気持ちの問題です
「王都の端の修道院が人手不足だそうです。住み込みで働いてください」
「……は? そ、それは?」
グラナートは間の抜けた声を出すシャルロッテに構わず、視線を隣に移す。
「それから、グルーバー侯爵は爵位と領地を返還していただきます」
「――そ、そのような。とても納得できません!」
グルーバー侯爵が叫ぶが、同意しそうなのは娘のシャルロッテくらい。
そのシャルロッテも自身に下された命を理解しきれずに、呆けていた。
「陛下には既に報告済みです。了承も得ていますので、問題ありません」
「そんな馬鹿な」
「流行病を未報告なばかりか、情報を止めたこと。勝手な採掘量と国への責任転嫁。子爵令息を唆しての公爵と公爵令嬢の誘拐、監禁。王太子妃候補の誘拐、監禁、殺害未遂。……正直、これでもかなり優しい処罰ですし、感謝されても良いと思っていますが」
「それは誤解でございます! このような命令はとても従えるものではありません」
「……なるほど。不服ですか」
肩を竦めるグラナートを見て、グルーバー侯爵もまたため息をつく。
「当然でございます。我が家は由緒正しき王家の僕。どうぞ、真実をご覧になった上で、判断をいただきたく」
「そうですか。――ならば」
冷えた声と共に、グラナートが腕を伸ばす。
瞬く間にグルーバー侯爵とシャルロッテを眩い炎の帯が囲む。
熱気が起こす風に、エルナの髪が揺れる。
頬を焦がすあまりの熱さに思わず一歩退くと、グラナートが空いている手でエルナの肩を抱き寄せた。
何故かすぐに熱さが和らいだが、これはグラナートが何かしたのだろうか。
あるいは、抱き寄せられた緊張が熱さを超えただけなのかもしれない。
結果的に炎に近いフォルツ親子の額には既に汗がびっしりだが、実際に炎に囲まれたグルーバー親子はその比ではなかった。
ふんわりと広がるシャルロッテのドレスはその分だけ、取り囲む炎に近い。
あっという間に熱で焦げて黒く変色していき、一部では煙を出し始めていた。
声を出せずにいるのは、熱さのせいか、それとも恐怖か。
グルーバー侯爵はシャルロッテを抱きしめるが、その上着の裾も焦げ始めていた。
「私が見た真実は、シャルロッテ・グルーバーが血を流したエルナ・ノイマンに剣を振り上げているところだ。これをもって判断するのなら、酌量の余地なく――灰燼と化すべきだな」
その言葉に従い、炎の帯が一層輝きを増した。
見ているこちらの目が痛くなるほどの輝きは、もちろん温度の上昇を伴っているはず。
それを示唆するように、シャルロッテのドレスから立ち上る煙の数が一気に増えた。
「――お、お許しを! 命だけは!」
グルーバー侯爵が叫ぶが、後半は咳き込んではっきりと聞き取れなかった。
恐らく、熱でのどを傷めたのだろう。
「……忘れるな。その『命』を蔑ろにしたのは……領民を見捨てた領主は、誰なのか」
グラナートが腕を降ろした途端に、嘘のようにすっと炎が消え失せる。
あまりに眩い炎を見過ぎたせいで、部屋の中が暗く感じるほどだ。
グルーバー侯爵とシャルロッテは、抱き合った状態でそのまま床に崩れ落ちた。
その体は震え、何かを言いかけた二人は同時に咳き込んだ。
「グルーバー侯爵領と爵位は剥奪。以後、平民として暮らしてもらいます。鉱山はそのままフォルツ領に統合。フォルツ子爵に、この管理の一切を任せます。これより流行病が終息するまで鉱山は閉山。その間の抗夫への補償はフォルツが責任を持って行うことと、フォルツ子爵位以外の男爵位と男爵領の没収をもって、フォルツ子爵への罰とします。今後は部下の監督も含めて報告を怠らぬように」
グラナートが視線を移すと、アロイスの肩が震えた。
「それから、アロイス・フォルツは、半年の領内謹慎。鉱山内の環境改善と流行病の対応に当たること。――馬車馬のように、こき使われてください。その後は、王都で騎士見習いの訓練を受け、規律と根性を叩き込んでもらいます。正しく訓練を終えて騎士となり、国に貢献できると証明できた暁には、今回のことは不問にします。それまでは観察処分であると心得てください」
グラナートの言葉の意味がわからないらしいフォルツ親子が、額の汗を拭うことなく、ぽかんと口を開けている。
「また、医療者と物資、労働者の援助を考えています。正式な発表は後日になりますが。……引き受けてくれますか」
声をかけられているのが自分達なのだとようやく気付いたらしい二人は、困惑の表情のまま頭を垂れた。
「慎んで、お受けいたします」
顔は見えないが、声が震えている。
安堵したからなのか、歓喜なのか。
何にしても望外の結果だろうから、驚いているのだろう。
「……良かったですね」
エルナの声に、アロイスが弾かれるように顔を上げる。
翡翠の瞳が潤んでいるのは、気のせいではないはずだ。
「――エルナ・ノイマン様!」
「は、はい!」
「本当に、感謝してもし足りません。――王太子殿下、王太子妃殿下、お二人にこのアロイス・フォルツ。命あるかぎり、忠誠を誓います」
そう言って、アロイスは頭を下げる。
「許します」
グラナートはそう言って、エルナに視線を送る。
これは、エルナも何か言えということらしい。
「……ありがとう。よろしくお願いしますね」
その言葉に、アロイスが更に深く頭を下げる。
床にはいくつもの雫がこぼれていた。
舞踏会会場に戻ったエルナとグラナートは、そのままダンスの輪に入る。
アデリナの特訓のおかげで、とりあえずは普通に踊ることができる。
パートナーがグラナートなので、上手く合わせてくれているのも大きかった。
「あの、殿下。お話って……?」
先程から、何となくグラナートの御機嫌が斜めだ。
やはり王太子妃候補とはいえ、ただの子爵令嬢が国に関することで王太子に意見するのは、失礼だったのかもしれない。
先に謝るべきだろうか。
「あなたは王太子妃になる人です。僕に膝を折る必要はありません」
「そう、なんですね。すみませんでした」
本当は土下座してお願いすることも考えた。
ドレスが邪魔で実現できなかったが、それで良かったのかもしれない。
エルナは子爵令嬢でしかないが、王太子妃候補としての品位を落とすなと言いたいのだろう。
「いえ、そうではなく……」
何やら言い辛そうに言葉を切ると、グラナートは目を伏せた。
「謝らなくて良いです。これは、僕の気持ちの問題です」
「気持ち、ですか」
妻となる者に臣下と同じ礼をとられたくない、ということだろうか。
「あなたがアロイス・フォルツをあまりにも庇うから、ちょっとした嫉妬です」
すぐには何を言われたかわからず、エルナは目を瞬かせる。
「嫉妬? か、庇うって、私は」
「わかっています。僕の勝手な気持ちの問題です。気にしないでください」
グラナートは大きなため息をつくと、気を取り直すように笑みを浮かべた。