勝手です
「……は?」
誰もが動きを止め、静かになった室内にリリーの声だけが響く。
ヴィルヘルムスはソファーから立ち上がってリリーの前にひざまずくと、その手をすくい取った。
「リリー、好きだ。俺と結婚してほしい」
まさかここで告白するとは思わずエルナは驚いたが、テオドールも同じような表情で二人を見ている。
対してグラナートとアデリナは「やっと言ったのか」という雰囲気。
当のリリーはぽかんと口を開けたまま固まっている。
「な、何の冗談ですか」
「本当は、君の気持ちが定まるまで待つつもりだったけれど……。この騒ぎを放っておけば、恐らく異母兄達は力をつけるだろうし、それを阻止するために俺に妃候補がつけられる。そうなってからでは面倒だ」
言いたいことはわからないでもないが、この説明はどうかと思う。
以前エルナに失礼なプロポーズをしたので、リリーの時には配慮しろと言ったのに。
結局、だいぶ失礼な物言いではないか。
エルナの気持ちに賛同するかのように、リリーが小さく息をついた。
「……もめごとを回避するためのプロポーズ、ですか」
「違う。俺の気持ちはリリーもわかっていただろう?」
「それは」
言葉に詰まったところを見ると、やはりリリーはヴィルヘルムスの好意を理解していたのだろう。
隣国の王太子が自国の王太子を経由してまで手紙を送ってくるくらいなのだから、勘違いのしようがないとも言えるが。
「二人きりでプロポーズするべきだとは思ったよ。以前にエルナにも注意されたしね。でも、君は俺と二人でいる時なら逃げるだろう? エルナ達がいれば、なかったことにはできない」
意外にもエルナの言葉を憶えていたらしいが、わかっていてリリーを追い詰めるような方法は褒められたものではない。
「申し訳ないが、のんびりと待つ時間はなくなってしまった。断るのなら受け入れるしかないが、考えるのを拒否されるわけにはいかない」
「……勝手です」
絞り出すように紡がれた言葉は、常のリリーのものとは異なって覇気がない。
「そうだな、俺は勝手だ。聖女の力を求め、リリーに協力してもらって、婚約者のままにしていた。今も俺の都合でプロポーズしている。しかも友人達を使って、君の逃げ道を絶って」
少し目を伏せたところを見ると、どうやらこのやり方を好きで選択しているわけではないようだ。
逆に言えば、それを選ばざるを得ない状況にヴィルヘルムスも追い詰められているのだろう。
「リリーの夢が官吏なのはわかっている。好意を伝えてくる男共に辟易していることも。身分の差に国の違いもあって、そう簡単には決断できないことも。それでも、俺にはリリーしか考えられない」
そう言うとリリーの手を放し、ヴィルヘルムスは立ち上がった。
「グラナート殿下の結婚式の後までは、ヘルツ王国に滞在する。その間に、結論を聞かせてほしい。君が俺を選んでくれるのなら……俺は、王太子として以外のすべてを君に捧げる」
ぽかんとするリリーを見て苦笑したヴィルヘルムスは、グラナートに一礼して部屋を出る。
それを追うようにグラナートも立ち上がり、ちらりとエルナに視線を送るとテオドールと共に部屋を出て行った。
「……いつか言うとは思っていましたが、まさかの場所とタイミングでしたわね」
感心するようにうなずくアデリナの横で、リリーはじっとうつむいている。
「リリーさん、大丈夫ですか? 今、お茶を淹れますね」
エルナは立ち上がると、用意されていたティーポットに茶葉を入れる。
使用人を呼べばすぐに紅茶を用意してくれるのだろうが、リリーはきっと他の人に会いたくないだろう。
三人分の紅茶と持参していたお菓子をテーブルに置いてリリーの隣に座ると、ティーカップを差し出す。
ゆっくりと顔を上げたリリーは、少し震える手でそれを受け取った。
「ありがとうございます、エルナ様」
リリーは弱々しい笑みを返すと、紅茶に口をつける。
ほう、とため息をつく様が、妙に色っぽい。
ティーカップを置いたリリーはクッキーに手を伸ばし、何かに気付いたようにじっと見ている。
「……このクッキー、香りが」
「あ、わかりますか。シナモンです。ちょうど手に入ったので、林檎と一緒に使ったのですが……苦手でしたか?」
「いいえ」
リリーは首を振ると、クッキーを頬張り、微笑む。
「ヴィル様は、シナモンがお好きらしいです」
「そうなんですね」
エルナも一枚口に放り込む。
ドライフルーツの林檎にシナモンの香りが効いて、なかなかの出来だ。
本当はグラナートへの差し入れのつもりだったが、また後日焼けばいいだろう。
クッキーを食べ終えたリリーは紅茶を飲むと、もう一度ため息をつく。
「シナモンって、独特ですよね。私、あまり得意ではなかったのですが。最近は慣れて、少し良さがわかってきました」
「確かに、癖がありますね」
「ヴィル様が好きだと言うから、何となく口にするようになって」
そこまで言うと、リリーはティーカップを置いて顔を上げた。
「ヴィル様は今まで私が関わった男性とは違って尊敬できますし、お話していても楽しいし。その……私に好意を持ってくれているのも、何となくわかっていました」
アデリナがリリーの隣で小さくうなずきながら、クッキーを頬張っている。
この様子では、クッキーを気に入ってもらえたようだ。
「でも私は平民で、ヴィル様は隣国の王太子。住む世界が違い過ぎます。もしも私が妃になろうものなら、彼の足を引っ張ることになる。そもそも、そんなことを考えること自体が不遜です」
否定的な言葉を並べているのに、そこに拒否の響きを感じられないのは、恐らくリリーの気持ちがエルナにも伝わってきているからなのだろう。
「じきにヴィル様も妃を娶る。それまで文通できたら十分だと思っていたのに……何で今、あんなことを言うのですか。それも、皆の前で。これじゃ、気のせいだと見て見ぬふりもできない。……勝手です」
エルナは手で顔を覆うリリーをぎゅっと抱きしめると、その頭をゆっくりと撫でた。
「……ヴィル様のこと、好きなのですね」
エルナの腕の中で小さくうなずいたリリーは、深く息を吐くと、顔を上げる。
「でも、駄目です。お断りしないと。それがヴィル様とブルート王国のためです」
「身分を気にするのならば、ミーゼスの養女という形にもできます。マナーが心配ならば、わたくしが特訓して差し上げます。互いに想い、王太子殿下本人が望んでいるのですから、我慢する必要はないと思いますわ」
アデリナが後押しするが、リリーの表情は硬い。
これでリリーが恋に溺れるような女性ならばどうかと思うが、官吏になるための勉学も、妃としてきっと役に立つはずだ。
あとは覚悟次第とはいえ、そう簡単には決断できないだろう。
「……まだ、時間はあります。慌てて結論を出さなくても大丈夫。どちらを選んでも、私達はリリーさんを応援しますよ」
エルナがポケットから取り出したハンカチを差し出すと、リリーが目を瞬かせている。
「ベールの合間に息抜きで作った、虹の刺繍のハンカチです。虹の聖女は、もともと眉唾物の噂でしかありません。ヴィル殿下が求める人こそが、聖女です。それでも気になるのなら、虹の刺繍のハンカチを持った聖女でいいと思います」
リリーの手にハンカチを乗せると、紅水晶の瞳が潤んでいく。
にこりと微笑んだことで、その白い肌を涙がきらりと走り抜けた。
「……また、凄いことになっていますね。このハンカチ」
「そうなのですか?」
「エルナ様はそういうのは、わからないのですね。確かに、このハンカチを持っていたら聖女と呼ばれてもおかしくありません」
今までのことから、多少の魔力が込められているのは予想できたが、そんなに酷いのだろうか。
「それ、逆に大丈夫ですか? 持たない方がいいのでは……」
心配になって尋ねると、リリーは眩い笑みとともに首を振る。
「いただきます。エルナ様のハンカチは一度、ヴィル様を助けています。きっと次は私を助けてくれる。……そんな気がします」
それはちょっと大袈裟な気もするが、リリーがいいと言うのならば大丈夫だろうか。
「エルナ様、アデリナ様、大好きです。これからも仲良くしてくださいますか?」
「もちろんです」
「当然ですわ」
即答する二人を見て、虹色の髪の美少女は華やかに微笑む。
いつまでも皆一緒というのは、難しいのだろう。
それでも、家族や友人達が幸せになりますようにと願わずにはいられない。
エルナは笑みを返すと、紅茶のお代わりを用意すべく立ち上がった。
「虐げられた苺姫は聖女のループに苺で抗う 〜たぶん悪役令嬢の私、超塩対応の婚約者に溺愛されてる場合じゃない〜」のイケオジ護衛騎士番外編完結。
そして魔法のiらんどでも連載中!
「未プレイ」「苺姫」「残念令嬢」ランク入りに感謝!
次話 リリーの件を相談しようと王宮に行くと、そこにいたのは……。