過去最高に重いので
「だから、王太子の膝の上。わからない? つまり抱っこよ、抱っこ」
「言葉の意味はわかります。そうではなくて、何故そんなだ……抱っこ、しないといけないのですか」
今は瞳の色を治すという話だったはずだ。
何故、両親の前でグラナートに抱っこされなければいけないのか、意味がわからない。
「すぐにわかるわよ。いいから、早くしなさい」
まったく理解できない指示だが、瞳の色を治せるのは、世界広しといえど恐らくユリアただ一人。
この後の予定を考えれば、ぐずぐずしている時間はない。
困って隣に座るグラナートを見ると、にこりと微笑まれる。
その眩い笑みに少し混乱が収まりかけた瞬間、伸ばされた腕に引き寄せられ、あっという間にエルナはグラナートの膝の上に乗せられていた。
抱っこだ。
間違いなく、寸分の狂いもない抱っこだ。
グラナートの膝の上に横向きで座ったために、顔の横にはグラナートの胸があり、腰には腕が回され、見上げれば麗しい顔がある。
両親の前で抱っこされるとは、何たる羞恥プレイ。
恥ずかしすぎて、もはや文句すらも言えずに黙って唇を引き結ぶ。
「さて。王太子、ちゃんと支えていてね。――いくわよ、エルナ」
「へ?」
気合いの入った声だが、そもそも一体何をするのだろう。
それを問いかける間もなく、ユリアの黒曜石の瞳に視線が吸い込まれた。
次の瞬間、鈍器で頭を殴られたかのような突然の眩暈に襲われたエルナの体が、力を失って倒れそうになる。
すぐにグラナートが抱き寄せてくれたので何とかなったが、とても自分で体を起こすことができない。
「殿下……すみま、せ」
「こら。まだまだ、これからよ!」
ユリアの両手に顔を包み込まれ、強制的に視線を向けさせられた。
黒曜石の瞳に少しずつ七色の光が浮かび始める。
宝石の欠片が闇の中を踊り狂うような美しい光景に、心惹かれ、目を逸らせない。
だが同時に脳内と体を暴力的な魔力の波が駆け巡り、連続で殴打されているような感覚だ。
「……う、うう」
とても綺麗なのに、とてもつらい。
うめき声しか発することのできないエルナに対して、何故かユリアは少し楽しそうだ。
「うーん。あと少しかしら」
「ひゃう……」
「意外といけるわね」
「ああ……」
傷をぐりぐりと抉られるような感覚の謎の微調整に、ただ耐えることしかできない。
「よし、これでいいわ。やっぱりテオドールよりもエルナの方が聖なる魔力が強いわね。同量の魔力をぶつけて相殺するのに、微調整がちょっと大変だったわ」
何と、どうやらユリアの聖なる魔力をぶつけられていたらしい。
聖なる魔力を使ったというのにユリアの瞳がもとの黒曜石に戻っているのは、その相殺とやらのおかげなのだろうか。
「瞳の色……治り、ましたか?」
完全に力が抜けているせいで、グラナートに抱きかかえられている状態だが、とりあえず最優先事項を確認したい。
「はい、大丈夫です。……ただ、顔色が」
それはまあ、悪いだろう。
正直、意識を失わなかった自分を褒めたいくらいだ。
断食と睡眠不足で体がふらふらなところに馬車で酔い、更に全身殴打された上で地面をゴロゴロ転がされたような気分だ。
控えめに言って、死にそうである。
こうなるとわかっていたから、倒れても安全なように抱っこという指示をしたのだろうが、抱っこである必要性はあったのか疑問しかない。
「横になれば、良かったのでは……」
口を動かすのもだるい中どうにか尋ねると、ユリアはぱちぱちと目を瞬かせている。
「え? だって、この方が見目楽しいじゃない」
「た、楽し……?」
「ねえ、王太子」
さも当然とばかりに言われたが、よくわからない。
だが、何故かグラナートは小さくうなずき返している。
魔力多めの輩の考えは、エルナには到底理解できないようだ。
「それと、このベールは貰っていくわよ」
「え? ええ、いいですけれど」
もう出番は終えたので、必要というわけではないが、どうするのだろう。
娘を想って領地の邸に飾るとしたら、ユリアもなかなか可愛らしいところがあるものだ。
「一般人が扱いを間違えて、爆発してもいけないし」
いや、手にしているのはベールであって、爆弾ではないはずだが。
「領地の邸を留守にする時に便利だし」
「ベールで、何を……?」
百歩譲ってベールがほぼ爆弾だとして、それと留守の邸との関連がわからない。
だが、ユリアはいい笑顔を返してくるだけだ。
……これは、聞かない方がいい。
ベールはユリアにあげた。
もう、それで考えるのは終わりにしよう。
体調が最悪なので、ややこしいことを考える余力などないのだ。
「それにしても、本当に顔色が悪いわね。まあ、じきに落ち着くでしょうけれど。あとはよろしくね、王太子」
ベールを抱えたマルセルがふらつくのを見て荷物を取り上げたユリアは、そのまま御機嫌で控室を出て行った。
「……殿下、お手数をおかけしました」
どうにかグラナートの膝から下りるが、すぐにふらついてしまい、結局は再び膝の上に舞い戻る。
情けないし恥ずかしいのだが、それ以上にふらついてしまうので、どうしようもなかった。
「大丈夫ですか? 本当なら、ゆっくり休ませてあげたいのですが」
「いいえ。パレードの時間がありますから」
移動自体は馬車だし、手を振るくらいなら何とかなるはず。
美しくもないのに笑顔も引きつっているといういまいちな王太子妃ということになるだろうが、パレード中止よりはいいはずだ。
全員、眩い王太子の方を見てくれれば、万事解決である。
納得して少し安心したエルナの体を、急に浮遊感が襲う。
グラナートに抱き上げられたのだとわかり、その事実に衝撃が走った。
エルナは今、ウェディングドレスを身に纏っている。
ベールこそ外したが、優雅で美しいそのドレスは、普段のワンピースよりも使われている布の量が多い。
つまり、重いのだ。
「殿下、おろしてください。重い、重いので。もう、過去最高に重いので」
エルナ史上最高に豪華で布地をふんだんに使ったドレスだと伝えたかったが、頭が混乱して最重要事項だけを連呼する羽目になる。
結果、重いと自己申告する花嫁という切ない状況だが、とにかくおろしてもらいたいので仕方がない。
「嫌です。こんなにふらふらの妻を歩かせるわけがないでしょう」
「つ、妻」
「もう結婚式は終えました。あなたは王太子妃……僕の妻です。夫には、もう少し甘えてください」
「夫」
それはそうだ。
そのための結婚式だったのだから、終えれば夫婦となるのは当然。
だが、改めて言われると何だか不思議な感覚だった。
「それから、名前を忘れていますよ。僕の奥さん」
「……グラナート殿下」
何度も忘れてしまうエルナもアレだが、律儀に訂正しなくてもいいのではと疑問になる。
だが、名前を呼ばれたグラナートは嬉しそうに目を細めると、そのままエルナの額に唇を落とした。
「ひゃっ!?」
驚いたが、抱き上げられているので逃げ場がない。
しかもここで暴れれば体感重量は更に増すだろうし、そのぶんだけグラナートの負担も増してしまう。
どうしようもなくてただ頬を染めて耐えるエルナに注がれる視線は、優しく温かかった。
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