高貴な人の足枷
クッキーを食べきって紅茶を三杯飲んだ後にリリー達と別れたエルナは、そのまま王宮に足を運んでいた。
今日は王太子妃教育もなければ、グラナートのとの約束もない。
それでも、何だか話をしたくなったのだ。
次期王太子妃として国王に認められて何度も通っているので、王宮内の人間とも顔見知りになっている。
各所で挨拶をしたりされたりしながら王族の区域に向かっていたエルナは、途中の回廊で見覚えのある人影に気付いた。
輝く金髪の女性は、間違いなくペルレだ。
男性と話す表情はいつものように気品に溢れていて、とても美しい。
それでもエルナは、先日レオンハルトと踊った時の可愛らしい顔も好きだった。
挨拶をしたいところだが、話の邪魔をするのも良くない。
どうしたものかと思っていると、真珠の瞳と目が合った。
「――エルナさん!」
珍しく大きな声を出したかと思うと、そのままペルレがこちらに駆け寄ってくる。
もちろん本気の俊足ではないが、それでも上品な王女にしては少し違和感のある速さだ。
ペルレに遅れて男性もついてきたことで、エルナの前に二人が並ぶ形になった。
「お待たせしてしまいましたわね。今、参りますわ」
男性ならばとろけてしまいそうな優雅な微笑みに、エルナも思わずうなずく。
ペルレのような淑女が声を上げ、足早に近寄ってきて、このセリフだ。
これは、ここから……いや、この男性から離れたいのだろうか。
「いいえ、平気です。それで、ペルレ様、そちらの方は?」
エルナの視線に一瞬眉を顰めた男性は、すぐに優雅に一礼する。
「ノイマン子爵令嬢には、お初にお目にかかります。デニス・ロンメルと申します」
顔を上げたデニスは、エルナを舐めるように見ると、にこりと微笑んだ。
「ノイマン子爵と言えば、領地から出てこないことで有名ですね。田舎の子爵令嬢が次期王太子妃となると、荷が重いでしょう。何かあれば、どうぞお声がけください」
笑顔で言葉だけは丁寧だが、要は「田舎者に次期王太子妃など務まらない」と言いたいらしい。
ほぼ事実だし、別にデニスに嫌われるのも構わない。
だがエルナ本人にそれを言うのは、あまり得策ではないだろう。
ただ迂闊というわけではないのなら、何か目的があるはず。
普通に考えれば挑発ともとれるが……エルナを怒らせたいのだろうか。
「ありがとうございます。田舎の若輩者ですが、ペルレ様のような素晴らしい方の力添えで、支えられております。何かありましたら、よろしくお願いいたしますね」
エルナが答えると明らかに不満そうな顔をしたデニスは、ちらりとペルレに視線を向けた。
「ところで、ペルレ様と何かお約束が?」
「はい。ご一緒する予定ですが、何か?」
下手にどこに行くとか何をすると言えば、ボロが出る。
当然だと言わんばかりの自信満々な雰囲気を出して、後は笑顔で誤魔化そう。
女性の笑顔は最強だとアデリナは言っていた。
笑顔の威力で言えば、ペルレやアデリナの足元の石ころにも及ばないが、それでも弱気なところを見せるわけにはいかない。
「わたくしとエルナさんは、殿下に呼ばれていますの。お待たせするわけにはいきませんので、失礼いたしますわね」
石ころ以下の笑顔の後にペルレの天上の光のような笑みを目にしたデニスは、有無を言わさぬ圧力にうなずくと、そのまま礼をして立ち去って行く。
さすが美貌と気品の合わせ技の効果は凄まじいものだと感心していると、ペルレが小さく息をついた。
「助かりましたわ、エルナさん。今からグラナートのところへ?」
「はい。約束はしていないので、会えるかどうかわかりませんが」
グラナートは王太子として仕事をしているので、執務室にいる保証もない。
在室だとしても、忙しければエルナの相手をしている暇はないだろう。
だが、ペルレは困ったように微笑んでいる。
「グラナートが、エルナさんの訪問を逃すわけがありませんわ。ご一緒してもよろしいかしら」
「もちろんです」
二人で歩き出すが、ペルレは特に何も言わない。
助かったと口にしたからには、デニスと離れたかったはずだ。
気にならないわけではないが、ここは王宮内とはいえ人目が多い。
個人的な事情なら聞くのも失礼だろうし、下手なことは言わずにいた方がいいだろう。
そのまま王族の区域に入るとペルレは女官に声をかけ、グラナートの執務室の近くの部屋に入る。
ソファーに腰かけるとすぐに紅茶の用意がされ、あっという間に女官達は退室していった。
いつもながら、仕事の速さが素晴らしい。
紅茶を口に運べば、ほのかに花の香りが鼻をくすぐる。
思わず微笑むエルナを見て、ペルレもまた笑みを浮かべた。
「エルナさんも、成長しましたわね。何だったのか、あの場でわたくしに尋ねなかったでしょう?」
「聞いた方が良かったのですか?」
対応を間違えたのだろうかと少し不安になっていると、ペルレが首を振る。
遅れて揺れる金の髪が光を弾いて美しい。
「それでも構いませんが、場合によっては彼が聞き耳を立てている可能性もあります。ここはもう王族の区域ですので、問題ありませんが」
ということは、あの場でペルレに聞かなくて正解だったということか。
少し前の自分を褒めてあげたい。
「こんな風に貴族や王族の暗黙の決まりのようなものを身に着けているのは、喜ばしいですわ。ですが同時に、本来はそんなに気を使わなくても良かったあなたを巻き込んでしまう罪悪感がありますわね」
申し訳なさそうに告げられたが、グラナートにも似たようなことを言われたことがある。
この姉弟は、とても優しい。
だからこそ、エルナもその期待に応えたいと思うのだ。
「もともと貴族令嬢なら当然のことですし、私が今まであまりにもできていなかったというだけで……」
そこまで言って、ふと先程のリリーの姿が頭に浮かぶ。
エルナは色々不足しかしていないが、これでも一応は貴族令嬢だ。
貴族社会のあれこれというのは、貴族令嬢と平民では基本の情報からしてまったく違う。
リリーはとても優秀なので何でも覚えてしまうだろうが、そういう基礎の部分で習慣が違い過ぎて苦労するのは間違いなかった。
「……あの。高貴な方にとって、身分が下で貴族社会の習慣や教養が不足している存在というのは……やはり、足枷になるのでしょうか?」
「虐げられた苺姫は聖女のループに苺で抗う 〜たぶん悪役令嬢の私、超塩対応の婚約者に溺愛されてる場合じゃない〜」のイケオジ護衛騎士番外編完結。
そして魔法のiらんどでも連載中!
「未プレイ」「苺姫」「残念令嬢」ランク入りに感謝!
次話 身分の差は足枷かと問うエルナに、ペルレは……。