謎理論がまた出ました
「だいぶ、ダンスも上手になりましたね」
「それは、殿下のおかげです」
ようやく話題が変わったことに安堵しながら、小さく息をつく。
本来は専門の講師がついてレッスンを受けるところだが、色々あってエルナの指導はアデリナ、練習相手はグラナートが務めてくれている。
名門公爵令嬢と王太子というまさかの豪華な組み合わせだが、二人とも教え方が上手なので凡人のエルナでもどうにか様になってきていた。
「私が上達すればレッスンも減って、殿下の時間も自由になりますから。頑張ります」
ただでさえ忙しい時間を割いてもらっているのは心苦しかったが、この調子なら何とかグラナートの負担を減らすことができそうで、一安心である。
「うーん。それは、ちょっと困りますね」
「はい?」
時間を奪われて困るというのならわかるが、どういう意味だろう。
「レッスンという口実で堂々とエルナさんと踊る時間を取れるのは、捨て難いです」
「ですが、殿下はお忙しいので」
王太子をレッスンに借りだしている現状がおかしいので、できるだけ速やかに改善するべきだと思うのだが。
「本当なら、毎日一緒にいたいくらいです」
「そ、そうですか」
まっすぐに見つめられてそう言われれば、もう否定する力など湧いてこない。
「エルナさんは、違いますか?」
「いえ、その……殿下にお会いできるのは、嬉しい、です」
「それは良かった」
にこりと微笑むその顔が眩しくて、思わず目を細めてしまう。
美少年は正義であり、その微笑みは爆弾だ。
凡人はただ、その光を浴び、大人しく爆撃されることしかできないのである。
「結婚したらアインス宮に一緒に住みますので、毎日顔を見られますね」
楽しそうにグラナートが言うのを聞いて、エルナはようやく自分の将来の危機に気付いた。
毎日この美少年が間近にいる生活となると、鼻血が出ないか心配で仕方がないのだが。
どうすれば鼻粘膜を鍛えられるのか考えながら踊っていると、視界の端に金の髪の美女の姿をとらえる。
レオンハルトと話をしているようだが、ペルレはこちらに背を向けているので表情がわからない。
邪魔になるようならば話しかけない方がいいだろうかと考えていると、ちょうど曲のテンポが変化した。
考え事のせいで反応が遅れた足がもつれ、体が傾ぐ。
これはさすがに転ぶと察したエルナは、グラナートを巻き込まないように手を離そうとしたが、それよりも早く抱きこまれてしまう。
すっぽりと腕の中に入って胸に顔を埋めて気付いたが、グラナートは意外と筋肉質だ。
……いや、助けて貰った感想が筋肉質というのは、おかしい。
どんな変態なのだ。
ここは舞踏会という公の場で、ダンスするグラナートは注目の的のはず。
速やかに謝罪をし、ダンスを続けなければ不自然だ。
慌てて離れようとするのだが、何故かグラナートの手は緩まず、腕の中から出ることができない。
「あの、殿下……?」
混乱しつつも顔を上げると、吐息が届きそうなほどの至近距離に柘榴石の瞳がある。
「ダンスの間は、僕のことを見てほしいですね」
確かに、ダンスをするのならばしっかりと集中しなければ。
もともと上手なわけではないのだから、よそ見をしている場合ではない。
「すみませんでした。それで、あの……もう少し離れてください」
今はただ抱きしめられているような状態なので、動けない。
当然、踊ることもできないので、かなり目立っている。
早急に踊るなり、この場を離れるなりしなければ、どんどん注目を集めてしまう。
「何故です?」
「何故って。人前ですし。その……恥ずかしいので」
言うまでもないことを言わされて、二倍恥ずかしい。
だがグラナートは微笑んだかと思うと、次の瞬間、エルナの額に唇を落とした。
大勢が息をのむ音が聞こえ、ほぼ同時に会場に悲鳴としか思えない歓声が響く。
婚約者である次期王太子妃がいてもこの反応とは、さすが麗しの王太子と言いたいところだが、それどころではない。
エルナの心臓は大運動会を突然開始してしまい、玉入れの玉が鼓動と共に乱舞している。
そういえば、玉入れの玉は何故手作りのものを持参する形だったのだろう。
色合いが違うどころか花柄の物が混じっていたり、大きさにばらつきがあったりして統一感がない。
更に中身も指定しているのかいないのか、スカスカの綿だったり、投げると小豆のシャワーが降り注ぐハプニングまで楽しめる。
どうでもいい日本の知識がよみがえったせいで、頭の中の運動会会場は小豆乱舞に様変わりしてしまった。
……いや、今は散らばった脳内の小豆を拾っている場合ではなかった。
「殿下。こんな人前で、何を」
さすがにどうかと思うので抗議しようとするのだが、グラナートは何ひとつ悪びれる様子がない。
「以前にも言いましたよね。恥ずかしいのなら、それ以上のことをすれば上書きできると思いまして」
――また出た、謎理論。
意味がわからない上に眩い笑みを至近距離で返され、何も言えなくなってしまう。
というか、そろそろ鼻血が出てもおかしくない。
「う、上書きされました! されたので、もう行きましょう!」
このままここにいては、ダンスの邪魔だし人目を集めすぎる。
必死の訴えが届いたのか、あっさりと腕を緩めたグラナートに手を引かれて歩き出す。
にやにやという形容詞がぴったりの生暖かい視線がいたたまれなくて、険しめの視線を送ってくる御令嬢が善人に見えてきた。
――いっそ、罵られたい。
そうすれば、この恥ずかしさから逃れられる気がする。
混乱のあまり人生初の謎の感情に襲われていると、気が付けばペルレとレオンハルトの前に立っていた。
※諸事情により「未プレイ」第1章あたりをいじっています。
詳しくは活動報告をご覧ください。
「虐げられた苺姫は聖女のループに苺で抗う 〜たぶん悪役令嬢の私、超塩対応の婚約者に溺愛されてる場合じゃない〜」のイケオジ護衛騎士番外編完結しました。
次話 レオンハルト達を見つけたエルナですが……。