浮かされたのか、浮かれているのか
「――エルナさん」
「ひゃあっ!?」
突然の声と抱きしめられたことに驚くが、この場でそんなことをできるのはただ一人。
振り返れば、当然そこにはグラナートがいて、夜空の下で輝く金の髪は神々しいほど美しかった。
「夜風は冷えますよ。中に入りましょう」
「は、はい」
手を引かれて室内に戻るが、これは大誤算だ。
まだお酒を飲んでいないのに、どうしたものか。
ちらりと見てみれば、グラナートはゆったりとしたシャツを着ていて、それは明らかにお風呂上がりの寝衣姿だった。
普段見たことのない姿に緊張するし、いい匂いだし、何だか色気が増している。
――これは、一気飲み案件だ。
素早く判断を下したエルナは、テーブルの上の酒瓶を手にすると、勢いよくグラスに注ぐ。
そのままグラスを掴もうとするエルナの手を、グラナートが握りしめた。
「エルナさん、普段お酒は?」
「飲みません」
「それでこのお酒をストレートで、しかもこの量を飲んだら……倒れますよ」
むしろ、本望。
だが、さすがにそれを言うわけにもいかない。
「ええと。お水で割れば」
水差しに水はあるのだから、それで割ればいいだろう。
水割りなんて作ったこともないので、量の加減もさっぱりわからないが、要は水を入ればいいはずだ。
だがグラナートは手を放してくれないし、何故か困惑した様子だ。
「普段飲まないのに、何故急に?」
「う。……その、緊張が」
上手く誤魔化す手が浮かばず、正直に告げる。
するとグラナートはため息をつき、エルナの手を引いてソファーに座らせ、自身も隣に腰を下ろした。
「まずは、今日一日お疲れ様でした。体は平気ですか?」
「はい。ふらつきも眩暈ももうありません」
「それは良かった」
にこりと微笑んだ顔は優しくて、それを見ていたら、何だか少し緊張が解れてきた。
「それにしても。エルナさん一人の聖なる魔力でもアレでしたが、ノイマン子爵夫人にテオまで加わって、とんでもない余波でしたね」
確かに、凄かった。
ヴィルヘルムスは……まあ、もともとだとして。
リリーも何だかアレだったし、アデリナも完全にアレだったし、レオンハルトまで。
「そういえば。今更ですが、ペルレ様はノイマン家に嫁げるのでしょうか」
「大丈夫ですよ。そのつもりで、僕も兄上も動いていました。まあ、レオンハルトさん待ちですね」
「待ち、ですか」
まさかそんなことになっていたとは、びっくりである。
「命じればすぐにでも叶ったでしょうが、そこは姉上が自分で勝ち取ってもらわないといけません。結婚後は自分達で進むわけですからね」
甘いのか厳しいのか、よくわからない。
……いや、優しいのか。
ペルレの気持ちを理解した上で、妨害が入らないようにし、それでも無理強いはしない。
何とも気長な見守り方だ。
「お二人はペルレ様が大切なのですね」
「僕達が守ってあげられるのは今のうちだけです。僕には他に守るべき大切な人ができて、姉上ばかりを見ていられなくなりますし」
柘榴石の瞳に見つめられ『守るべき大切な人』というのがエルナなのだとわかってしまい、何だかまた顔が熱くなってきた。
「リ、リリーさんは、大丈夫でしょうか」
「もともと聖女の婚約者として通っています。力を失ったと公にされましたし、リリーさんの同意を得られた以上は、ヴィルがどうにでもしますよ」
「そ、そうですよね」
うなずくものの、こちらを見るグラナートの視線に耐えられない。
「あの。テオ兄様がロンメル伯爵というのは」
「ロンメルは潰してもいいのですが、結局は管理者を置かなければいけません。公の場で僕達に加えてヴィル達も庇ったのでちょうどいい名目もできましたし。重要な土地ですが、それを任せるに値するだけの信頼もあります。それに、不足分はアデリナさんが補うでしょう」
「不足分どころか、全部補えそうですね」
もともとアデリナは優秀だし、手を抜くことなく全力で頑張るのは明らかだ。
二人が結婚すればアデリナもエルナにとっての義姉になるわけだが、美人で優秀な姉ばかりで幸せ過ぎる。
何だか楽しくなってくすくすと笑うと、グラナートが細めてこちらを見ているのに気が付いた。
「……やっと、笑ってくれましたね」
その優しい声に、一気に現実に引き戻される。
そうだ、今は結婚式の後で、いわゆる初夜で、グラナートと二人きりなのだった。
「あの。皆、聖なる魔力の影響をかなり受けていましたが、殿下は大丈夫ですか?」
「そうですね。まったく浮かされていないと言ったら、嘘になります。でもそれ以上に浮かれていると言った方がいいかもしれません」
「浮かれる?」
これはまた、穏やか律儀王太子にあまり似合わない言葉だが、どういうことだろう。
「やっと、あなたと結婚できました。堂々と僕の妃だと言えますし、特別扱いしても文句は言わせません。こうして夜も一緒にいられるし、共に朝を迎えられる。……嬉しくて、浮かれていますね」
「そ、そうです、か」
これは聖なる魔力に浮かされているのかいないのか、よくわからない。
だが仮に聖なる魔力の影響を受けていたとしても、思ってもいないことを口にするわけではない。
それはつまり、グラナートが言っていることは本心だということで。
好意を持ってくれているのはもちろんわかっているが、こういう形で告げられると改めて恥ずかしくなってきた。
「それで、エルナさんはどうです? 夫が僕で、いいですか?」
「もちろんです」
「それは、良かった」
即答してうなずくのを見て微笑んだグラナートは、そのままエルナの額に唇を落とした。
その早業と溢れる色気に、エルナの顔が一気に赤くなる。
「あ、あの。殿下と結婚は、その、嬉しいです。ですが、まだ色々と恥ずかしくて」
「名前、忘れていますよ」
「……グラナート殿下」
「はい。エルナさん」
返される笑顔は星のように眩く輝き、ちょっと目を開けているのがしんどい。
「大丈夫ですよ。恥ずかしいとしても、もっと恥ずかしいことをすれば上書きされるのですよね?」
――また、どこかで聞いた謎理論が出てきた。
「も、もっと、というのは……?」
聞かない方がいいとわかっているのだが、放っておくのも怖い。
仕方ないので恐る恐る尋ねると、グラナートは口元に手を当てて何やら考えている。
その様子は麗しく見ていて幸せだが、考えている理由が理由なので、今はあまり嬉しくない。
「そうですね。以前にダンスのレッスンで使っていた、黒いワンピースを着る、とかでしょうか」
「あの、卑猥なワンピースですか⁉」
ダンスの講師による嫌がらせの産物で、丈は短く、体のラインも丸出しで、足もあわや太腿まで見えるという、見事な卑猥っぷりだ。
エルナが着ているのを見た時に、グラナートだってかなり驚いて上着を着るよう言ってきたのに、何故またあれを着なければいけないのか。
「僕だけが見て、触れるのなら、問題ありませんから」
「いや、それはそれで問題では!?」
王太子妃となった今、卑猥なワンピースなど候補の時以上に着てはいけない危険物なのに。
……いや、待て。
以前に着た時も、『他の人には見せたくない』というようなことを言っていた。
つまり、自分は見たいという意味で。
しかも今回は『触る』という恐怖の項目まで追加されていて。
確実にレベルアップしているではないか。
「駄目、ですか?」
手をそっと握られ、上からなのに下からに感じる強力な上目遣いで訴えられて。
だから、駄目なのだ。
美少年は正義で、エルナは逆らえない。
わかってやっているのだろうから、本当に恐ろしい。
「だ……駄目じゃない、です」
どうにか絞り出すように言葉を紡ぐと、グラナートは星が瞬くような眩しい笑みを浮かべる。
「良かったです。沢山、上書きしてあげますからね」
「お、お手柔らかに……」
精一杯の返答をすると、グラナートの手がエルナの頬を滑るように撫でた。
柘榴石の瞳はまっすぐにエルナをとらえていて、目を逸らすことができない。
「――愛していますよ。 エルナ」
その名に、エルナの肩がびくりと震える。
「私も、愛しています……グラナート、様」
もはや息も絶え絶えのエルナを見て微笑むと、グラナートはそっと唇を重ねた。
これで「未プレイ」第5章は完結です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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