番外編 ペルレ・ザクレス 3
「……え?」
最初は、何だかわからなかった。
だが、地面に落ちた黒い塊が先程この場を離れた男だと気付き、混乱しながらも背後の庭に視線を移した。
「――ああ、ペルレ様。こんにちは」
姿を現したのは、焦げ茶色の髪に瑠璃色の瞳の青年。
彼はペルレを見つけると、そう言って穏やかに微笑んだ。
何故、彼がここにいるのだろう。
「……レオンハルト、さん?」
「はい、そうです」
思わずその名前を呟くと、彼はペルレのそばまでやってきた。
「そこに転がっている方々は、味方ということでよろしいのでしょうか?」
レオンハルトの視線の先にいるのは、アロイスの仲間だ。
「え、ええ。そのようですわ」
「そうですか。それでは――そちらの五人は、要りませんね」
穏やかな笑顔のまま、瑠璃色の瞳が輝いた気がした。
ふわりとペルレの髪が揺れる。
次の瞬間、男の一人が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
「――は?」
男達の声と、ペルレの心の声は全く一緒だった。
倒れた男はぴくりとも動かない。
あまりに急なことに、アデリナはペルレの袖を掴んで震えている。
「お、おまえは何だ!」
男の一人が叫ぶと、剣に手をかけたままレオンハルトが微笑んだ。
――人間は、結構軽やかに吹き飛ぶものらしい。
ペルレはそんな事実を目の当たりにしていた。
四人の男が一斉に襲い掛かり、レオンハルトが動いた。
そこまではペルレにもわかったのだが、次の瞬間、四人の男は吹き飛ばされていた。
重いものが着地する音が四つ。
その音が消えると、周囲は静寂に包まれた。
「ペルレ様と、……そちらはミーゼス公爵令嬢ですね?」
「は、はいぃ!」
アデリナが恐怖と混乱のせいか、おかしな声をあげている。
完璧と名高い彼女も、突然の人間乱舞には平常心を保てなかったらしい。
ペルレの袖を持ったまま、すっかり固まっていた。
「お怪我はありませんか?」
「ええ、大丈夫ですわ。――それよりも、エルナさんが」
「エルナの方には、殿下とテオドールが行っていますので、大丈夫でしょう」
その言葉に安心したせいか、脚の力が抜けてふらつく。
傾いだ体を背中を押す形で支えられ、それがレオンハルトの手だと気付いたペルレは、顔から火が出そうになる。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ。ありがとうございます。でも、何故レオンハルトさんが?」
ペルレの背から手を離したレオンハルトは、アロイスの仲間の方へ向かい、彼らを縛っていた縄を切り落とす。
レオンハルトの剣を見た男達が声にならない悲鳴を上げたが、無理もない。
「エルナが攫われたと弟から連絡がありまして。一緒に行動していたんです」
「それで、グラナートにこちらに行くよう言われたのですね」
グラナート自身はレオンハルトの剣の腕前を見ていないかもしれないが、ペルレに散々剣豪・瑠璃の話を聞かされている。
別行動しても十分すぎる戦力だからと、任せられたのだろう。
「いえ? 私からこちらに行きますと提案しました」
アロイスの仲間を自由にすると、再びペルレのそばに戻ってくる。
「裏口にエルナさんがいると思ったのですね」
「庭にエルナがいるのはわかっていましたから、そちらは殿下にお譲りしました。なにせ、炎がこぼれると弟が訴えるもので」
「こぼれる……」
それは、グラナートが暴走寸前ということだろうか。
つまり、エルナはそれだけ大切な存在だという証明でもある。
暴走自体は危険だし、褒められたことではない。
だが、生きるのに精一杯で他に関心を示す余裕のなかったグラナートが何かに執着するというのは、ペルレにとっては嬉しいことでもあった。
それにしても何故位置がわかるのだと不思議ではあったが、これはやはりエルナの刺繍したハンカチのおかげだと思われる。
ペルレの目から見ても結構な魔力を込められていたが、グラナートはそれを感知してここを探し当てたのだろう。
今は破格の魔力持ち二人に感謝したいところだ。
「それに、ペルレ様とは面識もありましたから。僭越ながら、見知らぬ兵が来るよりは安心していただけるかと思いまして。……ご無事で、何よりです」
レオンハルトはそう言って穏やかに微笑むと、アロイスの仲間に指示を出して吹っ飛んだ男達を縛り始める。
レオンハルトは、エルナを心配して来た。
グラナートにエルナを譲ったから、裏に来た。
顔見知りだからと、ペルレのいる方に来た。
ただ、それだけだ。
それだけなのに、自分の所に来てくれたのが嬉しくて、胸が詰まりそうになる。
「……無事じゃ、ありませんわ」
誰にも聞こえない小さな声で、呟く。
ペルレの心臓は今にも爆発しそうだ。
それもこれも、全部レオンハルトのせいだ。
嬉しくて、悔しくて。
ペルレは大きなため息をついた。