ペルレ・ザクレス 5
「え?」
何を言われたのかわからずレオンハルトを見上げるが、そこには変わらず穏やかな笑顔があるだけだ。
「王女としてならば、自由はあまりなかったかもしれません。でも、今はもう少し自由なのではありませんか?」
「……確かに王女という立場に比べればましですが。それでもわたくしは公爵です。勝手は許されませんわ」
「ですが、あなたの兄弟はそうは考えていないと思いますよ。……ペルレ様は、ザクレス公爵が二人いることをどうお考えですか?」
「それは。母と祖父の罪がありますので、お兄様ひとりではなく、二人で互いに責任を果たして監視し合う意味だと」
「それもあるでしょうが。……今後ペルレ様はどうなさるのですか? スマラクト様が結婚すれば公爵夫人という存在ができ、いずれ子が生まれます。では、ペルレ様が結婚したら夫は、その子はどうなるのでしょう。もし公爵として扱うのなら、子世代の爵位は誰が継ぐのでしょうか」
「……それは」
過去の例を見ても、ずっと二人が公爵である可能性は低い。
そもそも二人で公爵という現在の状況が異例なのだ。
「いずれはどちらかがザクレス公となり、どちらかは公爵ではなくなりますわ」
「では、お二人のどちらが公爵になると思いますか」
「それは、お兄様です。今だって、ほとんどの執務はお兄様がこなしていますし。ですから、いずれはわたくしが国益のある結婚をすると思っています」
「いずれ婚姻する、しかも国益のためと言うのなら、元公爵の女性よりも王女の方が価値があります。わざわざ王族から外す意味がありませんね」
「それは、母と祖父の罪が」
「グラナート殿下も陛下も、お二人に罪はないと断じたと伺っていますが」
「それは。弟は、優しいので」
グラナートは昔から、優しい。
自身の命を脅かされている時も、それはずっと変わらなかった。
ペルレ達がグラナートを害さないとわかっているから、罪はないと言ってくれたのだろう。
だが、それを聞いたレオンハルトは少しばかり厳しい顔つきに変わった。
「王太子となった弟君を、軽く見てはいけません。仮にお二人に罪があれば、きっと処罰したでしょう。そういうところはまっすぐな方とお見受けしましたが」
ペルレはハッとして、自身の思い違いに目を伏せる。
「確かに……あの子は道理を曲げてまで私を庇うような、馬鹿な真似は致しません。お兄様によって、小さい頃から王太子教育を受けていた子ですから」
「ならば、あなた方に罪はない。罰として王族を外されたわけではない。スマラクト様の場合には第一王子で元王太子ですから、けじめとしても後顧の憂いを断つためにも必要だったでしょう。ですが、ペルレ様にはその必要はない。なのに何故か王族から外され、何故か兄君と共に公爵となった。異例の、二人共に公爵という形で。……どうしてでしょうね」
そう言われれば、返答に困る。
ペルレとしては母と祖父の罪があるのと、グラナートの障害にならないようにしたかったのと、兄に言われたからこうしたのだが。
「これは私の推測ですが、スマラクト様があなたをザクレスに連れ出しましたか?」
「ええ、そうですわ」
「そして二人で公爵となることを、グラナート殿下も承諾した、という事ですね?」
ペルレがうなずくのを見ると、何か納得したようにレオンハルトもうなずいた。
「それならば。たぶん、ペルレ様に自由を差し上げたかったのでしょうね」
「……どういう意味ですの?」
自由とは、何だ。
ペルレにとっては、もっとも縁遠い言葉の一つだが。
「王女の婚姻となれば、他国の王族か、国内なら公爵やそれに準じる上位貴族に降嫁するでしょうね。ですが、公爵家の御婦人となれば、それよりはまだ融通がききます。跡継ぎではありませんしね。平民相手はさすがに厳しいとは思いますが、貴族であれば何とかなるかもしれません」
それは確かに、レオンハルトの言う通りだ。
王女であった頃には、実際にそういった話が出ていた。
兄弟が防いでくれたから実現しなかっただけで、本来は既にどこぞの王の後妻なり側妃なりに収まっていただろう。
「とはいえ、ザクレスの名を持つ麗しい御婦人を、世間が放って置くわけがない。まして王族の血を宿す方ですから、引く手あまたでしょうね。そして、あなたは有益な相手であれば、あっさり婚姻を承諾するでしょう」
曲調が変わり、少しだけ動きが早くなる。
少しよろめいたペルレの体を支えながら、レオンハルトは微笑んだ。
「――だから、公爵にしたのです。爵位を持っている間、嫁ぐのは簡単ではありません。周囲もそれがわかるので、すぐには縁談を勧められない。そして、あなたが結婚を望むような相手が現れた時に公爵位を外せば、その相手に嫁ぐ障害は減ります」
「……もし、それが本当だとしたら。つまり」
「妹であり姉であるあなたに、自由に結婚してもらいたかったのではないでしょうか」
「そんな」
「もちろん、私の勝手な推測です。もっと別の理由があるかもしれませんが」
まさか、とは思う。
だが、それならば兄と弟の様子も腑に落ちる。
彼らはずっと、ペルレに自由がないことを憂いていた。
自分達だって同様の立場なのに、ペルレを想ってくれていた。
「ですが。何故、わかったのですか?」
もちろん、レオンハルトの推測でしかない。
だが、ペルレにはそれが真実だろうという確信が生まれていた。
「私も妹を持つ身ですから。周囲の都合のせいで望まぬ婚姻をさせられる妹を、見たくはありません。妹にも弟にも、笑顔でいてほしい。――それが、兄というものですよ」
優しく微笑むレオンハルトを見て、思わず涙が溢れそうになる。
兄の心遣い、弟の配慮。
どちらも、ありがたくて泣きたくなる。
そして、目の前で微笑むレオンハルトを見て、心が激しく揺さぶられる。
……ずっとずっと。
気付いていたけれど、気付かないふりをしていた。
ファンなのだと、少し気になっただけだと、言い訳をしていた。
――この人が、好きだ。
ついに涙が溢れかけたが、レオンハルトの前で泣くわけにはいかない。
俯いてぐっとこらえると、淑女としての笑みを返す。
兄と弟が自由を与えてくれるというのなら、それを無駄にはしない。
それが、ペルレにできることだから。
「……わたくし、頑張りますわ」
「はい? ……よくはわかりませんが、ペルレ様が幸せに笑顔で過ごせますよう、陰ながらお祈り申し上げます」
レオンハルトはまったくペルレの気持ちに気付いてなどいない。
それどころか、女性として見てくれているかどうかも怪しい。
これでも一応、王女として自分磨きをしてきたし、それなりの容姿には恵まれていると思うのだが。
「ええ。ありがとうございます。敵は手強いですけれど、望むところですわ」
「……敵、ですか?」
予想外の答えだったらしく、レオンハルトが首を傾げている。
「ええ。わたくし、諦めが悪い方ですの。決して、負けませんわ」
宣戦布告をすると、ペルレは心からの笑顔を強敵に向けた。