預けておいてください
翌日、エルナはグラナートに話があると声をかけ、二人で王族専用の部屋に来た。
使用人が紅茶の用意をして退室すると、何だか緊張してくる。
聞く内容としては浮気を咎める恋人のようで楽しくないが、流血の結婚式を避けるためなのだから、仕方がない。
「それで、何かあったのですか?」
「いえ。お聞きしたいことがあります」
グラナートがうなずくのを見たエルナは、深く息を吐いて覚悟を決めた。
「私、ベールに刺繍をしていまして」
グラナートは耳を傾けながら、ティーカップを手にする。
「母に、槍の三本は防ぐことができると言われましたので」
優雅に紅茶を飲んでいたグラナートの手が、ぴたりと止まった。
「万が一の際に守れるよう、殿下の過去の恋人を確認しておきたいな、と」
言葉が終わる間もなく、グラナートが盛大に咳き込み始めた。
「ど……どういうこと、ですか?」
「ええと。結婚式を血まみれにしないため、ベールから恋人さんを守らないといけないので」
「――ま、待って。待ってください。……全然、話が見えません」
困惑一色に染め上げられた表情のグラナートを見て、どうやら言葉が足りなかったらしいとようやく気付く。
だから順を追って説明したのだが、何故かグラナートの眉間にはどんどん皺が寄っていった。
「……つまり。エルナさんの魔力がこもったベールの防御力が高すぎて先制攻撃しかねないので、襲撃してきそうな僕の元恋人を血まみれの惨事から守るために、事前に教えてほしい、と?」
「はい」
飲み込みの良さに感心しつつうなずくと、グラナートがぐったりと首を垂れた。
「色々、気になることしかありませんが。……まず、僕に恋人はいません」
「そうなのですか」
少し安心するエルナに対して、グラナートの顔には疲労の色が見える。
「大体、婚約者候補としてアデリナさんの名前が挙がっていたのに、恋人だなんて」
「アデリナ様なら襲撃してきませんね。安心です」
グラナートは紅茶を一口飲むと、深いため息をついた。
「以前にそういう話が出た時に、きちんと伝えるべきでしたね。僕には婚約者候補が数人いましたが、アデリナさんがぶっちぎりで有力で、他は候補外の御令嬢と変わらない程度の交流でした。一度ダンスを踊ったくらいです」
そういえば、シャルロッテ・グルーバー侯爵令嬢と関わった時に、そんな話を聞いた気がする。
「そのアデリナさんとは、いわば同士。互いに人生を諦め気味で、色恋の欠片もありませんでした。……よって、恋人と呼べるような存在はエルナさんだけです」
「そ、そうですか」
恋人どころかもうすぐ結婚するのだが、改めてそう言われると、何だか恥ずかしくなってきた。
「まあ、元グルーバー侯爵令嬢のように馬鹿なことを考える人が、そうそう現れるとも思えませんし。あの一件以来、元候補には釘を刺してありますので」
「釘、ですか?」
「釘ですね」
にこりと微笑まれたが、これは注意をしたということだろうか。
前例があるので下手をすると家が潰れるとわかっただろうし、過激な手段に出る人はそうはいないだろう。
「それなら、安心ですね」
血まみれ結婚式の危機はなさそうだとわかり、エルナはほっと息をついた。
「安心したところで、少しいいですか?」
「はい?」
何だろうと思う間もなく、グラナートは立ち上がってエルナの隣に腰を下ろす。
「そういう意味ではないと、わかってはいますが……僕が女性関係にだらしないようなことをエルナさんの口から聞くのは、ちょっと寂しいです」
「あ、そうですね。すみません」
血まみれ回避のことばかり考えていたが、確かにこれではグラナートは過去の恋人に襲撃されるような関係だと言ったも同然だ。
「確かに、別れた恋人にも真摯に対応すると思います。襲撃というのは、失礼でした」
グラナートならば、手酷く捨てて放置などということはしそうにない。
謝罪の言葉と共に頭を下げるが、何故かグラナートは更にため息をついている。
「そうではなくて。信頼してくれるのは嬉しいのですが、まったく嫉妬してもらえないのは寂しいです」
そっと手をすくい取られ、柘榴石の瞳に見つめられる。
「す、すみません」
反射的に謝るが、グラナートの表情はまだ硬い。
「本当に悪いと思っているのなら、お詫びをしてもらいましょうか」
お詫び。
謝罪の言葉だけでは足りないとなると、思い付くのは……。
「では、土下座ですか?」
「まさか」
苦笑したグラナートは手を伸ばし、そのままエルナを腕の中に収める。
この後何があるのだろうと緊張して待つが、特に何も起こらない。
「……あの、殿下」
「名前。忘れていますよ」
「あ、ええと。グラナート殿下」
慌てて訂正するが、やはり恥ずかしいし、緊張する。
「何ですか?」
名前を呼んだことで満足したのか、少し腕が緩められる。
同時に頭を撫でられるが、やはり意味がわからない。
「……これは、何なのでしょうか」
「お詫びをもらっています」
そう言うと、再びエルナを腕の中に閉じ込める。
身動きは取れないが、苦しいというわけでもないし、これのどこが贖罪なのかよくわからない。
「あの。もしかして……甘えているのですか?」
出会った当初のグラナートは温厚で律儀な絵に描いたような王子様だった。
それが、段々と甘い言葉を言うようになり、同時にスキンシップも増えている。
婚約者だからだと言われればそれまでなのだが、気を許してくれているということでもあるのだろう。
「……そうかもしれませんね。母が亡くなってからは、無条件に甘えるようなこともなくなりましたから」
グラナートが幼い時に王妃は殺され、それからは命を狙われていたと聞いている。
兄姉はグラナートの味方だったらしいが、それでも安心できる環境ではなかったのだろう。
「こうしてエルナさんに触れていると、落ち着きます」
「そ、そうですか」
ぎゅっと抱きしめられれば、確かに落ち着くのだが、同時に落ち着かない。
どうしようもなくてもぞもぞと動き顔を上げれば、そこには優しく細められた柘榴石の瞳があった。
グラナートは美少年だ。
そんなことは重々承知していたし、何度かこうして至近距離で顔を見たこともある。
だが、何故か今日はそれが痛いほどに心臓に刺さって、目を逸らすことができない。
どうしようもなくて固まっていると、グラナートの手がエルナの頬を撫で、その顔が近付いてくる。
びっくりして硬く目を閉じるが、暫く待っても特に何もない。
恐る恐る目を開けると、グラナートが困ったように微笑んでいる。
「そんなに緊張されたら、キスできません」
「ええ⁉」
からかわれたのか本気なのかわからず、何と言ったらいいのかわからない。
するとグラナートの手が動き、その指がエルナの唇をそっとなぞった。
「……結婚式まで、お預けですね」
にこりと微笑まれ、その迸る色気に心臓が爆発してしまいそうだ。
頬を真っ赤に染めるエルナを満足そうに見ていたグラナートは、優しくその頭を撫でた。
「ところで、ベールが攻撃というのは大丈夫ですか?」
「え、あ、ええと。一応は守る力らしいので、直接攻撃されなければ問題ないと思いま――」
言い終わるよりも先にグラナートの顔が近付き、あっという間に頬に口づけられる。
油断していたところにまさかの行動で、混乱して動くことができない。
「隙あり、ですね」
いたずらっぽく微笑むその姿も麗しいが、今はそれどころではない。
「何で。だって、お預けって」
「唇は、ですね」
そんなの屁理屈ではないか。
「何なら、今、しますか?」
まさかの提案に、エルナは頭がもげるのではというほど激しく首を振った。
「いいです! お預けで! 預けておいてくださいっ!」
「わかりました」
そう言ってグラナートは指を自身の唇に当てると、そのままエルナの唇をなぞる。
これはつまり、いわゆるあれではないのか。
間接キスというやつでは、ないのだろうか。
「楽しみに待っています」
心臓は爆発寸前だし、頬は卵が焼けそうなほど熱いし、エルナを抱きしめる腕はちっとも緩まないし。
……結婚式の前に、ときめきで死んでしまうかもしれない。
エルナは命の危険を感じつつも幸せという大混乱の事態に、ただじっと耐えるしかなかった。
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