私にできること
「お茶って……何を呑気なことを言っていますの」
不満そうなアデリナの声を聞き流しつつ、紅茶の用意をする。
自立するよう育てられているエルナは、紅茶を淹れるのだって慣れている。
手早く用意をすると、置いてあった菓子を添えて二人の前に差し出した。
「窓から紐でも垂らして逃げたいところですが、見張りがいました。扉の前にも見張りがいます。三人で気付かれずに逃げるのは、困難でしょう。……冷める前に、どうぞ」
「こんなところに用意されたものを口にするのは……」
渋るアデリナの手を引くと、ソファーに座ってもらう。
「殺したいのなら馬車で切りつければ早かったのに、わざわざここまで連れてきて閉じ込めています。今すぐに命を取る気はないのでしょう。なら、少しでも体調を整えておくべきです」
そう言って、立ちながら紅茶を飲む。
大変に行儀が悪いが、侍女である自分が公爵と主人と共に座って飲むのもおかしいので、仕方がない。
ユリアに見つかったら恐ろしいが、今は緊急事態なので許してもらおう。
一気に紅茶を流し込むエルナを見て、ペルレもソファーに座り、紅茶に口をつけた。
「ペルレ様、アデリナ様。あなた方が所定の時間に所定の場所にいなければ、すぐに気付かれます。きっと、探してくれます。だから、私達は私達ができることをしなければいけません」
「……逃げるのですか?」
アデリナの問いに、首を振る。
「見張りがいなければ、私はこの高さなら紐を伝って降りられると思います。同様に、見張りをかわせば、走り抜けられるかもしれません。……でも、アデリナ様には無理だと思います。ペルレ様も、屋敷を出られたところで、王都の道などわからないですよね」
そもそも見張りは一人ではないだろうから、屋敷から抜け出すこと自体が困難だ。
「では、エル。あなただけでも」
アデリナが縋るように言い、ペルレも視線で同じ考えであることがわかる。
「いえ。私はアデリナ様の侍女です。そばを離れません」
「今はそんなことを言っている場合ではありませんわ」
「私は、私だけ助かるつもりはありません。三人で助かる方法しか考えません」
甘いと言われるかもしれないが、エルナは本気だ。
現状三人では逃げられないが、一人で逃げる気もない。
そんなことをしても上手く逃げられるとは思えないし、もし上手くいってもきっと後悔するだろう。
「……何か考えがありますの?」
ペルレが首を傾げると、濃い金色の髪が肩を滑り落ちる。
その色に、グラナートを思い出した。
大切な友人のアデリナも、グラナートの姉であるペルレも、エルナ自身も、守りたい。
だから、自分にできることをすると決めた。
「――刺繍をします」
にこりと微笑むエルナを、美女二人は困惑の眼差しで見つめた。
宣言通り、エルナはひたすらに刺繍をした。
用意されていたハンカチを刺繍枠にはめると、黄色の糸を取る。
アデリナの瞳を模した糸で花を描くと、その花びらを黄色で埋め尽くした。
何度も何度も針を刺して花弁が立体的になると、刺繍枠から外して新しいハンカチを用意する。
今度はペルレの瞳に似た、艶のある白い糸で花を描く。
最初は心配そうに見ていた二人も、一心不乱に糸を刺す様子に、黙って見守ってくれた。
ここから三人で脱走するのは、どう考えても無理だ。
となれば、見つけてもらうしかない。
アデリナは公爵令嬢、ペルレは王女で公爵。
必ず探される。
エルナも、きっとグラナートが探してくれる。
グラナートのために、自分の身を守るため聖なる魔力を使うと決めた。
でも、自身の意思で聖なる魔力を使うのは難しい。
だから、刺繍をする。
思いを込めて、願いを込めて。
……大丈夫、刺繍したハンカチに魔力がこもっていたのは何度も確認できている。
ユリアもそう言っていた。
だから、大丈夫。
必ず助けに来てくれるから、ここにいるのだと伝えなければ。
そして、ここにいる間、身を守らなければ。
それだけを考えて刺し続ける。
新しいハンカチを刺繍枠にはめると、水色の糸に手を伸ばして……やめる。
少しの間考えると、赤い糸を手に取った。
赤い花びらが立体的になった頃、扉を開けて青年が入って来た。
「こんな形でお招きしたことは、申し訳ないと思っています」
金髪に翡翠の瞳の青年はそう言って頭を下げた。
その振舞いからして、それなりの教育を受けた者だとわかる。
どうやら、身代金目的の賊というわけではないようだ。
「……王太子妃候補を狙ったようですが、どういうことですの。あなたも貴族ですわよね。王太子殿下に弓引くおつもり?」
ペルレの言葉に、青年は更に頭を下げた。
「私はアロイス・フォルツ。フォルツ子爵家の四男です。決して、国王陛下や王太子殿下に反意を抱いているわけではありません。許されないことだとも承知しております。処刑されるのは覚悟の上です。ただ、もう他にどうしようもなく。……王太子妃候補であるノイマン子爵令嬢は、殿下の寵愛を受けていると伺っています。殿下に我がフォルツ領の現状を見ていただきたいだけなのです」
寵愛、という部分で思わず力が入り、針を折ってしまう。
替えの針はあったが、既に花びらは立体的にできているし、集中できないのなら続ける意味もない。
刺繍したハンカチを持ってアデリナの背後についた。
アロイスはペルレとアデリナの二人だけを見ているが、表情は真剣そのもの。
悪意でこんなことをしたようには見えなかった。
「……一体、どういうことですの?」