何を選ぶか
「この、後?」
困惑するアロイスを放って、シャルロッテはエルナに視線を向けるとゆっくりと近付いていくる。
その手には、短剣が握られていた。
「鉱山での領民の状態に心を痛めた優しい領主の息子が、王太子妃候補に直訴します。けれど王太子妃候補は取り合わず、もみ合いに。グルーバー侯爵家が止めに入った時には、二人は既に息がありませんでした」
ゆっくりと歩いたシャルロッテは、エルナの前で立ち止まった。
「……ノイマン子爵令嬢を、殺す気か。俺に、その罪を擦り付けて」
「はい。その通りですわ」
「だが、この屋敷はグルーバー侯爵が用意したものだ。すぐに見つかるぞ」
「ご心配なく。もちろん、ここはあなたの名前で借りてありますのよ? アロイス・フォルツ様」
地面に落ちたアロイスの上着を踏みつけながら、シャルロッテは続ける。
「フォルツ子爵は何度か自分で書状を王宮に届けようとしています。すべて未然に防いでいるとはいえ、さすがにいつまでも続けるのは厳しいですわ。それに、息子のあなたにすらそれを教えていないということは、内通者の存在に気付いているのでしょう。こちらとしても、時間がありませんの」
「時間だと?」
「フォルツ子爵はきっと、殿下か陛下に直訴しようとするでしょう。ですから、その前に息子の暴挙を耳に入れたいのです。幸い、あなたはフォルツに迷惑をかけないようにという父の言葉を信じて、フォルツ子爵に今回の行動を伝えていません。子爵も息子が王妃候補を攫って殺害した後に直訴などできようもないでしょうし、したところで聞いてもらえる状況ではありませんもの」
アロイスは視線で殺せそうな程睨みつけているが、シャルロッテはまったく動じることなく微笑む。
「あなたには悪いと思っていますわ。だから、領民のためを思った勇敢な行動ということにして差し上げます。本来、子爵の位では今回の舞踏会に招待されませんが、フォルツ子爵は鉱山関係者なので特別招待されて王宮にいるはずです。息子の勇敢な最期を、ちゃんとお伝えしますから、安心なさって」
「――狂っている」
アロイスの吐き捨てるような言葉に、シャルロッテはほんの少しだけ悲しそうな笑みを浮かべた。
「……そうかもしれませんわ。でも、わたくしが狂っていると言うのなら、その原因が悪いのです」
すらりと短剣を鞘から抜くと、その切っ先をエルナに向けた。
シャルロッテは、たぶん本気だ。
だから、彼女の嫌がらせは聖なる魔力に弾かれなかった。
エルナに明確な、強い殺意があったから――。
「……ペルレ様とアデリナ様は、無事に帰してください」
「もちろんですわ。既にお二人は馬車に案内されている頃でしょう。フォルツの凶行から、グルーバーが保護するという形ですわ」
ということは、やはり裏口にも彼らの仲間がいるのか。
ただ、この口振りからすると、二人に危害を加えることはなさそうなので、それだけは少し安心できた。
「あなたは私がいなければ良いのでしょう? なら、アロイス様は解放してください」
「あら、駄目ですわ。だって、アロイス様がいるおかげで実行犯は彼になり、グルーバーは第一発見者になるのです。家に迷惑をかけられませんから」
「……領民にも、ペルレ様達にも、アロイス様にも、私にも、迷惑ですが」
「それは仕方ありません。全部、殿下をたぶらかしたあなたが悪いのですよ? こんな平凡な顔と体で、よくもミーゼス公爵令嬢を差し置いて候補になれたものですね」
明らかな嘲笑に、苛立ちよりも憐れみを感じてしまう。
シャルロッテにとって、大切なものはそれらなのだろう。
「……殿下が、顔と体以外を見てくださったからです」
その一言に気分を害したらしいシャルロッテが、短剣を振り上げる。
エルナの頬に痛みが走り、血が流れるのがわかった。
「生意気なことを言わないでくださいませ。……そうです。もみ合って命を落とすのならば、顔が無傷というのもおかしいですわよね」
そう言うなり、短剣を振り上げて反対の頬にも傷をつける。
血が流れる様を見て、シャルロッテは満足そうに目を細めた。
「殿下も、死に顔にさぞや驚くことでしょうね」
「……私が死んだところで、グラナート殿下は、あなたを選びませんよ」
「――お黙りなさい」
笑顔が消えたと思った瞬間に、短剣が勢いよく振り下ろされる。
胸のあたりに衝撃が走ったが、上着を着ていたおかげで少しは衝撃が吸収されたらしい。
ぱっくりと切れた上着とシャツの間から、傷のついた皮膚と滲む血が見える。
貴族の御令嬢の細腕では、一撃で致命傷を負わせるのは無理だったようだ。
痛みはあるが、深い傷ではないから、大丈夫。
まだ生きているのだから、大丈夫。
自分にそう言い聞かせると、唇を噛んで焼けるような痛みに耐えつつ、シャルロッテに向き合った。
「王族の、殿下の名前を、軽々しく口にしないでくださる? 以前にも言いましたわよね」
確かに、王宮で会った時にそんなことを言っていた。
あそこにいたのは、やはり偶然ではなかったのだろう。
恨みのこもった眼差しを浮かべていたシャルロッテが、ふと何かに気付いたように目を瞬かせる。
何となく、ろくでもないことの予感がした。
「……そうですわ。せっかくだから、髪も切り落としましょうか。あなたには、みすぼらしい頭がお似合いですわよ、きっと」
押さえられて動けないエルナの髪を掴むと、短剣を振り上げる。
その瞬間、短剣は真っ赤な炎に包まれた。
「き、きゃあああ!」
シャルロッテが悲鳴と共に剣をとり落とす。
刃は赤く焼けて光り輝き、肉と土の焦げた匂いがした。
「――動くな」
静かな低い声があたりに響く。
声の主を探して屋敷の方へ視線を動かすと、そこには人影がある。
淡い金髪と黒髪――グラナートとテオドールの二人だった。