エルナ・ノイマン 1 (クッキーリベンジ)
本編第四章の後のお話です。
「舞踏会も終わって、条約調印も済んで、すっかり落ち着きましたね」
いつも通り学園の中庭で、虹色の髪の美少女がエルナの髪をいじっていた。
「おかげで、魔鉱石の原石価格が一定になりつつありますし、ひとまず成功ですね。素晴らしいです」
何故原石の価格の推移など知っているのかと思ったが、官吏を目指すリリーからすれば当然チェックするべき項目なのかもしれない。
「それはよろしいですけれど。あれから殿下にはちゃんと会っていますの?」
リリーの手つきを興味深げに見守っていたアデリナが、クッキーをつまむ。
国でも一二を争う名門公爵家の御令嬢は、意外にもエルナの庶民的なクッキーを気に入っていて、持参すると嬉しそうに食べてくれる。
あまりにも嬉しそうに食べるので、ある日お土産としてクッキーを用意したら、目を輝かせて喜んでくれた。
完璧と名高い深窓の御令嬢が無邪気に喜ぶ姿は、女性のエルナから見ても可愛らしい。
リリーも眩い笑顔を向けてくれるし、クッキーに対してのコストパフォーマンスが素晴らしすぎる。
すっかり味を占めたエルナは、定期的に二人にお土産クッキーを渡しては、美少女の笑顔を独り占めして楽しんでいた。
「以前に比べれば会っていますよ。さすがに王宮に行く度に毎回では邪魔でしょうから、数回に一回は顔を出すようにしています」
「それで、クッキーは渡しましたの?」
「……そう言えば、そんなことがありましたね。うっかりです」
ここ最近ずっとクッキー自体は作っているが、すべてリリーとアデリナが食べている。
あとはおすそ分け兼味見のレオンハルトくらいか。
持って来たクッキーを学園で渡して、手ぶらで王宮に行っているのでグラナートには渡していない。
美少女にかまけて、うっかりしていた。
その美少女二人が、同じタイミングでため息をついた。
「殿下はきっと、楽しみになさっていますよ?」
「粉々のクッキーでも食べていたのを、ご覧になりましたわよね? 何でもあの後、紙袋すらテオ様に触らせない徹底ぶりだったそうですし。早く渡して差し上げてくださいませ」
「なるほど。テオ兄様とアデリナさんも、ちゃんと会っているんですね」
「そ、そんなことよりも! 明日は遅れてもよろしいですから、殿下の所に行ってくださいませ。何なら、こちらには来なくても結構ですから」
真っ赤になるアデリナを見る限り、兄との仲は順調らしい。
「ですが、それもどうなのでしょう」
あくまでも王妃教育のために王宮に行っているのだ。
王妃教育がないのなら、そもそも行く必要がないのではないだろうか。
「いいですから、必ず渡してくださいませ。これも、王太子を支える大切な仕事ですわ!」
「大袈裟ですね。クッキーがなくても、糖分の補給はできますよ」
「そちらの糖分は足りても、あちらの糖分が足りませんのよ!」
怒りを露にするアデリナも美しいので、あまり怖くない。
アデリナが恐ろしいのは、氷のような笑顔で優しく刺してくる時だ。
「そういうアデリナ様は、糖分が足りていますか?」
「そ、そんなこと。わたくしのことは、よろしいのです!」
頬を染めてあたふたする様は文字通りの乙女で、眼福だ。
「わかりました。殿下にクッキーを渡すので、アデリナ様もテオ兄様に何か差し入れてあげてください。林檎一個丸ごととかで十分なので。アデリナ様が手渡せば、それだけで糖分倍増なので。……何なら、私が欲しいです」
真っ赤になりながら口をパクパクする様子からして、今までそういう事はしていないらしい。
丁度いいではないか。
じっと話を聞いていたリリーが髪をいじる手を止めて、楽しそうに手を合わせた。
「それ、素敵ですね。愛しい方に『あーん』してもらうなんて、ロマンですよ」
「……『あーん』、ですの?」
どうやらアデリナにはわからないらしい。
すると、リリーはクッキーを一枚手に取り、エルナに向かって微笑んだ。
「はい、エルナ様。あーんしてください」
言われるがままに口を開けると、クッキーを放り込まれる。
美少女が、手ずから食べさせてくれるクッキー。
――プライスレス。
感慨深く噛みしめていると、アデリナの耳までもどんどんと赤く染まっていく。
「そ、そのような。破廉恥な!」
ふるふると震えるアデリナは子犬の様で、これはこれで眼福だ。
「ではお二人共、明日は『あーん』で頑張ってくださいね」
「え? 私もですか?」
まさかの方向からの流れ弾に、エルナの声が上擦る。
「もちろんです。私、お二人の報告を楽しみにしていますね」
星のように輝く笑顔のリリーが、少しだけ鬼に見えた。
帰宅したエルナは、早速クッキーづくりを始める。
材料を計って混ぜ合わせていると、レオンハルトが覗きに来た。
「エルナ、今日もクッキーを作るの? またおすそ分けを期待していいのかな」
「もちろんです。レオン兄様の分も作りますね」
「うん、ありがとう。……それで、他には誰の分なのかな?」
「え」
予想外の質問に言葉を詰まらせると、レオンハルトが笑顔を浮かべた。
「仲がいいのは、喜ばしいことだね。きっと殿下は喜んでくれるだろう」
言わずとも察したらしい兄は、エルナの頭を優しく撫でる。
隠すようなことではないとはいえ、何だか恥ずかしい。
「寂しい兄を哀れに思うのなら、ドライフルーツ入りも作ってくれると嬉しいな」
「わかりました。レオン兄様の好物ですね」
「ありがとう。楽しみにしているよ」
御機嫌のレオンハルトはもう一度エルナの頭を撫でると、台所から出ていく。
毎回おすそ分けを食べているのに、よく飽きないものである。
「それじゃあ、レオン兄様が好きなドライフルーツ入りと。テオ兄様がいた時用にプレーンと。あとはチョコ入りも作りますか」
エルナは気合を入れると、再び材料を混ぜ始めた。