隙だらけで隙が無い兄でした
帰宅してゾフィが用意した紅茶を飲んでいると、扉が少しだけ開く。
何だろうと思って見れば、黒髪に黒曜石の瞳の青年が室内を窺い、ため息をつくと中に入ってきた。
テオドールの不審な動きは気になるが、恐らく理由はいつものアレだろう。
「荷物を取りに来ただけだからな。すぐに戻るから。レオン兄さんには言うなよ」
「誰に言うな?」
「うわあ⁉」
いつの間にかテオドールの背後に立っていたのは、レオンハルトだ。
即座に走り出そうとしたテオドールの襟を持つと、悲しそうにため息をつく。
「兄に対して悲鳴とは酷いな。せめてお茶を飲むくらいの時間はあるだろう?」
じたばたともがいていたテオドールは逃げられないと観念したらしく、心底嫌そうに眉を顰めている。
「一杯だけだ。時間がないから、稽古はしないからな!」
やはり、問題はそこなのか。
少し呆れてしまうが、レオンハルトが規格外なのはエルナにもわかってきた。
テオドールとしては、稽古を避けられるものなら避けたいのだろう。
すぐにゾフィが紅茶を用意してくれたが、気のせいかテオドールの飲む速度が速い。
さっさと飲んで撤退したいのだろうと思うと、何だか見ていて面白くなってきた。
これでレオンハルトが嫌がらせをしているのならば、テオドールに同情する。
しかし、ただ純粋に弟が可愛くて稽古をしたくて仕方がないのだと知っているので、何とも言えない。
「そう言えば、テオ兄様。ペルレ様は大丈夫でしたか?」
「ああ。やはり待ち伏せしていたらしくて姿は見えたが、俺が一緒だったからか声はかけてこなかったな」
「それなら、良かったです。ありがとうございました」
テオドールが近衛騎士だからか、あるいは男性だからなのか。
何にしてもペルレが煩わされなかったのなら、良かった。
「何かあったのかい?」
事情を知らないレオンハルトに経緯を説明すると、うなずいてティーカップを置いた。
「なるほど。もともとザクレスとロンメルは親しいし、新当主が立ってイメージが良いザクレス公爵で王女のペルレ様を娶れば、影響力はかなり回復するだろうね」
「でも、そんな理由でペルレ様につきまとうなんて」
何だか納得がいかずに訴えると、レオンハルトが困ったように笑った。
「貴族社会ではそういう利益優先の結婚が多い。エルナは幸せだと思うよ。殿下に大切にされているからね。……テオドールは、どうするつもりだい?」
急に話を振られたテオドールは、咳き込みながら空になったティーカップを置いた。
「どう、って」
「相手は身分あるお嬢さんだ。いたずらに待たせては失礼だよ。将来を考えていないのなら、早めに引きなさい」
「考えて無いわけじゃ――」
レオンハルトの言葉に声を上げたテオドールはすぐに口を閉ざし、気まずそうに視線を逸らした。
「ただ、俺は近衛騎士で一代限りの準貴族。名門公爵令嬢をそれに付き合わせるのは……それに、向こうがそこまで考えていない可能性だってあるし」
「それはないです。大丈夫です」
エルナが即座に答えると、テオドールが呆れたような眼差しで見てくる。
「おまえが断言するなよ」
「ちょっと会話が途切れたり絶叫したり走り出したりするかもしれませんが、テオ兄様を弄ぶようなことはできません。テオ兄様限定でピュアな乙女です。もぎたて搾りたてです」
「何だよ、それ。……まあとにかく、何も考えていないわけじゃない」
テオドールの言葉に、クッキーを摘まんでいたレオンハルトが微笑んだ。
「それならいいけれど。応援するよ」
「いや、しなくていい。遠く、遠くから祈るだけでいい。……そういうレオン兄さんはどうなんだよ。跡継ぎだし、嫁問題はそっちの方が切実だろうが」
いつの間にかお代わりが用意されていた紅茶を忌々しそうに見つめると、テオドールはティーカップを手にした。
「母さんを受け入れられる女性が、いると思う?」
その一言でテオドールが黙ってしまったが、一体ユリアと対峙したという女性はどんな目に遭ったのだろう。
倒れたとだけ聞いたが、この様子では再起不能にしていてもおかしくない。
「まあ、今はペルレ様にいい人が現れるまで露払いする約束だから、嫁探しもできないしね。のんびりするよ。いざとなったらテオドールの子を一人養子にする」
「勝手に決めるな。……露払い?」
「色々あってね」
レオンハルトが説明をすると、テオドールの首がどんどん傾き、眉間には皺が寄っている。
「弟妹にいい人を見つけろと言われて、ペルレ様が相手してくれたら嬉しいと言って、専属で露払いをする。……それって」
これはもしや、テオドールがこの謎の事態に突っ込みを入れるのだろうか。
反応次第でペルレへの気持ちもわかるかもしれない、とエルナも固唾をのんで見守る。
「護衛じゃないか。レオン兄さんも騎士を目指すのか?」
……何故そうなった。
エルナは思わずがっくりと肩を落とし、それを見ていたゾフィが同意するかのようにうなずいている。
「まさか。一時的なものだよ」
「良かった。レオン兄さんが来たら、騎士達が自信か命を失いかねない……エルナ、どうした?」
二人の兄に不思議そうに見つめられ、エルナは深いため息をついた。
「うちの兄は隙だらけで隙が無いので、呆れています。アデリナ様とペルレ様がかわいそうです」
「何だ、それ?」
「何でもありません」
ここで下手に説明しては、エルナからペルレの気持ちを伝えることになりかねない。
仮に伝えても伝わり切らない気もするが、本人が頑張っているのだから余計なことは言わない方がいいだろう。
「そうだ。エルナの結婚式には、父さん達も来るからね」
「げっ⁉」
嫌そうに口元を歪めるテオドールに、レオンハルトが肩をすくめた。
「げっ、とは何だ。娘の結婚式だよ? 当然だろう」
「警備を見直して、厳重にしないとな」
「……テオドール。何から何を守るつもりだい」
レオンハルトは真剣に何かを検討し始めた弟を見て、呆れた様子だ。
「歩く聖なる威圧光線発生装置が来るんだ。一般人に迷惑がかかるといけない」
ユリアが危険生物扱いされているが、あながち間違いでもなさそうなのが怖いところだ。
「さすがに母さんも抑えるよ、きっと」
「抑えたところで一般人は瞬殺できる」
「だから父さんも来るんだよ」
「いや、父さんは父さんで。……まあ、いい。とにかく、俺はもう行くから」
ソファーから立ち上がったテオドールは、エルナの頭をそっと撫でる。
「エルナはベールに刺繍しているんだろう? あまり無理をするなよ。徹夜とか……あとは、爆弾は作るなよ」
「……ベールで何を爆破するのですか」
確かに以前領地で作ったハンカチは、ユリアに「聖なる爆弾」と言われてしまった。
だが、今回はグラナートの安全を祈っているのだから、問題ないはずだ。
じろりと睨むと、テオドールは逃げるように部屋を出て行ってしまう。
何だか釈然とせず、エルナは唇を尖らせる。
「テオ兄様が酷いです」
膨れていると、そばにやってきたレオンハルトがエルナの頭を撫でた。
「死人が出ない程度にね」
にこりと微笑まれ、エルナの頬は更に膨らむ。
本当に、一体何だと思われているのだ。
ユリアはアレだが、エルナは酷い濡れ衣である。
心に広がる不満を流し込むように、エルナは紅茶を飲み込んだ。
※活動報告で今後のご連絡をしています。
「虐げられた苺姫は聖女のループに苺で抗う 〜たぶん悪役令嬢の私、超塩対応の婚約者に溺愛されてる場合じゃない〜」のイケオジ護衛騎士番外編完結。
そして魔法のiらんどでも連載中!
「未プレイ」「苺姫」ランク入りに感謝!
次話 ノイマン家の使用人はたぶんアレ&リリーに変なスイッチが入ります!