上書きされました
「人をだしにしておいて、よく言いますよ」
呆れたとばかりに肩を竦めるグラナートを見て、エルナも笑う。
「リリーさんが手を取った時のヴィル殿下の嬉しそうな顔、可愛かったですね。頑張ってここに来た甲斐があるというものです」
「好きな人が手を取ってくれたら、嬉しいものですよ」
そう言って、グラナートはエルナの前に手を差し伸べる。
「……殿下も、ですか?」
少し躊躇しつつも、その手の上に自分の手を重ねる。
グラナートは見目麗しい美少年で、決して筋骨隆々というわけではない。
それでもエルナと比べれば大きくて筋肉質な手に触れれば、やはり男性なのだなと思い知らされる。
「もちろんです」
返される笑顔は眩くて。
恥ずかしいけれど、嬉しくて。
エルナは俯きそうになりながらも、ぎゅっとその手を握りしめた。
「……俺がいるのを、忘れないでくださいよ」
そうだ、テオドールがいたのだ。
慌てて手を離そうとするが、今度はグラナートがしっかりと手を握っている。
「テオ」
「はいはい、すみませんでした。余計なことは言いませんから、存分にいちゃついてください」
兄にそんなことを言われる気持ちを考えてほしい。
どうにか話題を変えようと、エルナは気になっていたことを訊ねることにした。
「……あ、あの、ペルレ様とアデリナ様はどうなったのでしょうか」
「では、会いに行きましょうか。二人共、エルナさんを心配していますから」
グラナートと一緒に会場を進んで行くと、見たことのある美女二人の姿が目に入った。
ただでさえ美しいのに、ドレスアップした姿は遠目に見ても麗しく、上品だ。
来世、ドレスに生まれ変わるとしたら、あの二人かリリーに着られたい。
「これぞ眼福ですね……」
うっとりと眺めてしまうのは、仕方がないと思う。
「……エルナさんは、あの二人が好きですね」
「はい。リリーさんも眼福ですよ。おねだりに逆らえませんでした」
「おねだり、ですか?」
「はい。薔薇をむしり取ろうとしたのですけれど。リリーさんに上目遣いで手を握られて『駄目ですか』と聞かれたら、断れるはずもありません」
不思議そうに首を傾げるグラナートに、エルナは興奮気味に説明する。
「……むしり取ろうとしたんですか」
「え? あ! いいえ、その!」
うっかり失言したことに気付いたが、もう遅い。
「この薔薇は、嫌でしたか?」
悲しそうな顔をしながら、エルナの髪を飾る薔薇に触れる。
「いえ、嫌というわけでは」
「でも、むしり取ろうとしたんですよね?」
ぐうの音も出ないというのはこういう時に使うのだろうか。
「……殿下の色だと、リリーさんに教わりまして。その、は、恥ずかしかったんです」
「なるほど」
グラナートは小さな留め息をついて、薔薇と髪からそっと手を離した。
怒っているのだろうか。
それとも、呆れているのか。
何だかとても悪い事をしたような気持ちになり、俯いてしまう。
「エルナさん」
気まずいなと思いつつ顔を上げると、グラナートの手が頬に触れ、引き寄せられる。
そのまま頬にそっと口づけると、柘榴石の瞳が優しく細められた。
「――な、何を」
キスされたのだということはわかる。
でも、片隅とはいえ舞踏会の会場で突然される意味がわからない。
そばにはテオドールだっているのだ。
律儀にも余計なことを言わないで黙っているが、絶対に見ていたはずだ。
何たる羞恥プレイだ。
混乱と羞恥でそれ以上言葉が出ないエルナを見て、グラナートは眩い笑顔を返した。
「恥ずかしいと言うのなら、それ以上のことをすれば上書きできるかと思いまして」
――何という、謎理論。
美貌の王太子でなければ、到底許されない暴挙だ。
そこまで考えて、エルナは気付いてしまった。
なら、美貌の王太子は許されるのだろうか。
エルナは、許してしまうのだろうか。
熱を持つ頬を押さえつつちらりと覗いてみると、淡い金髪に柘榴石の瞳の美少年がこれでもかという美しさで微笑みかけてきた。
――そう。
美少年もまた、正義なのだ。
「……美貌の横暴……何て恐ろしいのでしょう……」
「エルナさん?」
ぶつぶつと呟くエルナが心配になったらしく、グラナートがその名前を呼んだ。
いけない。
心配をかけてはいけない。
何よりも、ここは舞踏会会場なのだから、しっかりしなければいけない。
美貌の鬼教官アデリナを思い出し背筋を伸ばすと、グラナートを見据えた。
「上書きされました! なのでもう必要ありません! 行きましょう!」
元気に宣言するような形で意見を伝えると、グラナートは目を丸くしてエルナを見ている。
こうなったら一刻も早くアデリナ達に合流したい。
さすがに人目があれば、あんなことはないはずだ。
テオドールはカウントされていないようだから、どうにか存在感のある人のそばに行きたい。
だが、グラナートは肩を震わせて笑い始めてしまった。
「何ですか?」
訝し気に問いかけると、すみません、と何故か謝られる。
もう、何なのかよくわからない。
「あんまり可愛いことをされると、また上書きしたくなります」
言っていることも、よくわからない。
「だから、上書きされました! もう、先に行きます!」
「エルナさん!」
エルナの姿を見つけた途端、アデリナが駆け寄ってくる。
マナーに厳しいアデリナのその行動だけで、心配をかけたのだとよくわかった。
「怪我は? もう大丈夫ですの?」
「はい。リリーさんが治してくれましたので」
せめて安心させたいと思って精一杯微笑むと、アデリナはほっと息をついた。
「無理はなさらないで。辛ければ戻って良いのですからね」
「はい、ペルレ様。ありがとうございます」
「――エルナ!」
ペルレの背後から近付いて来たのは、焦げ茶色の髪に瑠璃色の瞳の青年。
長兄のレオンハルトだと思う間もなく、エルナはぎゅっと抱きしめられた。
「心配したよ、エルナ」