乙女ゲームは、人を疑心暗鬼にします
「あなた、よくも騙してくれましたわね」
毎朝必ず挨拶に来るグラナートとテオを、上手くあしらって逃げられるようになった頃のことだった。
中庭のベンチにリリーと座っていたところを、令嬢六人ほどに取り囲まれた。
リーダー格の少女は怒っているようだった。
そういえば、以前にもこんなことがあったような気がする。
「ああ、あの時のリーダーの方ですね!」
「リーダーって何ですの?」
「こちらは、リーバー伯爵令嬢です。間違えないでいただきたいわ」
間違えるも何も、知らないのだから仕方ない。
どうやら、リーダーはリーバー伯爵令嬢というらしい。
まさしくリーダーになるべくしてなった名前であると感心した。
「それで、何の御用ですか?」
「あなた、グラナート殿下が名前で呼ばれたがっているなどと、わたくし達を騙しましたわね?」
「どういうことですか?」
「あなたが! 『グラナートさん』と呼ばれたがっているなどと、嘘をついたのでしょう」
「殿下に不敬であるとお叱りを受けましたのよ! どうしてくださるの!」
なるほど。どうやらリーダー達はグラナートを名前で呼び、結果的に不敬だとたしなめられたらしい。
「えー? 自分で呼べと言っておいて、それは酷いですね。呼ばなくてよかったです」
当たり屋みたいなことをする王子である。もしかして、暇なのだろうか。
「殿下がそんなことをなさるはずありませんわ。あなたがわたくし達を唆したのでしょう!」
「田舎貴族と平民の考えそうなことですわ」
どうやら、何をしてもエルナが全部悪いことになるらしい。
「お嫌いな平民と田舎貴族の言うことを勝手に信じておいて、結果が悪いからと責任転嫁されても困ります」
リリーが平然と正論を口にすると、リーダー一行はさらに怒気を強めた。
火に油を注ぐ系ヒロインとは、実に恐ろしい。
麗しいだけに、更に恐ろしい。
「でも、本当に言っていたのですが。『グラナートさん』と呼んでくれないのか、って。二回も。……高貴な方の考えることは、よくわかりませんね」
ポツリと愚痴をこぼすと、途端にリーダー一行がざわめきだした。
「本当に言われたの?」
「……え、名前を呼んでもいいというお許しだったのではなくて?」
「呼んでくれないのかと請われたの、ですか?」
「二回も?」
何かブツブツと一行が話し合っているが、よく聞こえない。
上品なご令嬢は声も小さいので、会話も面倒くさい。
「あの、リーダーさん。そろそろ授業が始まるので、行きますね」
いつまでも付き合っていられないので、リリーと共にベンチを立つ。
教室まではそこそこの距離があるので、急がなければならない。
「だから、リーダーではなくて、リーバー伯爵令嬢だと」
「おまちなさい」
何か言っていたが、授業開始に間に合わせるためにリリーと二人で走り出した後だった。
普通、令嬢とは優雅に淑やかに振舞うもの。
田舎を走り回って育ったエルナと平民のリリーに追いつける令嬢などいなかった。
「……貴族の御令嬢って、暇なのでしょうか」
エルナの呟きに、リリーが苦笑する。
「私は平民ですから、わかりません。エルナ様こそ、子爵令嬢じゃありませんか」
「そういえばそうでした。……でも、全然気持ちがわかりません。何がしたいのでしょうか」
リーダーに騙されたと文句を言われてからというもの、嫌がらせのようなものに遭っている。
相変わらずグラナートとテオが挨拶にくるので、貴族のクラスメイトからは敵対心むき出しにされるか、様子見とばかりに遠巻きにされている。
また、リリーは特待生に選ばれると噂されるほど優秀らしく、気に入らないらしい貴族はリリーを無視する。
必然的に、リリーとエルナは一緒にいることが多かった。
エルナとしても、誰が攻略対象でイベントに関わるのかわからない以上、下手にクラスメイトに接することができない。
――乙女ゲームによる、疑心暗鬼状態である。
『虹色パラダイス』は癒しもときめきもくれない上に、人を疑い深くする。
こうなると明らかにヒロインと分かっているリリーの方が、まだ安心できるというものだ。
そのせいでグラナートが来る気もするが、リリーとすっかり打ち解けた今となってはわざわざ離れるつもりはなかった。
「嫌がらせだと思いますよ、多分」
「うーん。どうも微妙ですよね……」
嫌がらせのようなもの、と言ったのもそこに原因がある。
乙女ゲームのヒロインである平民のリリーに貴族が嫌がらせをするとなると、もっと華々しいのではないか。
制服に泥水をかけるとか、持ち物を隠すとか破損とか、そういう『これぞ、嫌がらせ』というものが来るのかと気を張っていたのだが。
バケツを持った令嬢が転んだ音にびっくりしたり、教科書を並べた順番が変わっていたり……嫌がらせといっていいのかよくわからないことばかり起きている。
唯一それっぽいと言えば嫌味や悪口で、通りすがりやクラスの中などで何か言われていた。
ただ、何かを言われているなという認識なので、結局大した害はない。
「もしかして、貴族令嬢って嫌味を言うのが一番の嫌がらせなのでしょうか」
「もっと権力を使って嫌なことしてくるのを、知っていますけれど。確かにここの人達はぬるいですね」
ヒロインがぬるいとか言った。
そして、権力を使われたことあるらしい。
誰もが振り返るこの美貌だから、色々あったのかもしれない。
美少女というのも、大変そうである。
「そもそも、嫌がらせしてどうするのでしょう? 私達を泣かせたいのでしょうか」
泣いたとして、それで何になるのか。
そんなことで気分が晴れて嫌味が終わるのなら、一度くらい泣いてみてもいいかもしれない。
だが、リリーは首を振った。
「泣いたら喜んで、更に嫌味を言いますよ。自分が正しいと思っていますから」
妙に実感のこもったリリーの言葉に納得せざるを得ない。
「……でも、やり返されたらどうするつもりでしょうね」
「考えていないと思います」
それはまた、ずいぶんと短絡的である。
「でも、相手を刺す者は相手に刺されることを覚悟しなければならない、と言うじゃありませんか」
「エルナ様は、どこの武人ですか」
ノイマン家では普通の教えだったのだが、どうやら王都では馴染みがないらしい。
日本にも似たような言葉があった。……確か、人を呪わば穴二つだったか。
「覚悟なんて必要ありません。自分が正しくて相手が悪いんですから。あの人達にとっては、攻撃ではなくて正当な是正なんですよ」
なるほど。
だからわけのわからない言いがかりでも、あんなに堂々としているのだ。
自分の立っている場所は、綱の切れかかった吊り橋かもしれないのに。
乙女ゲームのイベントに巻き込まれるかもしれないというだけでも、これだけ不安なのだ。
とても、エルナには真似できそうにない。
「前向きなところは見習いたいですね」
ゲームの世界を楽しむくらいの余裕があったら、もっと楽だろうか。
「エルナ様は、そのままでいいです」
エルナという存在に親しみを感じてくれているのが伝わる言葉に、何だか安心する。
美少女の言葉は偉大である。
これが可愛いは正義というやつなのか、とエルナは感心した。