凄く大丈夫でした
どうしようかと悩んでいる間に式が進行し、指輪交換のためにブーケを預かるべくリリーがそばにやってきた。
「エルナ様、とっても素敵です」
紅水晶の瞳を潤ませたリリーはブーケを受け取るとヴィルヘルムスに渡し、エルナのドレスとベールの裾を直し始めた。
その手際の良さと仕事の丁寧さに、暫し見惚れてしまう。
「リリーさん、そこまで綺麗にしなくても」
「いけません。エルナ様の晴れ姿に相応しい角度というものがあります」
さっきまで涙がこぼれそうだったリリーの瞳に、今は炎が宿っている。
下手に口を出すのは危険だ。
何となく抗えずにいると、神官の前に美しい小箱に入った指輪が届けられる。
水色の石の中に七色の光が閉じ込められたかのようなそれは、水の蛋白石。
エルナのものは既に作られていたが、グラナートも同じ石を使った指輪のようだ。
お揃いというのは嬉しいし、エルナの瞳の色を模したものをグラナートが身に着けると思うと、ドキドキしてきた。
ちらりと視線を向ければ、ベール越しに柘榴石の瞳と目が合い、笑みを向けられる。
本当に目の前の麗しい王太子と結婚するのだと急に実感が湧いてきて、何だか落ち着かない。
リリー渾身の手直しが終わると、誓いのキスだ。
それにしても、乙女ゲームの世界なのだから仕方がないとはいえ、何故人前でキスしなくてはいけないのだろう。
もともと日本でもキスするものなので、仕方がないのはわかっている。
それでも、エルナにとってはファーストキス。
ロマンはいらないから、もう少し静かな場所が良かった。
……いや、下手にそれを言うとさっさとキスされた気もするので、やはり今日で良かったのかもしれない。
向かい合った状態で色々と考えていると、グラナートの手がベールに伸びる。
その瞬間、ベールの端を彩る糸がきらりと光った気がした。
反射的に顔を向けると、大聖堂の天井近くにいくつもの炎の玉が浮かんでいる。
その異様な光景にエルナが息をのむのと、グラナートの腕の中に抱きこまれるのはほぼ同時だった。
炎の玉がこちらめがけて飛んでくるのに合わせて、グラナートがすっと手を伸ばす。
参列者の悲鳴が上がった瞬間、炎の玉はさらに大きな炎に包まれて消滅した。
だが、その間に空中に漂う火の玉が一気に増えている。
グラナートの腕の中でベール越しなのでよく見えないが、軽く数十個に及ぶだろう。
建物の中、これだけの人がいるのだから、炎の欠片が飛ぶだけでも大惨事だ。
びくりと震えたエルナの体を抱える腕に、さらに力がこもるのがわかった。
「――大丈夫ですよ」
頭上から優しい声が降ってくると、それを合図にしたかのように炎の玉が一斉に動く。
大聖堂内に悲鳴が響き渡るのにも動じることなく、グラナートの指が空中に線を描いた。
ただそれだけの動作に対して、効果はあっという間に表れた。
四方八方に飛ぼうとした火の玉は爆散し、その勢いで飛び散った火の粉はすべて、どこからともなく出現した炎が飲み込むようにして消える。
一瞬の輝きで火の玉が消滅した次の瞬間には、熱風だけが大聖堂内を駆け抜けた。
あれだけの火の玉を一瞬で消した上に、ひとつの被害も出していない。
あまりのことに何も言えずにいると、エルナを抱える腕が緩められる。
「エルナさん、大丈夫ですか?」
「え? は、はい。凄く大丈夫でした」
混乱したせいで妙な返答になってしまったが、それを聞いたグラナートはにこりと笑みを浮かべる。
王家は魔力に恵まれているとは聞いていたし、グラナートはずば抜けた魔力の持ち主だというのも知っていた。
何なら、魔法で炎を出すところも何度か見ている。
だが、今目の前で行われたことが規格外なのはエルナにもわかるし、それだけのことをしておいてまったく疲労の色さえ見えていない。
この人に護衛は必要なのだろうかと不思議になってしまうし、それでも防げないという呪いの魔法が異次元すぎる。
「殿下、ご無事ですか」
「問題ありません」
テオドールが近くに来るが、どう見ても焦る様子はない。
恐らく護衛の立場から見ても、グラナートに危害を加えられる攻撃ではなかったということなのだろう。
……本当に、護衛が必要なのか謎になってきた。
エルナのすぐそばでは、リリーがヴィルヘルムスの腕の中にいる。
視線に気付いたらしい二人は慌てて離れたが、参列者はざわついているので気がついていないようだ。
微笑ましい光景に口元が綻ぶエルナの視界で、再びベールの刺繍がきらりと光った気がした。
一体何だろうと周囲を見回すと、ざわつく人々の足元。
バージンロードの中央を何か黒いものがこちらに向かって転がってくる。
周囲に人は多いが、天井を見たり隣の人と話したりとざわついていて、誰もその物体に気がついていない。
あの黒い物体を、エルナは見たことがある。
確か――魔鉱石爆弾だ。
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