リリーの恋心
「エルナ様の髪が結いたいです」
いつものように学園のベンチに腰かけて三人でクッキーを食べていると、リリーがぽつりと呟いた。
「今、結っていますよ?」
リリーは櫛を片手にエルナの髪を梳かしているし、既にほぼ結い終わっている。
何故そんなことを言い出したのか、よくわからない。
「違います。結婚式ですよ。エルナ様の晴れ姿、人生の門出。そのウェディングドレスを飾る髪……ロマンですよね」
美少女がうっとりと目を細める姿は眼福だが、言っている内容は何だかおかしい。
何と答えたらいいのかわからなかったエルナは、とりあえずリリーの口にクッキーを放り込む。
これも『あーん』なのだろうが、グラナート相手の時と違って心身に負担がかからない。
それどころか、眼福すぎて体がほかほかと温まる。
美少女というのは、体にも優しい。
実にありがたい存在である。
「そういえば、ヴィル殿下が少し遅れるそうですね」
「はい。調査の指揮を執っているらしいです。ヴィル様は責任感が強いので、途中で抜けられないのでしょうね。そういうところは素晴らしいと思いますが、少し手を抜くことも覚えた方がいい気がします」
すらすらと答えるリリーに、エルナとアデリナは思わず顔を見合わせる。
だが、それに気付いていないらしいリリーは、どんどんと話を続けていく。
「大体、指揮を執ると言っても本来は王太子であるヴィル様が、現場にまで行く必要はないのです。もちろん現場を知ろうという精神は大切ですが、危険もあるわけですし。そのあたりの線引きをしっかりとしていただきませんと」
ヴィルが遅れるという情報を知っていたのは文通のおかげなのだろうから、まだわかるとして。
その後に続く言葉に熱が入りすぎではないだろうか。
少し呆気に取られている間にも、リリーの話はまだ続く。
「エルナ様達の結婚式の後には、早めに帰らないと次の予定が入っています。訪問が遅れれば滞在期間が短くなるわけですし、ただでさえ顔を見る機会がないのに……」
話がヴィルヘルムスの仕事から、会えなくて寂しいと言わんばかりの内容に変化しているのを見守っていると、視線に気付いたらしいリリーの言葉が止まった。
「え、あの……」
困惑した様子のリリーの口にクッキーを放り込んだアデリナは、大きなため息をついた。
美少女が美少女に『あーん』するなんて、ご褒美としか思えない。
世にも美しい光景を目に焼き付けようと、エルナは心のシャッターを連打した。
「リリーさんは、ブルートの王太子殿下をどう思っていますの?」
「どうって……友人です。友人と呼ぶのもおこがましいですが」
クッキーを飲み込んだリリーが答えると、アデリナが首を振った。
「あちらはブルート王国の王太子で、リリーさんはヘルツ王国の平民です。普通に考えれば、接点すらありません。それをわざわざ、ヘルツの王太子を経由してまで手紙を送っていますのよ。ただの友人とは思えませんわ」
「それは、婚約者の役をしたから……」
リリーにしては珍しく言葉尻を濁すのは、恐らくアデリナが言いたいことが薄々わかっているからなのだろう。
「以前の舞踏会でもリリーさんと踊って、そばを離れなかったと聞きましたわ。一国の王太子が、です。リリーさんが貴族のあれこれに疎いとしても、これが普通ではないことはわかるでしょう。……さすがにヴィルヘルムス殿下の気持ちに気付きますわよね」
王太子として公式に参加している以上、平民と一度でも踊ること自体が異例だ。
それを他の女性とは踊らずにそばから離れなかったというのだから、ヴィルヘルムスの方は好意を隠す気がない。
それどころか、公にリリーという存在をアピールしているとさえ言えた。
だが、当のリリーの表情は硬い。
「でも。仮にそうだとして、何になりますか? 平民と隣国の王太子だなんて、手紙のやり取りだけでも奇跡です。ヴィル様は立派な王太子で、ゆくゆくは国王になる。そこに私は必要ありません。迷惑でしかないです」
一気にそう言うと、リリーはクッキーを齧る。
どう聞いても好意があるとしか思えずアデリナの方を見ると、言わずとも伝わったらしく小さくうなずき返された。
「王となる人の役に立てない、足を引っ張る、その資格がないということですか?」
「そうです」
「私も、自分をそう思っていましたよ」
エルナの言葉にリリーが紅水晶の瞳を瞬かせる。
「さすがに隣国の王太子と平民ほどではありませんが。田舎の子爵令嬢だなんて、本来は王族と顔を合わせて言葉を交わす機会すらないです。それでも、殿下が私でいいと言ってくださったので」
アデリナやリリーのように、身分があるわけでも優秀なわけでもなく、美少女でもない。
それでも頑張っているのは、グラナートがエルナを選んでくれたからだ。
「以前にアデリナ様が言っていましたよね。王太子妃は、王太子を支える者だ、と。ヴィル殿下が望むのなら、それはリリーさんなのだと思います」
「エルナ様と殿下は互いに想い合っています。私とは、違います」
「……好きじゃないとは言わないのですね」
唇を引き結んで視線を逸らすリリーもまた、可愛い。
だが、彼女本来の美しさを知る者としては、笑顔でいてほしいと願ってしまう。
リリーは昔から男性に好意を寄せられることが多く、しつこく絡まれたりもしたと聞いている。
そのせいもあって男性、特に貴族男性を警戒しているのは知っていた。
それがヴィルヘルムスとは楽しそうに話しているし、嫌いだとか嫌だという言葉は出てこないのだから、それなりに好意はあるのだろう。
「私のことはいいです。それよりも『あーん』は、きちんとできましたか?」
明らかに話題を変えようとしているのはわかるが、ここで無理に追求して頑なになられても困る。
優秀で男前なリリーではあるが、どうやら自身の恋心は若干持て余しているようだ。
「ええと。頑張りました」
エルナがうなずくと、リリーがじっと見つめてくる。
「殿下からエルナ様には」
「しました」
「エルナ様から殿下には」
「しました」
「――素晴らしいです」
何度もうなずいたリリーは、満足そうに手を叩く。
「それで、アデリナ様は?」
眩い笑みを向けられた銅の髪の美少女の肩が、びくりと震える。
「アデリナ様が持っていた林檎を齧ったので、アデリナ様からテオ兄様は一応できたのだと思います」
「……何ですか、それ」
ことの経緯を説明すると、リリーは腕を組んで思案している。
「うーん。まあ、アデリナ様にしては頑張りましたね。あとはもう少しきちんとした形の『あーん』が欲しいです。それと、テオドール様からアデリナ様を実行ですね」
「それは、一応……」
「したのですか⁉」
小さな呟きを聞き逃さなかったエルナとリリーの声が重なった。
手に持った林檎をテオドールに齧られたアデリナは、執務室を飛び出している。
その後は知らなかったが、まさかリリーの課題をこなしているとは思わなかった。
アデリナの頬が赤みを帯びてきたことから察するに、本当のことなのだろう。
「テオ兄様に『あーん』されたのですね」
質問というよりは確認だったのだが、更にアデリナの顔が真っ赤に染まっていく。
「き、きちんと指示は守りましたわよ! もうよろしいでしょう!?」
声は大きいし怒っている風だが、照れ隠しなのがバレバレなので何も怖くない。
というか、美少女が赤い顔を必死に誤魔化そうとしているあたり、ただの眼福でしかない。
「大体、何故わたくしが……」
「楽しいじゃありませんか」
にこにことクッキーを頬張るリリーを見て、アデリナの黄玉の瞳がきらりと光る。
「それなら、ブルートの王太子殿下がいらしたら、リリーさんも『あーん』してくださいませ」
突然の反撃に、リリーが激しくむせる。
この美少女二人は、自分のこと以外だと強気で押してくるので、面白い。
赤い顔で言い合う二人を見ながら、エルナもクッキーを口に放り込んだ。
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次話 ペルレをエスコートしているはずのレオンハルトの様子を見たいエルナに、またあの人が……。
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