これが、ギャップ萌えというやつですか
誰が見たのか知らないが、何という噂だ。
いや、本当なのだが『護衛のテオ・ベルクマン』がノイマン邸から出てくるのは、まずい。
色々、まずい。
「何かの間違いでは?」
「本当ですの?」
「昨夜、我が家に出入りした男性と言えば、執事見習いと兄くらいです」
嘘は言っていない。
兄がテオその人だが、アデリナは知る由もない。
日本の週刊誌と違って、写真を撮られたということはないのだから、これで押し切るしかない。
じっとエルナを見ていたアデリナは、ほっと息をつくと胸を撫でおろす。
「それなら、よろしいですわ」
安堵の表情を浮かべるアデリナを見て、ふと、エルナは違和感に気付く。
グラナートの婚約者候補の悪役令嬢なら、グラナートとリリーに対して嫉妬するはず。
だが、この話の流れでは、まるで。
「テオ……さんが、気になるのですか?」
ぽつりとエルナが呟くと、アデリナの頬が瞬時に朱に染まった。
「き、気になるなんて、そんな。わたくしは……!」
これ以上ないくらいわかりやすく狼狽している。
大人っぽい外見に対して、何ともピュアで可愛らしい反応だ。
「これが、ギャップ萌えというやつですか」
「え?」
「いえ、こちらの話です。……アデリナ様は、テオさんに好意を持ってらっしゃるのですね。大丈夫です。私とテオさんは、まったくそういう心配はありませんから」
何せ、実の兄妹なのだ。……言えないけれど。
「ほ、本当ですの?」
真っ赤な顔を両手で覆いながら静かに尋ねてくるアデリナは、悪役令嬢という感じではない。
ここにいるのは、ただの恋する乙女だった。
「はい。本当です」
「で、でも、あなたはテオ様のことを『テオさん』と、親し気に呼んでいるではありませんか。テオ様も、あなたの名前を『エルナ』と呼んでいますわよね?」
よく知っているな。朝の挨拶くらいしか言葉を交わしていないのだが。
まあ、教室は無人ではないので、誰かから聞いたのだろう。
親し気というからには、相当ねじ曲がった情報が流れている。
エルナは頭が痛くなった。
「あれは、何と言いますか。弱みを握られているので従っただけです。嫌がらせです」
「テオ様はそんなこと、いたしませんわ!」
真っ赤な顔で、それでも必死にテオを擁護する姿がいじらしい。
「本当に、お好きなんですね」
「そっ、そんなこと!」
これだけの美人で公爵令嬢なのだから、引く手あまただろうに。
それでも、男爵家の四男のテオが好きなのだ。
「……いいですね、そういうの」
エルナは多分、まだ恋をしたことがない。
こんな風に好きになれる人がいるというのは、素敵なことだなと思う。
「な、何がですか!」
「純愛を見ると、応援したくなるってことです。頑張ってくださいね」
「じゅ、純愛って……!」
もはや、耳まで真っ赤だった。アデリナは何かの限界に達したらしく、ベンチから立ち上がる。
「もう、よろしいですわ! ごきげんよう」
そう言って必死で早足に歩こうとするものの、まったく速度が出ない令嬢の後ろ姿に、知らず顔が綻んだ。
今は言えないけれど、テオがテオドールだと言えるようになったら、アデリナの恋を応援してあげたい。
あの困った兄にはもったいない美女だが、意外とお似合いかもしれない。
「……あれ?」
何となく幸せな気持ちになっていたが、急に疑問が湧いてくる。
ヒロインのリリーは、メイン攻略対象のグラナートに好意がない。
グラナートの婚約者候補のアデリナは、テオのことが好き。
これは、何だか変なのではなかろうか。
――誰一人として、『虹色パラダイス』の通りになっていないではないか。
グラナートとリリーが恋仲になっても、アデリナには邪魔する理由はない。
仮にテオが攻略対象だったとしても、リリーはテオに興味がないので競合しない。
他の攻略対象がいるかもしれないが、どちらにしても、リリーもアデリナも興味がない。
これでは、どこまでいっても、悪役令嬢がヒロインの恋路の邪魔をしないではないか。
アデリナが悪役令嬢ではない可能性もゼロではないが、他に思い当たるだけの地位や美貌の持ち主はいない。
そもそも、邪魔をするはずのリリーの恋自体が存在しない。色恋なしの、官吏出世ルートでも存在するのだろうか。
もしかすると、リリーの言っていた留学先にロマンスがあるのかもしれない。
隣国の王子に見初められるとか、乙女ゲームにありそうな話だ。
だが、それならこの学園生活は『虹色パラダイス』の舞台ではなくなってしまう。
パッケージに描かれた学園は無関係で、ロマンスの舞台は別のところなんてことがあるのだろうか。
「……考えても仕方ないですね」
とりあえず、厄介なイベントに巻き込まれなければそれでいい。
今はこの学園生活を平穏に過ごすことが第一。
まずは、リリーに手の怪我をなんと説明するべきか考えなければならない。
グラナートにリリーのこと聞かれたというのは、やはり本人には言ってはいけない気がする。
となると、ただ路地でならず者に絡まれたということになる。
グラナートとテオをいないものとして、どうやって切り抜けたことにすればいいのだろう。
「うーん。転んだことにすればいいでしょうか。でも、話すと長いと言ってしまいましたし……」
考えながらふと見れば、見知らぬ女生徒がエルナの方へ歩いてくる。
また、テオとの噂関係で話を聞きに来たのかもしれない。
アデリナにした説明で大丈夫だろうと、それほど緊張せずにいた。
だから、彼女が手に隠していた刃物に気付くのが遅れたのだ。









