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番外編 テオドール・ノイマン 4

「いえ、あの。殿下に差し入れというか、その」

「――僕に?」

 思わぬ言葉だったらしく、グラナートが目を瞠っている。


「あ、大丈夫です。ちゃんとテオ兄様に毒見をしてもらうつもりだったので」

 黙っているグラナートに不安になったのか、エルナが必要のないフォローを入れた。


 それにしても、何を勝手に人を毒見係にしているのだ。

 大体、グラナートがエルナの作った物を疑って毒見させるとは思えない。

 というか、毒見しようとしても渡してくれないだろう。


 グラナートにとって、恐らく初めてのエルナの手作りクッキー。

 たとえ粉々であろうとも、価値は変わらないはずだ。

 それを証拠に、彼はボロボロの欠片を口に運んで、エルナを困惑させている。


「で、殿下! それはボロボロで、床に落ちて踏まれたので。それに、毒見もまだ――」

「美味しいです」

「え?」

「美味しいですよ? わざわざ作ってくれて、ありがとうございます」


 エルナは何か色々言っていたが、グラナートが食べないわけがない。

 また作ってほしいとお願いされ、「こんなもので良ければ」とはにかむ妹を見て、テオドールも胸が温かくなった。




「……グルーバー侯爵令嬢、ですか」

 エルナ達が部屋から出るとグラナートから笑みが消え、眉間に皺を寄せた。

「エルナさんに嫌がらせできているのが気になります。今のところエルナさん自身に害はないので、何とも言えませんが。また無意識で聖なる魔力を抑制しているのなら問題です。ですがそれ以上に、抑制していなかった場合には問題ですね」


 エルナが聖なる魔力を抑制していないのにちゃんと嫌がらせできるということは、強い害意や殺意があるということだ。

 どちらかはわからないが、注意しておいた方が良いだろう。


「警備にも声をかけておきます。……王太子妃候補の一人だったということは、それなりに交流があったんですか?」

「挨拶程度の関わりですね。候補の令嬢とは一度はダンスを踊っていますが、その程度です。何せ、ミーゼス公爵令嬢が強すぎて」


 アデリナ・ミーゼス公爵令嬢は、長年にわたってグラナートの婚約者候補として扱われてきた。

 容姿、身分、マナー、ダンスなど、およそ令嬢に必要な嗜みのすべてを完璧に収めたと言って良い彼女は、圧倒的な存在感で他の候補者を寄せ付けなかったらしい。


 彼女と想いが通じたテオドールではあるが、やはり長年そういう相手として互いを見ていたのかと思うと、少しばかり面白くない。

 気付けば、先程まで眉間に皺を寄せていたグラナートが、こちらを見て苦笑している。



「……どうかしましたか?」

「いえ。アデリナさんと僕の間に何があったか、心配そうだったので」


 図星とはこのことだ。

 否定の言葉を出しかけて、ぐっと飲みこむ。

 からかって遊ぶために、わざわざこんな話を振る人だとは思えない。

 それに、二人の仲が気になっているのは、まぎれもない事実だ。


「何か、あったんですか?」

「いいえ。何ひとつありませんね」

「何ひとつって……」

 こう言っては何だが、アデリナは美人だ。

 年頃の少年ならば、少しくらい悪戯心が起こってもおかしくないと思うのだが。


「何ひとつありませんよ。確かに婚約者の候補として、幼少の頃から交流はありましたが、それだけです。僕は王子として目立たずに生き抜くので精一杯でした。彼女との関係はいわば同士であって、男女ではありません」


「同士?」

「アデリナさんもまた、名門公爵家の娘として生きるだけの存在でした。僕達はいずれ結婚するのだろうと、諦めていましたよ。そう決められていたからです。そこに、感情は必要ありませんでした」


 昔を懐かしむというよりも、憐れむような言葉だ。

 グラナートは幼少期に母を亡くし、ずっと側妃に命を狙われていた。

 そこに自由や色恋などは存在する隙もなかったのだろう。



「でも、エルナさんのおかげで目が覚めました。……今では、何故あんな風に自分の未来を閉ざしていたのか、わからないくらいです」

 エルナのクッキーが入った紙袋をそっと撫でると、柔らかな笑みを浮かべる。

 男のテオドールから見ても、ちょっと色っぽいと思ってしまう微笑みだった。


「アデリナさんに僕は変わったと言われましたが、彼女もだいぶ変わったんですよ?」

「そうなんですか?」

「完全無欠の御令嬢なんて呼ばれて、作った笑顔を浮かべるだけになっていましたが。この一年ほどで、かなり柔らかい人柄になりました。……誰かさんに出会ってから、ですね」

 何を言われているのかに気付くと、鼓動が速まった気がした。


「そう、なんですか」

 もしも、アデリナがテオドールと会ったことで少しでも変わったのなら。

 テオドールを意識してくれていたのなら、それはとても嬉しいと思う。


「エルナさんとテオに、僕達はすっかり変えられてしまいました。恐ろしい兄妹ですね」

「恐ろしいって。……エルナがショックを受けますよ」

「褒め言葉ですよ」

 茶化すようにそう言うと、グラナートは椅子に座って机の上に小さな紙袋を乗せる。

 書類を手にして目を通し始めたかと思うと、再び顔を上げた。



「そう言えば、ノイマン家のもう一人のきょうだいも、恐ろしい力を持っているみたいですね」

 もう一人のきょうだいと言えば、該当するのは一人しかいない。

「兄の剣の腕前は、恐ろしいというレベルではありませんけどね」


 テオドールは兄のレオンハルトのことを『羊の皮をかぶった兵器』と呼んでいるが、あれは誇張ではない。

 剣豪なんて呼ばれているが、そういう段階の人ではないと思っている。

 だが、グラナートは何故か笑顔でこちらを見ている。


「いえ、そういう意味ではなく」

「何ですか?」

「僕には姉がいまして。昔から、女騎士になるのが夢だったそうです」


 グラナートの姉と言えば、現在は兄と共にザクレス公爵を名乗るペルレのはず。

 金の髪に真珠(パール)の瞳の上品で淑やかな女性だ。

 スプーンよりも重い物を持ったことがないという雰囲気だったのだが、女騎士とはどういうことだろう。

 テオドールが首を傾げていると、グラナートは楽しそうに笑っている。


「もうじき、わかると思いますよ。……姉上には、昔から憧れている方がいるんです」

 誰のことだかわからないが、王族である以上は自由に恋をするのは難しいだろう。

 それは、公爵となった今でもそう変わりはない気がする。


「結局、どういうことですか?」

 早々に考えるのを諦めて尋ねると、淡い金髪の主はその柘榴石(ガーネット)の瞳を細めた。


「ノイマン家の兄妹は、恐ろしいということですよ」

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― 新着の感想 ―
[良い点] > 剣豪なんて呼ばれているが、そういう段階の人ではない テオ兄様に激しく同意します。 それこそ、テオ兄様、フランツ、ゾフィといった人たちが、いわゆる「剣豪」なのだと思います。 人間の壁を…
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