誘拐イベントのターゲットを間違えてます
「さて。困りましたね」
エルナは手首をさすりながら、近くにあった椅子に腰かけた。
ここがどこなのか、何故ここに連れてこられたのか、わからなかったからだ。
学園の中庭で見知らぬ女生徒に刃物を突き付けられ、言われるままに一緒に移動した。
多少の怪我覚悟で刃物に立ち向かっても良かったのだが、それはしなかった。
女生徒の手は震えていて、小声でごめんなさい、と呟いていたのが聞こえたからだ。
積極的にエルナを害したいという感じではなかった。
となれば、誰かに頼まれるか……様子を見る限り、脅されての行動だろう。
そんなに恨まれることをした覚えはないが、テオのこともある。
間違った情報で誤解した令嬢の短慮、という可能性もなくはない。
何にしても、学園内ならそう危ないことはないだろうし、原因がわからなければ同じことを繰り返すかもしれない。それは、大変に面倒くさい。
だから、さっさと終わらせようとしたのだ。
どこかの教室か、裏庭にでも行くのかと思って歩くと、学園の裏門に着いてしまった。
そこには馬車があり、これまた見知らぬ女性と男性が立っていた。
震える声で「連れてきました」という女生徒にうなずくと、女性は馬車に乗るように促してきた。
逃げることはできなかった。
エルナが逃げれば、女生徒は酷い目に遭うと思ったからだ。
勿論ただの勘でしかないが、そう思えるほどには冷たい雰囲気の二人だった。
馬車に乗ると目隠しをされ、両手を紐のようなもので縛られた。
それほどきつくはなかったが、ちょうど怪我をした部分に当たるので結構痛い。
「逃げようとしなければ、手荒なことをするつもりはありません」
女性はそう言ったが、これが日本のサスペンスドラマなら、女生徒は口封じをされるのが定番だろう。
「その人を無事に帰してくれるなら、暴れたりしません」
女性の表情は見えなかったが、「わかりました」と約束してくれた。
その後、馬車に揺られ、目隠しのまま連れてこられたのがこの部屋だった。
「このままお待ちください」
目隠しと手の縄を外すと、女性は部屋から出て行ってしまった。
腫れた手首を縛られたので、痛くて仕方ない。
包帯をとって見てみると、赤く腫れていた上に縄の痕がしっかりとついていた。
「まあ、縛られたままじゃないだけ、よしとしましょう」
部屋を見渡せば、テーブルと椅子が二脚に、暖炉と窓。
調度類は簡素なように見えて上質で、高価なのは間違いない。
窓を覗いてみるが、木の枝ばかりが見えて、場所の特定をできるような手掛かりはなかった。
おそらくは三階以上の高さがあるので、窓から飛び降りるのは無謀だろう。
ふと思いついて、手に持っていた包帯を窓の外に結んで垂らしてみる。
見張りがいるなら、不審な行動を咎めに来るかと思ったのだが、特に何も変わらない。
外に見張りはいないか、特に問題のない行動とみなされたということだろう。
後者なら、関係者以外は立ち入れない場所の可能性がある。
「貴族のお屋敷か何かでしょうか」
となると、学園の生徒の屋敷だろうか。
グラナートとテオに挨拶されるせいで散々嫌味を言われてきたが、ついに実力行使に踏み切ったのかもしれない。
おそらくは貴族であろう女生徒を脅せるのなら、何か弱みを握っているか、より高位の貴族の命令なのかもしれない。
「でも、何をするつもりでしょう」
グラナートとテオに近付くなと言うのなら、いっそ学園を退学させるように圧力でもかけてくれないだろうか。
もしも、ただ恨みを晴らしたいだけだというのなら、怪我の一つでも負わせようとすることだってあり得る。
いや、可能性の話で言えば、誘拐という線だってある。
貴族の子息令嬢ばかりの学園だから、身代金目的にはちょうどいいはずだ。
だとすれば、大してお金のないノイマン家のエルナをさらったのは、見る目がない。
どうせならアデリナあたりをさらえば、莫大な身代金を払ってくれるだろうに。
その代わり、公爵の権力であっという間に捕まりそうなので、そういう意味ではエルナはちょうどいい規模の貴族なのかもしれない。
「……あれ、誘拐って何か……」
『誘拐って、ありがちな展開よね』
日本での友人の言葉が脳裏に蘇る。
「もしかして、これ、誘拐イベントですか?」
だとすると、リリーと間違われたということになる。
誰だか知らないけれど、間抜けな犯人だ。
虹色の髪の美少女と、灰色の髪の平凡なエルナをどうやったら間違えるのか。
「ああ、でも、平民の女生徒としか指示がなかったのなら、平民っぽい私をさらうのは仕方ないですよね」
なにせ、『グリュック』が平民作家と言われる程度には、平民っぽいのだ。
エルナがヒロインではない以上、ここに王子や攻略対象が助けに来ることはない。
自分で何とかしなくてはいけないだろう。
逃げてみようと思うものの、窓は無理だし、唯一の出入り口の扉には鍵が。
「……閉まって、ない」
どういうことだろう。
一応、さらって閉じ込めているのではないのか。
罠なのか。
罠って何だ。
仮にも誘拐したのなら、ちゃんと戸締まりくらいするべきだと思う。
「これは、うっかりさんということで、いいのでしょうか」
色々考えるのに疲れたエルナは扉を開けると、廊下を進む。
かなり大きな建物のようで、なかなか降りる階段が見つからない。
ウロウロしているうちに、侍女とおぼしき服装の女性たちに囲まれてしまった。
「こんなところにいらしたのですね」
「お探ししました」
「こちらです」
何故か丁重に扱われながら案内されたのは、重厚な扉の前だった。
仕方がないと腹をくくって中に入ると、そこは応接室のようだ。
先ほどとはうって変わって、豪奢な調度がひしめく室内。
促されるままに座った椅子も、細工の細やかさ、美しい金箔、埋め込まれた宝石、どれも一級品だと分かる。
エルナのおおざっぱな見立てでも、この椅子一脚だけで高級刺繍糸が山のように買えそうだ。
「お待たせいたしました。ビアンカ様のご到着です」
……待っていないし、誰だ、それは。
エルナは脳をフル稼働してビアンカという名前を思い出そうとしたが、まったく思い当たらない。
恭しく侍女が案内してきたのは、一人の女性だ。
年のころは四十代くらいで、金髪にハシバミ色の瞳が印象的な、美しい貴婦人だった。
華やかな甘い香りが微かに届くのは、香水だろうか。
所作や身にまとうドレスから察するに相当身分の高い女性と思われるが、エルナと面識はないはずである。
「急な案内で驚かれたでしょう? まずはお茶でもいかがかしら」
優雅に腰掛けると、侍女が淹れた紅茶を口にする。
零れる香りだけで、品質の良い茶葉を使っているのが伝わってきた。
エルナの前にも用意されたが、手をつけない様子に、貴婦人が微笑む。
「何も入っていませんから、安心なさって」
「いえ、手を痛めているので結構です」
利き手は手首が腫れているし、左手は二の腕が痛いのでカップを持ちたくない。
それに、そもそも『何も入っていない』というのを鵜呑みにはできない。
「ところで、あなたはどなたですか? 私は何故、ここに案内されたのでしょうか」
侍女達が一斉にエルナを睨むような視線を投げつけてきたが、知らないものは仕方がない。
貴婦人は気分を害した様子もなく、にこりと微笑んだ。
「わたくしは、ビアンカ・ヘルツと申します」









