人生二度目の誘拐です
「……何なんだ、おまえ」
一切引かずに睨みつけていると、男のこめかみに汗がつたうのが見えた。
きっと、侍女ごときに阻まれ、睨まれている事態が不可解なのだろう。
何でも良い。
二人に手を出させなければ、それで良い。
それだけは、許さない。
何かがふわりとエルナを包み込み、力を与えてくれるような気がした。
これがきっと、火事場の馬鹿力というやつだろう。
エルナと男が膠着状態で動けずにいると、馬車の外から誰かが近付く音が聞こえてきた。
「どうした?」
若い男の声だが、馬車を覗いていた男が場所を譲るところを見ると、この集団の中で立場が上なのだろう。
姿を見せた金髪に翡翠の瞳の青年は、馬車の中を見ると一瞬眉を顰める。
「……あなた方を無用に傷つけるつもりはありません。少しばかり同行していただきたいのです」
青年は丁寧な物言いではあったが、馬車を襲った者の仲間であることは間違いないだろう。
彼の手には剣が握られており、刃を向けられていないとはいえ、恐怖を感じてしまう。
どこまで信用できるかわからないが、自力で逃げ出せそうにない以上は、従って様子を見るしかない。
無言を肯定と受け取ったらしい青年は、手に持っていた剣を鞘に収めた。
「失礼だが、あなた方の名前を教えていただきたい」
三人は顔を見合わせると、うなずき合った。
「ペルレ・ザクレスですわ。こちらはアデリナ・ミーゼス公爵令嬢と、その侍女のエル・ベルクマンです」
「ペルレ・ヘルツ王女、現ザクレス公爵。アデリナ・ミーゼス公爵令嬢、それに、侍女」
青年は順に三人の顔を見つめると、エルナに視線を留めた。
「テオ・ベルクマンという護衛が王太子についていたな。あれと関係が?」
「……兄です」
これは事実なので、淀みなく答えられる。
そのおかげか、青年に疑う様子は見られない。
「なるほど。テオは燃えるような紅の髪で、剣の腕と共に恐れられているというが。確かに、君の髪も綺麗な紅だ」
青年はそう言ってうなずくと、馬車の外に顔を出す。
「王太子妃候補はいないが、王女と公爵令嬢が同行してくださる。皆、失礼のないように」
剣を持って襲撃してきた相手からの意外な配慮に困惑していると、男は微笑む。
「……それではお嬢様方、御一緒願います」
そのまま馬車ごと、どこかに移動が始まった。
乗っていた時間からすると、王都から出てはいないはず。
だが窓は覆われているので、方向感覚はつかめない。
馬車から降りる時には周囲を見るチャンスがあるだろうから、そこで何か情報を得なければ。
ところが、馬車が停まって降りたのはどこかの屋敷の敷地内で、周囲は木が生い茂っているだけ。
手掛かりになりそうなものは見えなかった。
屋敷自体もとりたてて特徴のない作りで、場所や所有者に見当がつかない。
逆に言えば、ノイマン邸の周囲は路地まで知り尽くしているエルナにわからないのだから、少なくともノイマン邸の近所ではないということだ。
大した情報ではないが、それでもわかることがあったことに、少しだけ安堵した。
「話があるだけなので、手荒なことをするつもりはありません。何かあれば、扉の外に女をつけているからそちらに言ってください」
青年に連れられて屋敷に入ると、三階の一室に連れて行かれた。
扉の横には体つきの良い女性が立っていて、こちらを見て一礼する。
装いこそ使用人のようだが、見張りであることは明らかだ。
「隣の部屋にお茶や、暇をつぶせそうなものを用意してあります。申し訳ないが。待っていただきたい」
青年と共に女性も出ていくと、扉は閉ざされた。
「……困りましたわね」
「ええ」
ため息をつく美女二人を尻目に、エルナは部屋の中を歩き回る。
窓の外を見ても、位置を特定できるようなものはない。
……そう言えば、側妃に攫われた時にも同じようなことをしていた。
あの頃は『虹色パラダイス』に思考が捕らわれていて、まさか既に本編終了後だなんて思ってもみなかった。
あれからそれほど経っていないのに、今のエルナは王太子グラナートの妃候補。
世の中は何が起こるかわからないものだ。
……いけない、今はそんなことを考えている時ではない。
エルナは頭を振ると、意識を切り替える。
この部屋は三階だし、窓からの脱出は困難。
今回は都合よく鍵が開いているということもないし、扉の外には見張りがいる。
三人で脱出するのは、かなり難しそうだ。
ペルレとアデリナが隣の部屋を見に行ったので、エルナもそちらに移動する。
ソファーとテーブルという、最初の部屋と同じつくりではあるが、こちらのテーブルには色々なものが用意されていた。
お湯や茶葉、本、菓子に刺繍道具やチェスまで置いてあった。
「攫っている割には、好待遇ですね」
エルナが正直な感想を口にすると、ペルレが眉を顰めた。
「つまり、目的を果たすまではとらえ続けるということかもしれませんわ」
「灰色の髪の王太子妃候補、と言っていました。目的は、そういうことでしょう」
二人は、決してエルナの名前を呼ばない。
今この場では、エルナは侍女のエル・ベルクマンなのだ。
ならば、この場に合った行動をしなければ。
「アデリナ様、ペルレ様、どうぞお座りください」
「え? でも……」
アデリナが困ったようにペルレを見るが、ペルレもまた首を傾げている。
「まずはお茶でもいかがですか? すぐにご用意いたしますね」
エルナが微笑むと、今度こそ二人は困惑の表情を浮かべた。