王太子妃候補が必要らしいです
フォルツ子爵領とグルーバー侯爵領の間に位置する、魔鉱石の鉱山がある。
ヘルツ王国の中でも比較的規模の大きいその鉱山で抗夫に流行病が広がり、そのために採掘量が減少している。
流行病は感染力は強いが、病そのものはそこまで重くない。
十分に休息すれば、次第に回復すると分かっている。
フォルツ側としては抗夫に休んでもらうべきだと考えているのだが、国とブルート王国の条約締結に関連して採掘量は一定にせよとの指示があり、十分に休息が取れない状態。
弱った抗夫を酷使する形になり、状況は悪化の一途をたどっている。
国に休息が欲しい、あるいは人手が欲しいと訴える書状を何度も提出しているが、梨の礫。
鉱山を共同管理しているグルーバー侯爵がどれだけ届けても、返事を貰えないという。
このままでは抗夫に死者すら出かねないし、領民達の反発も強い。
侯爵が書状を届けても駄目だというのなら、もっと上に直訴するしかない。
「身分の低い王太子妃候補が寵愛を受けていると聞き、そちらに訴えることで陛下と殿下に現状をお伝えするのが目的です。まだ王宮で暮らしていない王太子妃候補ならば、接触の機会があるだろう、と」
アロイスは真剣な顔で説明をしているのだが、『寵愛』が気になって集中できない。
何故そんな話になっているのかわからないが、ただの侍女である『エル』が口を挟むことではないので黙って聞く。
「グルーバー侯爵に相談すると、剣を使える男達を手配してくれると言いましたが、直訴するだけなのでそんな必要はないと断りました。だが、馬車を停めて声をかけても、女性は驚き恐怖して話を聞ける状態ではないだろう。一度落ち着いてから話をした方が良いと言われて……」
「それでは、ここはフォルツ子爵家の屋敷ですの?」
アデリナの問いに、アロイスは首を振る。
「我が家の王都の屋敷は手狭な上、ちょうど改装しているんです。ここはグルーバー侯爵が手配してくれた屋敷です」
「ですが、これでは誘拐ではありませんか」
「王太子妃候補の馬車を無理に停めて直訴の時点で罪です。ならば、しっかりと話を聞いてもらった方が良いと侯爵も言っていました。ブルートの王太子を迎えた舞踏会の日、学園から馬車で移動するという情報を得て、実行しました。理由はどうあれ、王太子妃候補を誘拐する形になるので、私自身は死罪を覚悟しています」
アデリナとペルレの眉が顰められるが、アロイスはまっすぐに二人を見つめている。
覚悟しているというのは、たぶん本当なのだろう。
「それでも、鉱山に従事する領民のために、決行しました。……四男の私ならば、死んでも問題はありません」
「……そんな話、聞いたこともありませんわ」
ペルレが視線を送ると、アデリナもうなずいてエルナを見る。
「エルは、聞いたことがあります?」
「いえ、アデリナ様。存じません」
グラナートに聞いたことがあるかという意味だろうが、まったく耳にしたことはない。
そもそもエルナは条約自体を詳しくは知らないのだ。
いくら王妃教育で忙しいとはいえ、これは恥ずかしいことだろう。
今後は、もっといろんな勉強をしなければいけない。
「本当に書状を出しましたの?」
「侯爵が直々に届けているのだから、間違いはありません」
手違いではないかというペルレの指摘も、アロイスによって否定された。
すると、ペルレが口元に手を置いて何やら考え込んでいる。
正直、麗しい女性が悩ましい表情をしているので、ただの眼福である。
危うく見惚れるところだったが、眉を顰める様子に何かあるのだと気付く。
「グルーバー侯爵が書状を出したのですね。フォルツ子爵は出していないのですか」
「子爵が訴えるよりも侯爵が訴えた方が効果があると言われ、その通りなのでお任せしていました」
「誘拐などをするくらいでしたら、いっそ勝手に休息を与えるというのはいかがですの?」
国の命令を無視しろという王女に少し驚いた様子ではあったが、すぐにアロイスは首を振った。
「既に、試しました。ですが、採掘量が減るのですぐにばれてしまい、侯爵経由で厳重注意をされました」
「……そうですか。何にしても、わたくし達を捕らえていればあなた達に非があるとみなされます。フォルツのためならば、他の方法をとった方がよろしいわ」
「ですが、侯爵の訴えすら聞き届けられないなら、どうしようもないではありませんか」
至極真っ当な意見に、それでもアロイスはうなずかない。
「では、わたくし達が陛下と殿下にお伝えします。それでよろしいかしら?」
ペルレが提案した瞬間、扉が勢いよく開いた。
「ホルガー」
アロイスが声をかけると、屈強な体の男は大袈裟にため息をついた。
「話をしても無駄だ。それよりも、こいつらと王太子妃候補を交換するよう交渉しよう」
そう言ってアデリナ達に近付こうとするところを、アロイスが立ちふさがる。
「待て。何も、王太子妃候補である必要はない。公爵令嬢と、王女で公爵だ。陛下や殿下に話をしてくださるのなら、十分だろう」
「馬鹿を言うな。王太子妃候補でなければ、意味がない」
「何?」
ホルガーの言葉にアロイスも引っかかったらしく、表情が曇っていく。
「お二人が陛下と殿下に話をしてくださるなら、これ以上無駄にここに留める意味もない。我々はフォルツの状況を見ていただきたいだけであり、王家に仇なすつもりはない。侯爵も同様のはずだ」
ホルガーは薄笑いを浮かべながら話を聞くと、肩を竦めてみせる。
「俺は、命令に従うだけだ。あくまでも王太子妃候補に伝えよ、とな。おまえが二人を帰すというのなら、俺はその二人と交換で王太子妃候補を出すようかけあうとしよう」
「馬鹿を言うな! 無駄に揉め事を増やすべきではない。目的を間違えるな」
「そちらこそ。俺は俺の仕事をするだけだ。邪魔するというのなら、排除する」
剣呑な空気をはらんだまま暫し睨みあうと、ホルガーが舌打ちをした。
「……失礼します」
ホルガーを連れて行く形でアロイスが部屋を出て扉を閉めると、ガチャリと鍵を閉める音が響いた。