エルナ・ノイマン 2
翌日、王宮の執務室の前でエルナは深呼吸をしていた。
何度も訪ねたことはあるが、やはり緊張する。
今回はただ会いに来たわけではないから、さらに緊張する。
クッキーというよりも粉末状態だった前回でも、グラナートは食べてくれたし、美味しいと言ってくれた。
今回は少なくとも固形を保っている分だけ、まともなはずだ。
味だって三種類用意したから、どれか一つくらいは好みのものがあるだろう。
肯定的な意見を自分の中で並べるが、それでもやはり緊張する。
「そりゃあ、『こんなまずいものが食えるか!』とか言ってちゃぶ台をひっくり返すようなことは絶対にないとわかりますけれど。まず、ちゃぶ台がありませんけれど」
それでも、不安なものは不安だ。
グラナートは優しいから、美味しくなくてもきっと言わない。
やはり今回もしっかりと表情を確認して、少しでも何かあればすかさず取り下げられるようにしなければいけない。
何度か紙袋を取り返すための素振りを繰り返すと、深呼吸と共に扉をノックした。
「――エルナさん。来てくれたんですね」
今日も今日とて、笑顔が眩い。
柘榴石の目を細めて出迎えられ、ソファーに促されたが、座ったら長居決定だ。
アデリナとの約束はクッキーを渡すことだし、リリーの方は一緒にいなければ無理な話。
忙しそうだからクッキーを渡してすぐにお暇したという方向なら、問題ないだろう。
珍しくテオドールもいないから、クッキーを渡すところを見られないのもありがたい。
邪な計算の元に、エルナは座ることなく歩み寄ってきたグラナートに紙袋を差し出した。
「これ、約束のクッキーです」
「あ、ありがとうございます」
差し出した紙袋を受け取るグラナートの瞳が星を抱いたように輝いている。
これは、相当ハードルが上がっているのではないか。
ごく普通の材料で、ごく普通に作った、ごく普通のクッキーである。
嬉しさが溢れるという顔で紙袋を見ないでほしい。
思ったほど美味しくなかったとでも言われたら、ちょっとショックだ。
これは、早急に撤退するべきだとエルナは判断した。
「それでは。私はここで失礼して……」
「待ってください、エルナさん」
そろりと扉に手をかけたところで、グラナートに止められる。
無視して出ていくわけにもいかず振り返ると、紙袋を大事そうに抱えた美少年が微笑んでいた。
「せっかくですから、お茶にしましょう」
「いえ、お仕事の邪魔をするわけには」
「ちょうど一段落したところです」
グラナートはそう言って机の上にあったベルを鳴らす。
すぐにやって来た女官にお茶の用意を命じると、エルナの手を引いてソファーに座らせた。
抵抗できなかった自分に心の中で文句を言っていると、女官があっという間に紅茶の用意を済ませて退室していく。
さすが、王宮勤めの女官は仕事が早かった。
「……テオ兄様はいないんですね」
今さら逃げられないので、観念して紅茶に口をつける。
心地良い渋みのある紅茶はエルナの好みの味で、少しだけ心が落ち着いた。
「テオは近衛の仕事です。書類仕事もそれなりにあるのですが、そちらは苦手なようで」
「何となく、わかります」
即答するエルナを見て笑うと、グラナートは抱えていた紙袋を開けて中を覗いた。
「種類が違うものが入っているのですか?」
「はい。三種類入っています。レオン兄様が好きなドライフルーツ入りと、テオ兄様が好きなプレーンと、アデリナ様とリリーさんが好きなチョコ入りです」
説明を聞いていたグラナートの表情がほんの少しだけ翳る。
まだ食べていないのにどうしたのだろう。
「……もしかして、嫌いな味でしたか?」
心配になって尋ねると、グラナートは首を振った。
「いえ、大丈夫です。いただきますね」
三種類を一枚ずつ食べると、紅茶を口にする。
表情の変化を見逃すまいと、エルナは食い入るように見つめていた。
「全部美味しいです」
微笑むグラナートを見て、安心したエルナは息をつく。
「良かったです。嫌いな味じゃなくて」
「エルナさんが作ってくれたのですから、それだけでも美味しいですよ」
「え」
また何だか落ち着かないことを言いだした。
何と返すべきなのか迷っていると、グラナートがクッキーをもう一枚食べ始めた。
「どれも美味しいですけれど。エルナさんは何味が好きなのですか?」
「そうですね。基本のプレーンもいいのですが、ドライフルーツの甘酸っぱさも捨てがたいです。あとは、胡桃入りも好きですね」
「胡桃ですか。僕も食べてみたいです」
今回は家に胡桃がなかったので作らなかったが、歯ごたえもあって美味しいので、グラナートも気に入ってくれるかもしれない。
「では、また作ってきましょうか?」
「是非、お願いします」
嬉しそうにそう言われれば、エルナも何だか幸せな気持ちになってくる。
「僕だけ食べているのもいけませんね。エルナさんは何味にしますか?」
このクッキーはグラナートのために用意したのだから、全部食べてもらって構わないが、一緒に食べようとしてくれるのは嬉しかった。