磨かれて出荷されたようです
アインス宮に戻ったエルナを出迎えてくれたのは、ゾフィをはじめとする女官達だ。
先程までの浮かれ切った空気はなく、静かで落ち着いたその様子に、感動さえする。
ユリアとエルナの聖なる魔力の余波は、異性である男性に効く。
つまり、女官達には無害なのだ。
それに気付いたエルナは早速名案を思い付いた。
「あの。暫く……いえ、明日まででもいいので。私は一人で過ごすというのは」
「いけません」
あっさりと却下したゾフィは、手際よく髪をまとめていたピンを引き抜いている。
「今日は結婚式ですよ。今夜はなおさら駄目です」
「確かに、結婚早々離れ離れというのは、世間体が良くないかもしれませんが」
それでも今は緊急事態なのだから、大目に見てほしい。
「そちらもありますが、殿下のこれまでの我慢を思えば」
「……我慢?」
「いえ。まずは、湯あみをいたしましょう。体をピカピカに磨いて、ゆっくりと寛げば、不安は消えますよ」
そういうものだろうか。
いや、日本でもお風呂は清潔の保持だけではなく、疲労回復や精神安定にも効果があった。
精魂共に疲れ果てた今のエルナに必要なのは、お風呂かもしれない。
ゾフィの提案にうなずいた時には、まさか数人がかりで徹底的に磨きまくられるとは夢にも思っていなかったのだ。
「……かえって疲れたのですが」
エルナは、ぐったりとソファーに倒れ込む。
湯あみの後に案内されたのは、今まで使っていた控室とは別の部屋だった。
広い部屋に配置された調度品は華美ではないが、質の良さがうかがえる。
ソファーひとつとっても、張られている布地の触り心地の良さと美しい刺繡に、うっとりと撫でまわしたいくらいだ。
これからはこのアインス宮で生活するのだが、ここがエルナの部屋らしい。
一人で使うにはもったいない広さだが、一応は王太子妃なのであまり質素にするわけにもいかないのだろう。
それにしても疲れたが、一番きつかったのはユリアによる聖なる魔力で殴打だ。
もう二度と経験したくないので、人前で聖なる魔力を使うことは避けたい。
今後は瞳の色が変わっても、布でもかぶってやり過ごすことにしよう。
「エルナ様、飲み物は何になさいますか?」
「お水でいいです」
ゾフィはエルナの要望に手際よく水の入ったコップを手渡すが、何故かそのままお酒の瓶とグラスも用意している。
「ゾフィ。私はお酒を飲まないので、いりませんよ」
長年一緒なのだからエルナに飲酒の習慣はないと知っているはずなのに、どうしたのだろう。
「いえ。殿下が召されるかもしれませんし……いざという時に、エルナ様に必要かと」
「……いざ?」
「それでは、失礼いたします」
よくわからずに首を傾げるエルナを置いて、ゾフィは退室してしまった。
とりあえず水を飲んでのどを潤すと、改めて室内を見渡す。
今寛いでいる部屋の手前には応接室のような部屋もあったが、一体何部屋をエルナに割り当てられているのだろう。
窓の方を見ればバルコニーもあるようだし、本当に王宮というのは豪華だ。
奥にも扉があることに気が付いたエルナは、コップを置いてそちらに向かってみる。
扉を開けてみると、そこにはベッドがあった。
ベッドが王宮サイズで無駄に大きいが、寝室で間違いないだろう。
これは、寝返りしまくって元を取らねばなるまい。
謎の使命感に駆られていると、ふと恐ろしいものが目に入った。
大きなベッドに並べられている枕は、二つ。
いや、正確には大小いくつかの枕があるのだが、それがどう見ても二人分用意されている。
エルナはそれに気付くと、急いで扉を閉めた。
「……え? 何で?」
思わず呟いてから、ようやくここがエルナ個人の部屋ではないのだと理解した。
「そうか。ここは夫婦の寝室なのですね」
その当然すぎる結果に、段々とエルナの顔が熱を持っていく。
「そ、それはそうですよね。もう結婚したわけですし。つまり、今夜は初夜というやつで……」
自分で言って自分の首を絞めたエルナは、暫く何も言えずに頬を冷まそうと両手で押さえる。
水を一気飲みしてもまったく効果がないとわかると、そのままバルコニーに飛び出した。
外に出るとさすがに夜風が冷たいが、お風呂で温まった体には心地良い。
更に真っ赤になっているはずの頬には、最高の温度だ。
エルナはバルコニーの端まで行くと手すりを掴み、深いため息をついた。
一応は、エルナだって貴族の令嬢だ。
いわゆる閨のことだって、少しは勉強した……というか、させられた。
ざっくり言うと「お任せしましょう」だったので、具体的にどうこうという話ではなかったが、それでも十分すぎるほどに恥ずかしかったのを憶えている。
しかし、こうなるとかえって怖いし、不安になってきた。
いっそ日本で経験があればもう少し落ち着いていられたのだろうが、この感じでは恐らく未経験なのだろう。
「あ、でも。今日は色々ありましたし、殿下が来ないということも……」
ない、さすがにないだろう。
大体、グラナートの寝室もここなのだから、来ないはずもない。
「何もなく、ぐっすり熟睡という可能性も……」
いや、それはそれで、何だかモヤっとする。
「え? じゃあ、何ですか。私は今、殿下をそういう意味で待っているということですか⁉」
そんなつもりは微塵もなかったが、実際にそうとしか言えない状況だ。
やたらと念入りにお風呂で磨かれたのは、このせいか。
寝衣が清楚で上品で可愛らしいのは、王宮に引っ越した記念で新調したということかと思っていたのに。
慌てて視線を落とせば、無駄にフリルの付いたそれは、胸元のリボンを解くと一気に緩んで脱げるつくりだ。
朝の着替えが楽だなとしか思っていなかったが、これもつまりはそういう意味で、そういう意図で。
ゾフィや女官達はすべて承知の上でエルナの湯あみを手伝い、この寝衣を用意したのだ。
要は、出荷場で野菜を洗ったのと同じである。
消費者のもとに送り出す彼女達の笑顔が眩しかったのはそういうことかと、今更ながらに切なくなった。
「どうしましょう……羞恥で死ねそうです」
両親の前で抱っこの上があるとは、世の中は広かった。
それにしても、寝室で待てる世の花嫁のメンタルが凄い。
この後のことを考えると、とても落ち着いてなどいられない。
「逃げるわけにもいきませんし。かと言って、落ち着いて待つなんて……無理です」
どうしようかと悩んでいると、先程のゾフィの言葉を思い出す。
「もしかして、これがゾフィのいういざという時、でしょうか」
確かに、お酒を飲んで酔っ払ってしまえば、少しは緊張も解れるかもしれない。
それを見越して用意していたのなら、つまりはエルナの思考が筒抜けということなので、二度恥ずかしい。
だが、今はそんなことを言っている場合ではないだろう。
普段ほとんどお酒を飲まないので、どの程度の効果なのかはわからないが、やってみる価値はありそうだ。
しかし室内に戻るよりも早く、背後から伸びてきた腕にぎゅっと抱きしめられた。
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次話 お酒を一気飲みしたいエルナ VS 湯上りグラナート!