は十分にあります。呪いの魔法を相手に直接使うのは久しぶりですけれど、大丈夫ですから心配いりませんわ」


 今、何と言った。


『相手に直接使うのは久しぶり』ということは、誰かに使ったことがあるのだ。

 エルナはぞっとした。


「わ、私が聖女じゃなかったらどうするんですか」

 あら、と側妃は首を傾げて思案すると、微笑んだ。


「それでは、呪いを受けてしまいますわね。……大丈夫、すぐに楽になりますから」


 意味が分からない。

 話が通じない。


 ……逃げなければ。

 厚手のハンカチをぎゅっと握りしめると、震える膝に力を込めて立ち上がる。


「あなた……」



 驚く側妃に渾身の力でティーカップを投げつけると、扉をこじ開けて走り出す。


 紅茶がこぼれる音、カップが割れる音、女性の悲鳴。

 背後から聞こえる音を振り切るように、エルナは足を動かし続けた。


 廊下を曲がり、階段を降りる。

 ここがどこかはわからないけれど、出口を探さなければ。


『聖女ルートだと、魔法が出てくるんだけど』という日本の友人の言葉だったが、これが聖女ルートなのか。

 魔法が出てくるというのは、攻撃されるということなのか。


 そもそもヒロインのリリーでもないのに、何故こんなことに巻き込まれているのか。

 呪いの魔法とはどんなもので、何故側妃が使えるのか。

 側妃が直接呪いの魔法を使った相手というのは誰のことか。


 ぐるぐると、とめどなく疑問が湧いてくるけれど、まずは逃げなければならない。

 火事場の馬鹿力で何とか飛び出してきたものの、睡眠薬の影響で体が重いし視界が揺れる。


 息苦しさから胸を押さえながら廊下の角を曲がると、何かに思い切りぶつかった。

 衝撃で傾いだ体は、何かに支えられて倒れずに済んだ。



「――エルナさん⁉」


 聞いたことのある声に顔を上げれば、そこには大きく見開かれた柘榴石(ガーネット)の瞳があった。


「……殿下? 何故ここに」

 グラナートはエルナを見るとほっと息をつくが、次の瞬間、表情が険しくなる。


「怪我を……それに、何か薬を使われましたか。……髪も」

 グラナートはそっとエルナの左頬に触れると、すぐに離して拳を握りしめる。


「睡眠薬だと。いえ、それよりもここはどこですか? 何故、殿下がここに?」

「ここは王宮の一部。ツヴァイ宮です」

 どこかの貴族のお屋敷かと思ったら、まさか王宮だったとは。


「あなたがいないとリリーさんが知らせてくれました。……探しました」


 リリーを待っている間にいなくなったのだから、リリーがエルナを探すのはわかる。

 でも、何故わざわざグラナートに知らせたのだろう。


「ミーゼス公爵令嬢があなたと歩く不審な生徒を目撃していたので、そこから何とか調べました」


 アデリナが見ていたとは。

 確かに、一生懸命早足で歩いてはいたが正直恐ろしいほど遅かったので、意外と近くにいたのだろう。



「心配しました」

「わざわざ、すみません。でも、何故殿下がいらしたのですか? テオさんは?」


 エルナが攫われたといってもグラナートにはまったく関係がないし、むしろ危険な可能性があるなら護衛のテオが関わらせないのではなかろうか。


「窓から白いものが垂れ下がっていたので確認をしようとしたら、宮の入り口でテオは止められました。だからこそ、ここにいるのだろうと思って来ましたが……少し遅かったようですね。すみません」


 なんと、エルナがぶら下げた包帯が意外なところで役に立っていた。

 何でもやってみるものである。


「いえ、そんな」


 ヒロインでもないエルナを探しに来てくれただけでもありがたい。

 グラナートのボランティア精神に感謝である。

 手を小さく振って否定するが、グラナートの顔が更に険しくなり、エルナの手をとる。


「これは?」

 握った右手首は赤く腫れた上に、縄の痕がくっきりと残っていた。


「いえ、ちょっと縛られただけで」

「縛られた。こんなに痕が残るくらいですか。だいぶ腫れていますね」

「は、腫れたのは昨日からなので、大丈夫です」


 何が大丈夫なのか自分でもわからなかったが、何故かどんどんグラナートの機嫌が悪くなっていくのが怖い。



「それよりも、ここから出たいのですが」

「……こんなところに、いましたの」

「ひっ」

 背後から上品な女性の声が聞こえ、エルナは思わず小さな悲鳴を上げた。


 グラナートが背後にエルナを隠すように立つと、声の主である側妃は扇で口元を隠しながら、困ったように笑った。


「グラナート殿下、お久しぶりね。その方はわたくしの客人です。返してくださる?」


 穏やかで上品な微笑みに、エルナはぞっとする。

 この人はエルナのことをモノとしか思っていない。

 自分に利があればそれでよし、でなければどうなっても構わないのだ。


「返すも何も。この人はあなたのものではありませんよ、側妃殿下」

 ぴくり、と側妃の顔が少しだけ歪む。


「あなたのものだと、仰るの?」

「いいえ」


「でしたら、わたくしの邪魔はしないでくださる? 男性にはわからない、女性同士の話というものがございましてよ?」


 女性同士の話というのは、さっきの睡眠薬を盛って魔法で攻撃をすることだろうか。

 常識が違いすぎて、恐怖からぎゅっと拳を握りしめる。


 そういえば左手には厚手のハンカチを握りしめたままだったが、既にしわくちゃな上に血がついて汚れていた。

 側妃の言う女性同士の話をすれば、次は命がないかもしれない。



「彼女を使って何をするつもりか知りませんが、いつまでも勝手が許されると思わない方がいいですよ」


「まあ、怖い。そうやって人のものを盗ろうとするところは、母君のローゼ様にそっくりですわ。血は争えませんわね」


 側妃の顔は微笑んでいたが、ハシバミ色の瞳は笑っていなかった。


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