レオンハルトのこだわり
「殿下は、最近ちょっと酷いと思います」
『あーん』の課題を終えて帰宅したエルナは、心を落ち着かせようと刺繍に没頭していた。
結婚式で使うベールには既に植物が咲き乱れていたが、更に実をつけているところである。
白一色でこんなに刺繍した経験はなかったが、これはこれで美しいので悪くない。
「大体、テオ兄様にあんなことを言わなくても」
二人きりになりたいから出て行けと言わんばかりのセリフは、今思い出しても恥ずかしい。
「……いえ、その前に私も課題とはいえわざわざ『あーん』しに行ったわけですから。恥ずかしさとしては同罪でしょうか」
グラナートは言葉だけなのに対して、エルナは行動まで伴っている。
ということは、エルナの方がより悪質な気もしてきた。
「い、いいえ。でも、やっぱり殿下の方が!」
「殿下がどうしたの、エルナ」
急に声をかけられて危うくベールを落としそうになり、慌てて抱え込む。
いつの間にか室内にいた長兄は、不思議そうにエルナを見ながらソファーの向かいに腰かけた。
「何でもありません」
『あーん』死させられそうですと訴えるわけにもいかず、エルナはベールを再び広げる。
「だいぶ刺繍したね。あまり無理をしてはいけないよ」
「大丈夫です。これで息抜きもしているので」
そう言ってそれを差し出すと、レオンハルトは首を傾げている。
「ハンカチに見えるけれど」
「はい。そのハンカチに刺繍をしています」
ベールの刺繍は楽しいが、たまに色糸を使いたくなる時もある。
そんな時にふんだんに色糸を使って作ったのが、この虹の刺繍ハンカチだった。
赤い部分にはもちろん『グラナートの赤』こと三十九番の赤い糸を使っている。
この糸を始めて見た時にはクラスにいる王子の名前すら知らなかったのに、もうすぐその人と結婚するのだ。
人生は、何が起こるかわからないものである。
「結局刺繍しているけれど……まあ、エルナが楽しいならいいよ。それよりも、そのベールは大丈夫?」
「何が、ですか?」
刺繍をして疲れないかというのならわかるが、ベールが大丈夫とはどういう意味だろう。
「ほら。以前に『グリュック』として刺繍ハンカチを売って色々あっただろう? 領地では聖なる爆弾を作ったと母さんが言っていたし」
確かにあった。
あの頃は自分に聖なる魔力があるとは理解しておらず、知らぬ間に魔力を込めていたらしい。
「たぶん、大丈夫です。殿下を守ることを考えるようにしているので……」
うっかり正直に答えてから失言に気付くと、レオンハルトがにこにこと笑顔を向けていた。
「すみません。恥ずかしいことを言いました……」
下手なことを考えると爆弾爆弾と言われるので、一番平和そうなことを考えていたのだが、兄に対して告白する内容ではなかった。
「照れることはないよ。妃として王太子を支えるのは当然のことだ。エルナが殿下を大切に想い、殿下もエルナを大切にしてくれる。こんなに嬉しいことはないよ。ああ……もうお嫁に行っちゃうのか。あっという間に大きくなっちゃって」
「何故、父親目線なのですか」
確かに王都に来てからはエルナの保護者だったわけだが。
「テオもいい人を見つけたみたいだし。寂しくなるなあ」
「そうだ。そのテオ兄様ですけれど。アデリナ様と結婚は……どう思いますか?」
アデリナは家のことを気にしていたので、ここは大人の意見も聞いてみたい。
「そうだな。うちはテオさえよければそれでいいけれど、ミーゼス公爵家はそう簡単な話じゃない。何せ、王子の妃候補に長年名を連ねていた御令嬢だ。現状でテオは子爵令息にして近衛騎士で、一代限りの準貴族扱い。ミーゼス公爵令嬢が平民のような暮らしをできるとも思えない」
その通りなのだが、改めて第三者に言われると、ことの厳しさがよくわかる。
「とはいえ、決めるのは本人達だ。俺達は応援してあげよう」
「はい」
どの道を選ぶにしても、皆に幸せになってほしい。
エルナの聖なる魔力も、刺繍で爆弾を作るのではなくて、そういう幸せを運ぶものだったら良かったのに。
「それで、レオン兄様はどうですか? その。お嫁さんにしたい方とか、好意のある方とか」
エルナとテオドールを見守ってくれるのはありがたいが、年齢的にも立場的にもレオンハルトだってお相手を探す時期ではないのだろうか。
今まで聞いたことのない長兄の女性関係に、興味も湧くというものだ。
レオンハルトは見目も悪くないし、物腰も柔らかくて優しいし、妹の目から見てなかなかの好青年だと思う。
田舎子爵家の跡継ぎというのは少し弱いかもしれないが、それを補って有り余る魅力があるはずだ。
「うーん、そうだね。そういう目で見ていないかな。何せ、弟妹と子爵代理で忙しくて」
それは確かにそうかもしれない。
だが、エルナが家を出るのだから、少しは手が空くはずだ。
「では、どんな方が好みなのですか? 容姿とか、年齢とか」
そういう外見上の特徴で区別するのはどうかと思うが、こうして尋ねる場合にはわかりやすい指標が欲しい。
だが、レオンハルトは困ったように笑っている。
「別にこだわりは……あ、一つだけあった」
「何ですか?」
「――母さんにビビらないこと」
笑顔で告げられた謎の言葉に、エルナの眉間に皺が寄っていく。
「……お母様は、今までレオン兄様の恋人を脅していたのですか?」
まさかとは思うが、あのユリアなので絶対ないとは言い切れないのが切ない。
「たまに王都に母さんがいる時に、夜会とかで何故か挨拶にくる子がいてね。母さんに挨拶してすぐに倒れた」
「いや、何故か挨拶に来るって。それ、レオン兄様に好意があるのでは」
普通、両親と一緒の男性に女性が一人で挨拶にはいかない気がする。
貴族令嬢としての嗜み云々はよくわからないが、それを超えてでもレオンハルトとその両親に顔を憶えてほしかったということではないのだろうか。
「そうかな。よくあるし、普通なんじゃない?」
「絶対ないと思います。……レオン兄様、気付いていないだけで実はモテモテなのでは?」
夜会等ではいつもエルナをエスコートしてそばから離れなかったので、まさかそんなことになっているとは思いもしなかった。
確かに思い返せば周囲の女性の視線が多少冷たい気もしたが……あれは田舎者が目立っているのではなくて、レオンハルトに近付けない恨みの眼差しだったのかもしれない。
「それはないだろう。どこの御令嬢が魔物溢れる田舎領地の子爵家に嫁ぎたいと言うんだい」
「……うちって、魔物溢れていたのですか?」
エルナの認識では、いるにはいるが見たこともないし縁遠い存在だったのだが。
「少なくとも、王都に比べたら豊作だね」
「野菜の収穫みたいに言わないでください」
実際、剣豪と呼ばれるレオンハルトや、それを遥かに凌ぐというユリアならば、野菜の収穫のようなものかもしれないが。
「とにかくテオが言うには聖なる威圧光線が凄かったらしいから。そのせいかな。本人はそのつもりがないらしいけれど、やはり跡継ぎの嫁になるかもと思うと力が入るんだろうね」
「何ですかそれ。怖いです」
ユリアはテオドール命名の聖なる威圧光線を放っている。
放っているだけとはいえ、その圧の強さにとても無視することはできない代物だ。
どうやら威力が増されていたようだし、一般貴族の御令嬢が倒れてしまうのも無理はない。
「まったくの魔力なしか、それなりの魔力持ちじゃないと厳しいってテオは言っていたよ。貴族は基本的に平民よりも魔力に優れているから、かえってダメージを受けるらしい」
「そんな」
それでは、貴族社会でいい人を見つけるのはほぼ不可能ではないか。
「まあ、いざとなれば平民からお嫁さんを迎えてもいいし。何ならノイマン家はテオかその子供に継がせればいいしね」
それはそうなのだが、それにしても関心が薄い。
決して跡継ぎである責任感がないわけではないのに、何故こんなにこだわりがないのだろう。
「レオン兄様は、誰がお嫁さんでもいいのですか?」
「そうじゃないけれど。母さんがアレだし、俺も結構アレらしいし。相手に無理をさせるくらいなら、エルナやテオの子供の子守でもしていたいな」
そうか、羊の皮を被った兵器と呼ばれるレオンハルトにも、それゆえの悩みがあるのだ。
確かに、姑が光線を放ってきて、夫が兵器で、領地が魔物に溢れているとなると、普通の女性からすれば恐怖でしかないのかもしれない。
「レオン兄様はいつも私とテオ兄様の幸せを願ってくれています。私達だって、レオン兄様に幸せになってもらいたいです。きっと、隣にいてくれる素敵な女性が見つかりますよ」
必死に訴えるエルナを見て、レオンハルトは穏やかな笑みを浮かべる。
「ありがとう、エルナ。いつか、そうなるといいね」
「二度目の初恋がこじれた魔女は、ときめくと放電します」
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次話 レオンハルトの嫁問題を検討しているところにやってきたのは……。
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