ユリア・エーデル 2
「エーデルさん、あなたに用がある方がいますの」
見たこともない女生徒に声をかけられ、ユリアは首を傾げた。
「それで?」
「その方が待っている教室にご案内しますわ」
ユリアは更に首を傾げた。
「用があるなら、そっちが来ればいいじゃない」
「え」
想定外の答えだったらしく、女性との顔が引きつる。
「大体、誰なの?」
「それは、教室に行けばわかりますわ」
「用もない誰だかわからない人に、何故私が会いに行かなければならないの?」
今度こそ、女生徒の顔が険しくなる。
「あ、あなた! たかが男爵令嬢のくせに、生意気ですわよ!」
勢いよく叫ぶと、しまったとでも言うかのように口を押さえる女生徒を見て、ユリアは微笑んだ。
「最初からそう言えばいいじゃない。『気に入らないから顔を貸しなさい』ってことね。了解よ、行きましょう」
乗り気になったユリアが引きずる形で移動すると、ある教室にたどり着いた。
「この教室の中で待っています」
「了解了解」
扉を開けて教室に入ってみるものの、誰もいない。
肩透かしをくらったユリアが振り返ると、扉が閉められ鍵をかけるような音が響いた。
「もう鍵を閉めたし、誰もここには来ません。せいぜい一人で頭を冷やすのですね!」
扉の外にはそれなりの人数がいるらしく、笑い声が聞こえてくる。
閉じ込められたのだと気付いて、ユリアは愕然とした。
「……これだけ?」
わざわざ出向いたというのに、空き教室に閉じ込めて終わりとは。
何という手抜きだろう。
金も権力も時間もあるのだろうから、もっと華々しい展開だと思って期待したというのに。
ユリアは肩を竦めると、白い脚を振り上げた。
鈍い音と共に扉が外れて教室の外に倒れると、埃と共に少女達の悲鳴が上がった。
「……やるなら、お相手するわよ?」
ユリアが微笑んだ瞬間、十人ほどの女生徒が悲鳴を上げながら逃げて行った。
「つまらないわね」
遅い逃げ足を見送ったユリアは、深いため息をついた。
呼び出しも期待外れだったので帰ろうと廊下を進んでいると、何やら声が聞こえてきた。
何となく教室を覗いてみると、中には黒髪の少年とそれを取り囲むように五人の男子生徒の姿が見える。
「おまえ、体力も魔力もないなんて、学園にいる意味ないだろう」
「さっさと田舎に帰れよ、無能」
どうやら黒髪の少年に文句を言っているらしく、五人の態度は横柄だ。
「……男も女も、一緒ね」
ユリアの場合は美少女な上に優秀だから絡まれているので、あの少年とは少し違う気もするが、やられていることは同じなので仲間意識が芽生える。
少年の傍らに置いてある紫と金の背表紙の本から察するに、どうやらユリアがぶつかった少年と同一人物のようだ。
「面倒だけど、ちょっと助けてあげようかな」
扉を蹴破るべく白い脚を持ち上げた時、黒髪の少年のため息が聞こえた。
「すべて本当のことですが。それが君に何の関係があるのですか?」
「学園の質を下げるだろう。目障りなんだよ」
「なるほど。学園の質を下げる者に対しては、一対多数で私刑まがいの忠告も許されるのですね。さすがは王都の高貴な方々です」
「何を」
揶揄されているとわかったらしい男子生徒達が、一斉に気色ばむ。
「ですが、学園を去るべきなのはあなたも一緒ですね」
「何だと?」
「パン屋の看板娘に手を出して金で揉み消した件は、学生としても紳士としても許されないと思いますよ。それからあなたは、父君の名で勝手に借金を作るのは感心しませんね。そちらのあなたは兄嫁の靴の匂いが好きということですが、何度も靴を隠せばさすがにばれますよ。それから……」
スラスラと湧き出てくる言葉に、男子生徒達は目を丸くし、次いで赤くなり、最終的に青くなった。
「――何で、おまえがそれを知っているんだ!」
「何故でしょうね? ですが、私は学園を去るのですから、気にすることはありませんよ」
「ふざけるな」
「では、せっかくですから私が知り得ることをすべて書き出してお届けしましょう。ご自宅に」
にこりと微笑む少年に、男子生徒の肩が震えた。
「……気が変わった。ちょっと痛い目に遭って、忘れてもらった方がいいな」
鋭い眼差しを向けられた少年は、まったく怯む様子もない。
「それは、暴力を振るうという宣言と捉えてよろしいですか?」
「うるさい! ふざけるな!」
「……肯定と見做します。では、正当防衛ですね」
少年はポケットから、黒い丸薬のような物を床に数粒落とす。
その瞬間、丸薬は弾けて真っ白な煙が一気にたちこめた。
「何だ? ――痛い! 目が痛い!」
教室の中から、悲痛な叫び声が聞こえてくる。
何なのだろうと経過を見守っていると、教室から本を抱えた少年が出て来た。
少年はユリアを見つけると目を瞠り、慌てて駆け寄ってきた。
「少し、離れた方がいいですよ」
そう言って手を引かれたのだが……遅い。
走っているはずなのに、妙に遅い。
これなら、匍匐前進するユリアの方が速い気がする。
しかも、何度か転びかけるのをユリアが支えている。
何と言うか、色々逆じゃないだろうか。
困惑しつつも中庭に抜けると、少年はユリアの手を放した。