番外編 レオンハルト・ノイマン 1
「それよりも、レオンハルトはどうなの。王女のことは好き? 嫌い?」
母ユリアの言葉に、レオンハルトは瞬く。
確かペルレの露払いをするという説明だったはずなのに、何故こんなことを聞くのだろう。
「その二択なら、好きだね。嫌いではないので」
ペルレは妹のエルナにも親切にしてくれているし、本人も美しく聡明で品のある女性だ。
嫌悪感も恨みもない以上、嫌う理由もない。
すると、返答を聞いたユリアが何故かにこりと微笑んだ。
「嫌いじゃないなら、十分だわ。王女なら間違いなく魔力にも恵まれているだろうから、私に会っても即刻倒れるようなことはないだろうし。――いい嫁じゃない。王家にエルナをあげるんだから、王女をもらってもいいわよね」
ユリアの言葉の意味がわからず、暫し考える。
それはつまり、エルナの代わりにペルレをノイマン家に迎えるということだろうか。
話の流れからすると、どうやらユリアはレオンハルトの妻にペルレはどうかと言いたいらしい。
あまりに突拍子もないその意見に、思わずため息がこぼれた。
「母さん。嫁問題はわかるけれど、あまりにも安直で勝手だろう。相手の意見というものもあるんだよ」
レオンハルトはノイマン子爵家の跡継ぎだが、未だに婚約者がいない。
特に焦ることもないし、諸事情で結婚しなくてもいいかと思っていたが、ユリアはそうではないのだろう。
息子の結婚が気になるのはわからないでもないが、いくら何でも適当すぎるし、不敬である。
「じゃあ、聞いてきて」
「……はあ?」
「ちょっと、うちに嫁に来ない? って」
「軽いな……」
相手は一国の王女にして公爵。
国中でも一二を争う高貴な女性だ。
そんな、鬼ごっこに誘う子供のような声をかけるわけにはいかない。
場合によっては不敬罪で処罰されかねないのだから、冗談にしても言っていいことと悪いことがある。
「うるさいわね。じゃあ、あれよ。剣の稽古もつけてあげるから」
この口ぶりでは、どうやら剣の稽古が特典扱いらしい。
レオンハルト相手ならともかく、深窓の御令嬢が喜ぶとは思えない。
大体、剣を学ぶ者ですらユリアの稽古では瀕死なのだ。
王女など、一撃で仕留められてしまう。
ユリアが欲しいのは嫁であって、獲物ではない……はずだ。
「いや、必要ないだろう。もう、母さんは父さんといちゃついていてくれれば、それでいいよ」
「――それは、いいわね!」
ユリアはその一言で興味が失せたらしく、夫のマルセルにべったりとくっつき始めた。
いつでも新婚気分なのは結構だが、人を巻き込まないでほしい。
どうやら同じ思いらしいエルナの複雑そうな表情を見て少し笑うと、レオンハルトは紅茶に口をつけた。
結婚式当日。
エルナは純白のドレスとベールを身に着け、輝くばかりの美しさ。
兄馬鹿だとは思うが、どんな令嬢にも負けないくらい可愛らしいと思う。
少し年齢が離れていることもあって兄というよりは父親目線も入ってしまい、何だか複雑な心境だ。
エルナの夫となるグラナート王太子は、弟のテオドールの主でもある。
容姿は申し分なく、まさに麗しの王子そのもの。
だが、魔鉱石の鉱山をめぐる条約やテオドールの話などから見ても、優秀なのは間違いない。
更にエルナに対する真摯な対応を見る限りは、信頼に値するだろう。
何よりもエルナがグラナートのことを好いているのだから、幸せになってほしいと願うばかりだ。
バージンロードを二人で歩いてグラナートにエルナを託すと、そのまま大聖堂の一番奥の席に着く。
本来ならば、王太子妃となるエルナの親族なのでもう少し前の席なのだろう。
だがユリアの危機を心配したテオドールが、絶対に最後列で大人しくしていろと念を押していた。
あまりにも後列なのでエルナの姿は見えないし、何を言っているのかも聞こえない。
それでも、大聖堂内に悲鳴が響き天井に火の玉のようなものが無数に浮かぶという明らかな異常事態に、さすがにレオンハルトも腰を浮かせた。
「座りなさい、レオンハルト」
ユリアの声は普段通りだが、さすがにこれは放置していいとも思えない。
「でも」
「エルナのそばには王太子がいるわ。あの子、父親とは比べ物にならない魔力持ちだし、あの程度の火の玉は問題ないでしょう。それに、テオドールもいるし」
グラナートは王族なので、魔力に恵まれているというのは察することができる。
だが、自他ともに認める魔力ゼロのレオンハルトでは、そのあたりがよくわからない。
それでも、破格の武力を持つユリアが言うのなら、大丈夫なのだろう。
グラナートの弱点である呪いの魔法に関しても、テオドールが控えていれば問題ないはずだ。
「それに、あのベールがあるから。最悪、大聖堂が吹っ飛んでもあの子だけは無事よ」
「……ベールって、そういうものだったかな?」
確か一般的には邪悪なものから身を守る魔除けだったはずだが、いつの間に爆破にも耐えられる完璧装備に進化したのだろう。
ユリアと話している間にも炎の玉が動いたり、更なる炎がそれを包み込んで消したり、温風が大聖堂内を駆け巡ったりしている。
当然周囲の参列者は立ち上がったり悲鳴をあげたりしているので、エルナ達の様子はまったくわからない。
「テオドールが聖なる魔力を使ったわ。呪いの魔法ではなさそうだし、前に言っていた魔鉱石爆弾ってやつかしら」
のんきに解説しているが、それは結構な一大事ではないのか。
さすがに様子を見に行こうかと立ち上がるレオンハルトの手を引き座らせると、ユリアはにやりと笑みを浮かべた。
「いいから、ちょっと待っていなさい。面白いことになりそうよ」
「……見えないし、聞こえないよね?」
もともと最後列でエルナ達の姿は見えなかったし、今の大聖堂内は騒がしいのでとても様子を窺うことなどできないのだが。
「ユリアさんが言うのですから、大丈夫ですよ。何かあれば、一撃で吹き飛ばせますしね」
「マルセル様ったら、褒めないでくださいっ!」
悲鳴が響く中でいちゃつく両親に呆れたレオンハルトは、ため息をついた。
次の瞬間、温かい風のようなものが一気に大聖堂内を駆け巡り、満たしていく。
不思議な感覚に辺りを見回すと、ユリアの黒曜石の瞳と目が合った。
「ああ、さすがにレオンハルトにもわかったの?」
「わかる、というか。何かが来て、満たされた気がするけれど」
ユリアはマルセルの腕にぴったりとくっつきながら、楽しそうに笑っている。
「エルナよ。あの子、自分の意思で大聖堂内全部を浄化したわ」
浄化ということは、聖なる魔力か。
ユリアの様子からして既に危機はないのだろうが、それでもやはり心配だ。
今まで聖なる魔力を使ったエルナは倒れている。
結婚式の最中に花嫁が倒れたら、一大事ではないのだろうか。
言いたいことはわかっているらしく、ユリアは落ち着けとばかりにレオンハルトの頭を撫でた。
「きちんとエルナの意思で引き出した力だし、これくらいならたぶん平気よ。あの子を信じなさい」
まるでユリアの言葉に従うかのように周囲の喧騒も落ち着き始め、結婚式はつつがなく進行していく。
どうやらベールアップせずに誓いのキスを済ませたらしいが、恐らくは瞳の色を隠すグラナートの機転だろうとユリアは言っていた。
それがかえって貴族達には新鮮だったらしく、結婚式を終えても王太子妃を独り占めしたい一途な王太子として好意的に話されている。
エルナとグラナートの仲が良いと言われるのは、嬉しいしいいことだ。
だがしかし、何と言えばいいのか。
参列者は皆一様に興奮状態で、熱く結婚式の素晴らしさを説いているし、夫婦で参加している貴族たちが妙にいちゃついている。
傍目には少しばかり過剰な振る舞いにも見えるが、何故か今のレオンハルトには好ましいものに見えた。
「……まずい。そうよね、浮かされるのを忘れていたわ。……まあ、悪いことではないから、大丈夫よね。とりあえずはエルナの瞳をどうにかしないと」
何やらユリアがぶつぶつ呟いているが、どうやらエルナのところに行くらしい。
ペルレをエスコートするという約束があったレオンハルトは、馬車の混雑を考えてユリア達とは別行動で王宮へと向かった。
――ユリアの言う『まずい』が何なのか、わからぬままに。
「未プレイ」リクエスト番外編、投稿中です!
内容に関しては、活動報告をご覧くださいませ。