懐かしの攻撃がきました
「条約も一段落すれば、エルナさんにもたくさん会えるようになりますね」
「そうですね」
もともとグラナートは忙しいが、今回の条約のために特に忙しかった。
条約が結ばれたのだから、少しは落ち着くのだろう。
「十日会わないと、いないのが普通になってしまうのでしょう?」
「え?」
アデリナが言ったのだろうが、気のせいかグラナートの笑顔が怖い。
「忙しくて会えなかった僕も悪いですが、まさかそんなことになるとは。これからは、もっと頻回に会わないと妃に忘れられてしまいますね」
まだ妃じゃないとは思ったが、何となく言ってはいけない気がする。
これは、どうやらやんわりと非難されているらしい。
「いえ、その。す、すみません」
「何がですか?」
「別に忘れたわけでは。ただ、お忙しいところを邪魔してまで会うこともないだろう、と思いまして」
エルナとしては正直な気持ちを伝えたのだが、グラナートの眉間に皺が寄っていく。
おかげで美少年は眉間に皺を寄せても絵になるという、予想通りの事実を確認することができた。
「エルナさんが邪魔なわけないでしょう。会議が終わると夕方だったので会いに行くのも憚られましたが、こんなことなら夜にでも会いに行きましょうか」
何だか、とんでもないことを言い始めた。
「いえ、ちょっとそれは」
「では、またアインス宮にとどまっていただきましょうか?」
「いえ、それもちょっと」
困惑しつつ断るエルナを見て、グラナートが苦笑する。
「なら、王宮に来た際には僕にも会ってくださいね」
「は、はい。……あの」
「何ですか?」
「また、ご心配をおかけしました」
今回はちゃんと馬車移動したし、エルナのせいで攫われたわけではない。
だが、結局グラナートの手を煩わせ、心配をかけたことには変わりなかった。
「……エルナさん一人なら逃げられる可能性はあった、と姉上から聞きました」
「私はアデリナ様の侍女を装っていました。公爵家の侍女が主人を差し置いて逃げるとも思えません。ペルレ様は俊足ですが、街中に出ても道がわからないでしょう。アデリナ様に至っては部屋から出る時点で無謀です。そんなお姫様方をあの場で守れるのは、私だけだと思いました」
「危険です」
「でも、ちゃんと殿下との約束は守りました。自分の身の安全を守るために、聖なる魔力を使おうと思って刺繍しました。……どれだけできたのか、私にはわかりませんが。少なくとも、殿下に見つけてもらえましたし」
『エルナさん。あなたの力は、何よりもあなた自身を守るために使ってください。それが僕の願いであり、僕の身を守ることにもなります』
聖なる魔力を抑制した時に、言われた言葉。
自分の為に使うことには未だに抵抗があるが、それがグラナートのためだと思えば上手く使えるような気がした。
「約束、覚えていてくれたんですね」
「殿下の身を守るために必要なら、自分のために使います。絶対に、見つけてくれると信じていましたから」
王太子という立場を考えれば、本人が直接来るのは難しいだろう。
それでもきっとグラナートなら聖なる魔力に、エルナのつけた目印に気付いてくれる。
そう信じて刺繍をしたのだ。
返答がないので見上げてみると、グラナートは何だか困ったような表情でこちらを見ていた。
「どうかしましたか?」
「守れなかったことを謝罪しようと思ったんです。迂闊な対応を怒ろうとも思いました。……でも、そんなことを言われたら、もう何も言えません」
「そんなこと?」
「自分を守る理由が、僕のためなのでしょう? 僕が来ると、信じてくれたのでしょう?」
そういうことになる。
なるのだが、何だかグラナートに言われると一気に恥ずかしくなってきた。
「姉上とアデリナさんに渡したハンカチも見ました。よくもまあ、あれだけの魔力を込めたものですね。相当な殺意でも持たない限りは、二人に危害を加えることはできなかったでしょう」
「そんなに魔力がこもっていたんですね」
そのつもりで刺繍したとはいえ、実際に魔力を込められたのかどうかエルナには判別できない。
込めたつもりで魔力ゼロなら、切ないところだった。
「二人のハンカチに施された刺繍は、白い花と黄色い花でした。あれは、瞳の色ですか?」
「はい。少しでも二人のことを思って刺繍するために、そうしました」
気休めかもしれないが、それで少しでも効果が増せば良いという期待もあった。
「でも、エルナさんのハンカチは赤い花でしたね」
指摘されて、思わずエルナの肩が震える。
まさか、そこに気付いていたとは。
恐る恐る見上げると、そこにはいつもの優しい笑顔があった。
「エルナさんの瞳は水宝玉の色なのに、どうして赤い花なのでしょうね?」
これは絶対、わかって言っている。
何だか恥ずかしいし、悔しい。
だが、嘘をつくのも癪だった。
「……殿下の、色です」
「何故ですか?」
消え入るような小さな声で答えると、即座に酷い突っ込みが返ってきた。
いつもの穏やか律儀王子とは思えない所業だ。
いや、今は王太子だが。
「……言わないと、駄目ですか」
絶対に、わかっているくせに。
「言って欲しいから、聞いていますね」
星のように輝く笑顔が、今は凶器だ。
「……殿下に、会いたかったから、です」
精神的に追い詰められたせいで、声が少し掠れてしまう。
だが、笑顔のグラナートは満足気にうなずいた。
「はい。だから、遠くからでもあなたの魔力が伝わりました。名前を呼んでくれた後は、もう本当に、はっきりとわかりました。あなたが僕を望んでくれたから」
その言い方はもう少しマイルドにならないものか。
返答することもできず困り果てるエルナを、柘榴石の瞳が優しく見つめる。
「エルナさんが大切です。同じようにあなたも思っていてくれて、嬉しい。……愛しています」
囁かれた言葉に、眩暈がした。
思わず足がもつれそうになり傾いだ体を、グラナートが支えてくれる。
何事もなかったかのようにそのままダンスを続けられるのだから、その技量が凄いと思う。
「……ずるいです」
「何がですか?」
「先に言われたら、恥ずかしくて言えません」
「何をですか?」
わかっていて、わざと言っている。
何だか悔しくなってきた。
「知りません!」
顔を背けると、頭上で笑っている気配がする。
「おや、僕の妃に嫌われてしまいました」
「まだ妃じゃありませんし、別に嫌ってなんか……」
「では、何でしょう?」
絶対に、わかってやっている。
穏やか律儀王子だったのに、すっかり笑顔の意地悪王太子だ。
何だか釈然としなくて、少しばかり頬を膨らませた。
「……助けに来てくださって、ありがとうございます。殿下」
「うーん。ちょっと違いますね」
「違う?」
「殿下、じゃ寂しいです。今は誰も聞いていませんから、ちゃんと呼んでほしいです」
「ちゃんとって……グ、グラナート殿下?」
何度か呼んでいるとはいえ少し恥ずかしいのだが、頑張って名前を呼ぶ。
だが穏やか律儀王子改め、笑顔の意地悪王太子はそれで許してはくれなかった。
「もう少し頑張りましょうか」
「え?」
「このダンスの間だけでも良いですから、殿下はいらないです」
殿下はいらないということは、名前を呼び捨てにでもしろというのか。
懐かしの名前を呼んでくれ攻撃に呆気にとられる姿を見て、グラナートは楽しそうだ。
エルナの手をぎゅっと握りしめると、その美しい顔がエルナの頬に触れるか触れないかという至近距離まで近付いた。
「……駄目ですか?」
耳元で吐息と共に囁かれ、あまりの色気に当てられてエルナは瀕死だ。
美少年は、声だって美しい。
エルナの耳は幸せで死にそうだと訴えていた。
「おねだりされると、断れないと言っていましたよね?」
「え? あ、あれはリリーさんの可愛らしさの話で」
「僕では、駄目ですか?」
――駄目ですか、本日二回目。
無理だ、色々無理だ、もう無理だ。
「……だ」
「だ?」
「駄目じゃないです……」
疲労感でがっくりとうなだれてしまう。
どうにかダンスを続けていることを、褒めてほしいくらいだ。
それにしても、美貌を自覚して利用し始めた美少年が、怖い。
完敗を喫したエルナは、最後の力を振り絞って口を動かす。
「グラナート様……?」
どうにかその名を口にして、ため息をつくが、反応が返ってこない。
聞こえなかったのだろうかと見てみると、グラナートの頬は赤く染まっていた。
「……ああ、効きますね」
効くって何だと考え、恐ろしい可能性に思い当たる。
「え? アレですか? 大丈夫ですか?」
そんなつもりはなかったのに、聖なる魔力を使ってしまったのだろうか。
また倒れたらどうしよう。
心配になってダンスの足を止めたエルナを、グラナートが引き寄せた。
「大丈夫、嬉しかっただけです。愛していますよ――エルナ」
「なっ」
初めて呼び捨てにされて、心臓が飛び出しそうになる。
一気に顔が熱を持つのがわかった。
グラナートはその様子を見て目を細めると、エルナの額に口づけた。