ユリア・エーデル 5
攫うと言っても、正直マルセルに攫う価値はない。
恐らく、攫いたいランキング上位の『王子』であるザフィーアの方を狙ったのだろう。
ザフィーアは直系王族なのだから、一般貴族よりも魔力に優れているはず。
万が一マルセルを狙ったのだとしたら、抵抗する可能性が高い上に手強そうなザフィーアまで連れて行く理由がない。
マルセル的には、とんだとばっちり誘拐である。
攫われたという現場の裏庭には警備の男達が数名いて、近衛騎士を呼んだとか何とか慌てている。
ユリアはそのうちの一人を捕まえると、少しばかり急いで話を聞いた。
ザフィーアを狙う可能性のある人物の名前を聞いたユリアは、即座に頭の中で王都の地図とその人物の所有する屋敷を照らし合わせる。
自他ともに認める優秀なユリアは、暇つぶしに王都中の貴族の屋敷もすべて記憶していた。
馬車を使った形跡はないと言うし、王都の中を学生二人を抱えて移動するのは目立ちすぎる。
きっと近くに閉じ込めているはず。
ユリアは警備から剣を拝借すると、裏庭から駆け出した。
血の付いた剣を肩に担ぐと、目の前の扉を開けるために白い脚を振り上げる。
床に崩れ落ちた扉の向こうには、探し求めた人物の姿があった。
「――マルセル様! 怪我はない?」
マルセルはおろか、共に椅子に括りつけられている金髪の少年も、周囲のいかつい男達も、皆が唖然としてこちらを見ている。
たぶんあの金髪少年がザフィーアだろう。
何となく見覚えがある気がしないでもない。
「な、何だ? 王子を助けに来たのか? こんなに可愛い女の子が一人で?」
揶揄するような響きに、ユリアは鋭い視線を返す。
「馬鹿にしないで。私はマルセル様を取り戻しに来ただけよ」
「……王子は」
「好きにすればいいわ」
断言すると、男達の顔が引きつる。
「……な、なるほど。動揺を誘う魂胆か。だが、どちらにしても返すわけにはいかないな」
そう言うと、にやにやと笑いながら、小瓶を取り出した。
「ちょっと動けなくなってもらおうか。こっちも、お嬢さんもな」
男は小瓶のふたを外すと、マルセルにのませようとした。
中の液体の色と男の話からして、恐らく毒物。
良くないものをマルセルに使うなんて、許せない。
――そんなもの、いらない。
その瞬間、ユリアの体から何かが迸ると、小瓶から滴る液体がすべて煙に変わる。
あっという間に消え去った液体に理解が追い付かず、その場の全員が凍り付いた。
何が何だかわからないが、男の動きが止まった今がチャンスだ。
「……本当は、マルセル様に見せたくなかったのに」
ほんの少しのためらいを呟きに乗せて吹き飛ばすと、剣を構える。
ユリアが剣を振るえば、五人ほどいた男達は呆気なく床に倒れた。
いつの間にか気絶していたザフィーアを横目に、マルセルを縛っていた縄を解く。
本当は、剣を振るう姿を見せたくはなかった。
幼少期から止むことのない懸想対策と自衛のため、剣を取ったこと自体は後悔していない。
だが、ごく平凡であるマルセルからすれば、一振りで男を薙ぎ払うような女は、女ではないだろう。
好かれてはいないとしても、嫌われてはいなかった。
でも、それもここまでかもしれない。
そう思うと、縄を解く手が少し震えた。
それでも、これがユリアなのだから、隠すことはできない。
拘束を解かれたマルセルは、じっとユリアを見ると、ハンカチを差し出した。
「……マルセル様?」
「血がついています。拭いてください」
「でも、汚れちゃうから」
いいわ、と断る前に、ハンカチはユリアの頬の血を拭きとる。
「血がついていても綺麗ですけどね。さすがにどうかと思いますから」
――綺麗。
何度も何度も、沢山の人に飽きるほど言われた言葉。
でも、こんなに胸が苦しくなるくらい嬉しかったことは、ない。
ユリアは溢れそうになる涙をこらえると、マルセルの手を握りしめた。
「私、剣を持つとこんなで、持たなくてもアレだけれど。でも、必ずマルセル様を守るから。――私と結婚してください」
マルセルは表情を動かすことなく、じっとユリアを見つめる。
「俺、魔力も体力もないですよ」
「知ってるわ。よく転ぶわよね」
「背も高くないし、男前でもない」
「ごく普通よね」
「子爵令息といっても、山がちな田舎で魔物も多いし、財産も大してない」
「……それが何?」
ユリアが首を傾げると、ため息をつかれた。
「ユリアさんは容姿はいいし、黙って大人しくしていればよりどりみどりでしょう? 何で俺なんですか?」
「そんなもの、私が惚れたんだから、それ以外に理由はないわ。……私のこと、嫌い?」
「嫌いではないですね。面白いですし」
否定の言葉が出なかっただけで、ユリアの視界がぱっと開けた気がした。
「なら、問題ないわ。魔力は私があるし、剣も私が使うし、体力もある。財産も地位もいらないし、魔物なら私が倒すわ」
それまでじっとユリアを見ていたマルセルが、こらえきれないとばかりに笑い出す。
「……普通、プロポーズって男からするものではありませんか?」
「したい方がすれば問題ないわ。四の五の言わず、黙って私と結婚して」
すると笑いを止めたマルセルが、にやりと微笑む。
「――いいですよ。ユリアさんとなら、退屈しなさそうです」
ユリアの頭の中で、盛大に鐘が鳴り響いた。
嬉しすぎてどうしていいかわからず、顔を真っ赤にするとマルセルに抱きつく。
「マルセル様。私が必ず、幸せにしてあげるからね」
「それも男が言うものですよね」
頭上から聞こえる声はいつもより甘く脳に響いて、ユリアの心を蕩けさせる。
「できる方が言えばいいのよ」
「そうですか。……ではユリアさん。俺を幸せにしてください」
「――はい!」
ユリアが顔を上げると、瑠璃色の瞳が優しく微笑んでいた。
初投稿から毎日更新1周年感謝祭、「未プレイ」のリクエスト特別編は、これで終わりです。
次は「残念令嬢」のお話を「残念の宝庫」で公開しますので、お間違いなく。
詳しくは、活動報告をご覧ください。