ペルレ・ザクレス 4 (第四章の後)
本編第四章の後のお話です。
「こうしていられるのも、いつまでかな」
ペルレは兄がぽつりとこぼした言葉に、顔を上げた。
「どういう意味ですの、お兄様?」
ザクレス公爵邸にもすっかり慣れ、二人でお茶を飲んでいる時の事だった。
突然の言葉の意味を図りかねたペルレは、ティーカップを置くとスマラクトを見つめた。
「うん? ほら、結婚すれば二人でお茶を飲むことも、少なくなるだろうから」
それは確かにそうだ。
王太子時代に婚約すらしなかったスマラクトも、いずれは公爵として妻を迎えなければならない。
「まあ。氷の王子と呼ばれたお兄様も、ついに結婚を考えるようになりましたのね」
主に炎の魔法を使うグラナートとは対照的に、スマラクトは氷の魔法の適性がある。
魔力量は圧倒的に弟が上とはいえ、直系王族のスマラクトも相応の魔力を保有している。
婚約どころか、ほとんど女性を寄せ付けない様子も相まって、氷の王子と貴族の中では呼ばれていた。
女性には興味がないという悪意ある噂も存在したようだが、実際はまったく違う。
当時王太子であるスマラクトが婚約するならば、当然上位貴族の令嬢だ。
婚約によりスマラクトの後ろ盾が盤石になれば、父王の庇護で何とか生き延びている状態のグラナートに、側妃が更なる攻撃を向ける可能性がある。
スマラクトは母である側妃が、グラナートにちょっかいを出していると知っていた。
最初は疑いだけだったのだろうが、確証を得たらしい頃からは完全に警戒している。
それと同時に、自分ではなくグラナートが王位を継ぐべきだと考え、ペルレにもそれを話してくれた。
自分が王になった際に補佐してほしいという名目で、ほとんど自身と同じ内容を弟に学ばせ、着実にその準備を進めていたのだ。
スマラクトの婚約者は王太子の伴侶となるべく家から差し出された存在であり、王太子でなくなる自分と共にいるのは不幸しか生まない。
そう言って女性に興味がないなどという噂も放置していた兄が、ついに結婚を考えるとは。
感慨深くて、何だか胸の奥が温かくなってきた。
だがスマラクトが妻を迎えるというのは、ペルレもまたどこかに嫁ぐということでもある。
一瞬レオンハルトの顔がよぎったが、すぐに頭から消し去った。
ペルレの現在の立場を考えれば、グラナートとスマラクトのためにも『良い』家に嫁がなければいけない。
少しでも兄弟達の支えになることが、ペルレの役割であり願いでもある。
こんな風に浮ついた思いを抱えるのも、もうすぐ終わりだ。
少しの寂しさを抱えつつ、相槌を打った。
「ペルレには、ずっと我慢ばかりをさせたな。剣術もそうだし、母のことも、それ以外も。……すまなかった」
謝罪する兄に面食らったペルレは、慌てて首を振った。
「そんなことはありませんわ。お兄様もグラナートも、わたくしのことを考えてくださっています。……それに、我慢しているというのなら、お兄様の方ですわ」
本来ならペルレを近隣の王族に送り込むのが、有効だっただろう。
ほとんどが既に妻帯していて、後妻や側妃という形になっただろうその話が実現しなかったのは、兄弟のおかげだ。
この上、わがままなど言うべくもない。
国のために、彼らが望む、彼らに有益な縁談ならば、いつでも受けようとペルレは決めていた。
「私は……いや、私達はペルレの幸せを願っているよ」
「存じておりますわ」
今まで、兄弟達はペルレを十分すぎるほどに守ってくれた。
王位を継ぐことも、公爵として執務をすることもままならぬペルレの、精一杯の恩返し。
――必ず、役に立とう。
ペルレはそう心に刻んで、スマラクトに笑みを返した。
「姉上、よく来てくださいました」
舞踏会のことで相談があると言われ、ペルレは王宮の執務室を訊ねた。
いつもグラナートの後ろに控えているテオドールの姿がないのは珍しいが、彼も正式に近衛騎士となったわけだから色々仕事があるのだろう。
そもそも呪いの魔法さえなければグラナートに危害を加えるのは難しく、護衛も必要ないと言っていいので、問題ない。
「次の舞踏会のことなのですが、グルーバーの騒動でお世話になったレオンハルトさんも招待するつもりです」
吹っ切ったつもりだったのに、その名前を聞いた瞬間に鼓動が跳ねる。
「それはいいと思いますわ。エルナさんもお兄様がいるなら安心でしょうし」
「そのエルナさんなのですが。今まではレオンハルトさんがエスコートしていたらしいのですが、今回は僕がいます。なので、姉上にレオンハルトさんのパートナーになってもらいたいのです」
ペルレの脳内に、高らかにファンファーレが鳴り響いた。
「……わたくしで、よろしいのなら」
控えめに承諾の意志を伝えたのは、危うく嬉しいと口にしそうになったからだ。
だが、言葉には出ずとも表情には出てしまったらしい。
グラナートは優しい笑みを浮かべて、ペルレを見つめている。
「姉上が喜んでくれて、僕も嬉しいですよ」
……もしかして、グラナートはペルレの気持ちに気付いているのだろうか。
確かに昔から剣豪・瑠璃の勇姿を散々聞かせていたから、かなりのファンであることはわかっているだろう。
でも、きっとこれが、最初で最後。
この舞踏会の思い出を胸に、嫁ごう。
弟の粋な計らいに感謝しつつ、ペルレはまだ見ぬ嫁ぎ先への決意を固めた。
舞踏会の日、王宮で待ち合わせる形で会場に向かったペルレは、まさに夢見心地だった。
レオンハルトの所作は美しく、王女として厳しく学んだペルレすら見惚れるほど。
公爵であり、王女であるペルレをエスコートする青年に会場の視線が集まったが、それに臆する様子もない。
そう言えば、あの剣術大会の時もレオンハルトは落ち着いていた。
遠目で表情など見えなかったけれど、きっと今のように穏やかな笑みを浮かべていたのだろう。
少しばかり世間話をすると、そのままダンスに誘われる。
エスコート役である以上は当然の行動とはいえ、レオンハルトに誘われて胸が高鳴ったのはどうしようもない。
ゆったりとした曲に合わせて踊る頃には、冥土の土産を十分に貰ったとばかりにペルレの心は満たされていた。
「こうして剣豪・瑠璃と踊ることができるなんて、思いもしませんでしたわ」
「ペルレ様にそう言っていただけるとは、光栄ですね」
「これで心置きなく、どこへでも嫁げます」
感謝を込めたつもりの言葉に、レオンハルトは不思議そうに瞬いている。
「どこへでも? 縁談が決まったわけではないのなら、何故そんなことを?」
「わたくしは、王女として生まれ育ちました。国に有益な婚姻を結ぶのが、わたくしの使命です。弟に王族の責務を押し付けている以上、わたくしはわたくしのできることをしなければいけませんわ。兄や弟が必要と判断すれば、いつでもどこにでも嫁ぐ覚悟はできております」
「……もったいないですね」