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幼なじみの距離(1)

部分数ごとの文字数を増やし、サブタイトルを付けていくことにしました。初心者とご容赦ください。

゜・:,。゜・:,。★゜・:,。゜・:,。☆゜゜・:,。゜・:,。★゜・:,。゜・:,。☆゜


天上から、白いヒラヒラが降ってくる。


――雪?


……っていうか、むしろ逆。


ひとひらつかむと、


「熱っ」


とけるどころか火傷した。


「大丈夫?」


見上げると、

天空に広がる無数の星。


それを、かき消すように咲く灼熱の花。



ドォオ……ンッ!!!!



残光を背に“その人”が照らし出されると、


切なくて、

涙が溢れ出しそうになるのに、


私は、この愛しい姿に覚えがない。


心配そうに、わたしの手のひらを覗き込む。

少しクセのある髪……


ドクンッ!


瞬間、わたしの心臓が跳ねた。

手のひらに“その人”の唇が触れる。


(セ…ンセ……)

――先生?先生なの!?この人。


凪紗ナギサ……」


――違う……


違うの、私…っ

凪紗ってひとじゃないっ!!



そっと、重なる唇。

伝わってくる体温。


深い、大人のキス……


「…ふぁ…あ…」


自分の声じゃない甘ったるい声が、頭の中で反響した。



゜・:,。゜・:,。★゜・:,。゜・:,。☆゜゜・:,。゜・:,。★゜・:,。゜・:,。☆゜




「ひゃあああ~~~~っ!!」


教室に叫び声が響きわたる。


「うるせぇ……、梨佳リカ

「え?……あ、あれ、大河タイガ?」


どうも、うたた寝をしていたみたい。


机から半分ずり落ちた体を慌てて起すと、不思議なまでの静けさに、梨佳は周りを見渡した。

入学して2週間。

名前もうろ覚えのクラスメイトが大勢固まっている。

認識できたのは、高校生になって初めてできた友達だけだ。

その、山峰由紀ヤマミネユキと目が合った。


瞬間、


――しまった。


と、我に返ったが、もう遅い。


「きゃぁあああ~~っ!!」


今度は、教室中どころか廊下にまで黄色い悲鳴が響き渡った。


「梨佳ちゃん!うそ!なんで?楠原クスハラ先輩と知りあいだったのお!?」

「きゃぁああああ~~っ!!」

「先輩~~カッコイイ!!」


楠原大河クスハラタイガは梨佳のカバンを自分の肩にかけると、呆然とする梨佳を覗き込む。

大騒ぎになっている教室などお構いなしだ。


「予約に遅れる。早く帰る準備しな?梨佳」

「……」

「梨~佳っ」

「……」


正直、その後の事はよく覚えていない。

気づいたら、大河と二人、梨佳は病院の待合室に座っていた。



「あぁ~、駅で待ち合わせって、約束だったのにぃ」

「寝こけて約束の時間に来なかったのは、梨佳だろ」

「うあ~、だって、だって……」


“最近、寝不足なんだもん”


そう言いかけて、言葉を飲み込む。


「だって、何だよ」

「何でもないです」


そんなこと言ったら、この心配性の幼なじみは、もっと過保護になるに違いない。


退院してもう2週間にもなるのに、たかが定期受診に学校を早退してまでついてくる。

そして、今日の大騒ぎだ。


「なんだよ、言えよ」

「言わないもんっ!」

「言えっ!」

「あっ!!加奈子さんだ!!」


中待合室から出てきた看護師に向かって、梨佳がうれしそうに手を振ると、その看護師のほうも笑顔で二人に近づいてきた。


「相変わらず仲がいいわねぇ~」

「うそ!どおして外来にいるの?」

「4月からここに配属が変わったのよ」

「じゃあ、受診の時には会えるんだ!やった!」


午後の外来というのは、午前の一般診療と違って予約がメインだ。

退院後の経過を診るためだったり、病気の定期受診なんかがほとんどで、当然、顔見知りの看護師や患者なんかも多い。

でも、この伊藤加奈子イトウカナコは特別だった。


物心ついたころから入院を余儀なくされた梨佳が、姉のように慕ってきた看護師。

彼女に会えるのなら、いつまで続くかわからない、週1回の受診も悪くないと思う。


「お邪魔するようで、本っ当に悪いんだけど、結城梨佳ユウキリカさん診察室へどうぞぉ~」


促されるまま診察室の扉をあけると、窓から差し込む暖かな春の木漏れ日の中に、見た目大学生のような若い医者がニヤニヤ笑いながら座っていた。


「大河ぁ~お前ねぇ、時と場所を考えようよ?ヤだね~、思春期ってぇ」


実のところは35歳。

この童顔の医者、高橋直人タカハシナオトがまだ研修医だったころ、最初に受け持ったのが当時9歳で小学3年の梨佳と大河だった。


「梨佳ちゃん、高校生活はどう?もう慣れた?」

「うん」

「友達はできたのかな?意地悪なんかされてない?」

「うん。大丈…」

「ああ、心配だなぁ、何か困ったことがあったら言うんだよ?先生が学校にちゃぁんと話しに行って……」

「……」


心配性なのは何も大河だけではない。


「さっさと診察しろよ、先生」

「うるさいな、大河は。してるだろ?診察」

「世間話してないで、早く診察してください。先生」

「加奈子さんまで!?」


大河は当たり前のように診察室の奥まで歩くと、窓際の壁にもたれかかる。

視線を床に落とし、いつものようにゆっくりと目を閉じた。


その様子を確認すると、梨佳も診察室の椅子にちょこんと腰をかけ、制服のボタンを外す。


――7年?…いや、8年か…


その年月を想い、高橋も目を伏せる。

まぶたの裏に、初めて二人を見たときの光景が焼きついている。


長期入院を余儀なくされた、重い心臓病の女の子と、そのそばに立つ、病院には不釣合いな健康そうな男の子。


高校の制服が、まだ大人の庇護下であることを示してはいるけれど、もう子供とはいいがたい男女の姿。


それでも、なお繰り返される、子供のころからの変わらぬ光景を、再び開いた高橋の目がとらえると、

彼は眩いものを見るかのように、目を細めて微笑んだ。




「心音もいいね。エコーも心電図も異常なし。写真は~…」


マウスをカチカチ操作して、高橋は医者らしくパソコンに映し出された胸部レントゲン写真を見つめる。


「問題なし」

「ね!大丈夫だったでしょ!大河」


勝ち誇った表情で顔を上げる梨佳とは対照に、大河の顔は曇ったままだ。

床からおもむろに視線を引き上げると、眉間にしわを寄せたまま高橋を見つめること、数秒……、


「…ん~、じゃっ、じゃぁさ、念のためホルターもとっとくかぁ~」

「ええ~~っ!」


あっけなく覆った主治医の見解に、梨佳は見るからに不満そうに、そして呆れ気味に言った。


「しっかりしてよぅ!主治医は大河じゃなくて先生でしょ?」

「いや、だって、ほら大河が……、あっ!でも、もう一度聞くけど、本当に最近変わったことはないんだよね?」

「……ぅ、うん?」


一瞬言葉に詰まった梨佳を見て、笑顔は崩さないまま、高橋の目の奥に厳しさが光る。


「……、梨佳ちゃん?」

――前門の先生(虎)に、


「ちゃんと言えよ、梨佳」

――後門の大河(狼)。


梨佳は心の中でそう呟くと、これは観念したほうがよさそうだと、しぶしぶながらに白状した。


「はあっ、少し…寝不足なだけだよぉ」

「少しじゃないだろ。毎日2~3時間しか寝てないっておばさん心配してたぞ」


――……お母さんめぇ、やっぱり大河に泣きついたのね


ボソリ、心の中で呟き、あからさまにムッとしてみせる。

大河にじゃない。

母親と、目の前に座る主治医に向かってだ。


――先生も、どうせ最初っから検査するつもりだったくせに……


どうもこの二人は、“大河の言うことなら、梨佳はきくだろう”と、考えているフシがある。


「本当に、他に症状はないんだね?」

「…うん」

「でも、今日はホルター着けてってね。それと何か違和感が出るようなら早めに連絡すること」

「……はぁい」


そう返事はしたものの、どうせそんな検査に意味はない。

そもそも寝不足といっても“眠りたくない”だけで、“眠れない”わけじゃない。

理由は簡単。


最近、変な夢を見る。

それが、嫌で寝付けない。


「梨佳ちゃん、私も検査室にいく用事があるから一緒に行こうよ、ね?」


加奈子は梨佳に声をかけると、同時に大河を見据える。


「あんたは付いてこなくていいからね、大河。女子のハナシがあるんだから」

「女子って…、加奈子さんもう三十路じゃねぇの?」

「まだ28よ!あんた達は二人して、どおしてこうも女心がわかんないかなぁ!こんなやつら放っといて行こっ!梨佳ちゃん」


半ば強引に梨佳を診察室から連れ出すと、加奈子は高橋を心底呆れた表情で睨み付け、扉を叩き閉めた。


バタンッ!


「はは、検査を受けさせるのに大河を利用したの、さすがに加奈子ちゃんにはバレたか~」


肘掛け椅子に座ったまま、高橋は両手をグイッと上げて、背伸びする。

こった背筋を伸ばしながら、チョイチョイと大河に向かって手招きをし、先ほどまで梨佳が座っていた椅子を指差す。大河がそこに座ったことを確認すると、


「ま、検査は念のためだよ」


と、人懐っこい笑顔を浮かべながら、くるりと椅子をむき変えて、真正面に大河を見据えた。



ここ藤沢医科大学付属病院は、小児循環器疾患の治療において、もともとかなりの知名度を持っている。特に小児循環器外科は有名で、未成年者の心臓移植についての研究や実績に評価が高い。

近年、その実力を知らしめたのは、梨佳の症例だろう。


奇妙なほど順調な、完璧な成功例。


術後これほどトラブルなく回復するなんて、いったい誰が想像できただろう。

術前の梨佳の状態を考えれば、手術が成功したこと自体が奇跡に近い。

まして学校生活を送れるようになるなんて、しかもたったの2ヶ月だ。


「ホント、大河は特別だよなぁ~」


頬杖をつきながら、ニヤニヤと次の言葉を待つこのいい大人を、大河は半ば諦め気味に、そして面倒くさそうに見下ろした。


「俺の診察はいらねぇよ、先生」

「当たり前だ。…っていうかさぁ、梨佳ちゃんの制服姿カワイイなぁ~、心配じゃないの?お前。あれは高校でもモテるだろ」

「……知らね。学校では、あんま会わないし…」

「ああ、そうか大河は先輩になんのか」

「…うん」


大河は高校3年生だ。対して梨佳は高校に入学したばかり。

同い年とはいえ病気でほとんど学校に行っていない梨佳とは学年が違う。


――男っぽくなっちゃって……


梨佳とともに、大河のことを歳のはなれた弟のようにかわいがり、その成長を見守ってきた高橋を、大河もまた兄のように慕っていた。


「梨佳、マジで大丈夫?」

「今のところ気になるところはなかったなぁ、でも……」

「…でも?」

「……」


一瞬の沈黙。


目の前の高橋の顔が、ふと医者としてのそれに変わったとき、大河は彼を見つめたまま顎を引き、ゆっくりと息を止めた。

重大な事象に対峙するときの、これは大河の癖のようなものだ。


“心臓移植しなければ助からない”


と、梨佳の余命を宣告されたときも、そうした。


自身が怯んでしまわないように、相手に動揺が伝わらないように、身も心も固定する。

だから、


「まだ、セックスしちゃダメだからな」


そう高橋が言い放ったとき、この手の冷やかしに乗せられたことを嘆く以前に、さほど深刻な話じゃなかったことに、大河はとにかく安堵した。


「…はぁ~…、あの、さぁ……」


止めていた息を深々と吐き出すと、ガックリとうな垂れ、硬く握り締めていた手を緩める。


「まてまて!真面目な話だから、きちんと聞け。お前は頭がいいし、梨佳ちゃんの疾患に関してだけいえば、そこらへんの研修医なんかよりずっと詳しいよ。だから、わかるだろ」

「……?」

「順調なんだよ、でも、“なぜここまで順調なのか”わからないんだ。はっきりいって普通じゃない。正直、まだ心臓に負担はかけたくない。もう少し我慢しろ。いいな」


大河が、項垂れたまま視線だけを上向けると、少し長い焦げ茶色の前髪を透かして、至極真面目な顔の医者が見えた。

どうやら冷やかしではないらしいが、リアクションに困る。


「あのさ……」

「…っていうか、お前受験生だろ!勉強しろ勉強!小学生の時“高橋先生みたいな医者になりたい”って言ってただろう!医者になれ!そしてオレに楽をさせろ!」

「…あのさあっ!!」


よくもまあ、本人も忘れているような、小学生の戯言を覚えているものだと感心しつつ、このおせっかいともいえる発言に、大河は抗議の声を上げた。

…が、その割には、いささか迫力に欠けた。


「…て、ねぇもん」

「まあ、キスぐらいは許す」

「だからっ」

「は?何だって?」


目の前の高橋は、キスの何が不服だと言わんばかりだ。

大河は、思わず上げてしまった顔を露骨にそらし、表情を読み取られまいと、解いた手で口もとを覆う。


「…付き合ってねぇもん……」

「…え?」


高橋の表情が、またたく間に崩れていく。

仕事用の顔から、まるで出来の悪い弟を見るように変わったかと思うと、大きくため息をつき、

そして、それを証明するかのように、医者が決して患者の付き添いに言うはずのない、暴言を吐いた。


「アホだろ!お前はっ!!」




時を同じくして、2階の検査室から悲鳴が上がった。


「ぇぇえええっ~~~~!! 梨佳ちゃん、大河君と付き合ってなかったのぉおおっ!?」

「しーっ、しーっ!加奈子さんってば!声が大きいよっ」


ギロリ……


検査技師が無言でにらむと、長椅子に座っていた二人は、寄り添うように小さくなった。次の患者を呼び込んで、その男性技師が検査室のカーテンの奥に戻っていく。


「でっ?でっ?その告ってきたコに返事はしたの?」

「断ったよ…」

「だよねぇ~これで他の男と付き合われたんじゃ、大河の立場ないわ!」


胸の前で腕を組み、うんうんと大げさに頷いてみせる。


「で?そっちを断ったってコトは、大河と付き合うことに決めたんだ?告白されたんでしょ?」

「え?…な…何で知ってるの?」

「知るわけないでしょ!カンよカン!マジで?ついに告ったの?大河やるぅ~!!」

「つ、つきあわな…」


グイっ!


言葉が終わる前に、加奈子は両手で梨佳の頬を挟みこむと、真剣な顔を近づけた。


「大河のこと、めちゃくちゃ好きなくせに、なに言ってるのよ」


その相変わらずのストレートぶりに、つい、梨佳が思わず微笑む。……が、加奈子の両手がそれを許さない。


「笑う所じゃぁないのよ、梨佳ちゃん」


この4月まで梨佳が入院していた小児科病棟の看護師だった加奈子にとって、梨佳が今までどんなふうに大切なものを諦めてきたのか、手の内はわかっている。


言い聞かせるように、相手にだけでなく自分にまで嘘をつくのだ。

微笑みながら。

だから、顔に張り付いたような笑顔で、心にもない嘘を梨佳に言わせちゃいけない。


「……だって…いつ死ぬかわかんないのに」

「みんな同じよ」

「私は違う」

「同じよ」

「……」


梨佳は自分の頬に添えられた加奈子の手に、そっと自分の手を合わせると、そのまま加奈子の手を握り、引き下げた。

梨佳の膝の上で、握り合ったお互いの手に力がこもる。


おそらく、今は順調。でも、移植後、予断を許さない状況に変わりはない。

心臓移植の生存率はかなり良くなっているし、1年生存率は90パーセント近くある。3年生存率はやや下がるが、それでも以前に比べればかなり高い。


ただ、5年、10年……その値は下がり続けるのだ。


梨佳にとって生きるということは、この生存率を更新し続けていくことに他ならない。

梨佳の言わんとすることは、看護師である以上、加奈子だって十分すぎるほどわかっている。

よほどのことが大河にないかぎり、先に死ぬのは梨佳のほうなのだ。

そんな頼りない自分の命に、未来のある大河をこれ以上縛り付けたくない。


梨佳の気持ちはよくわかる。


「今日もねぇ、午後の授業早退して病院についてきてくれてるんだぁ…受験生のクセして」

「うん」

「ひとりで行くって、言ったんだけど……」

「ダメだろうね~」

「あはは……」


梨佳は、力なく笑うと、


「…う~ん、これ以上、大河の足を引っ張りたくないなぁ~……」


と、口元だけに笑みを浮かべ、伏し目がちに足元を見た。

真新しい皮のローファーが、明るめの蛍光灯にツヤツヤと照らし出されている。


ほんの少し前まで、視線の先に見えていたのは、愛用の赤いギンガムチェックのスリッパだった。軽く足を振り下ろすと、靴のかかとが床の上に弾かれて鳴る。


コツッ…


足にまったく馴染まない振動。

履いているだけで靴擦れしそうな違和感。


このまま歩いて行けそうな気が到底しなくて、それは同時に、再び靴を脱ぎ病院に戻ってくることを、梨佳に予感させた。



梨佳の名前が呼ばれ、検査室の奥にその姿を消したあとも、加奈子は待合の長いすに腰掛けたまま動けないでいた。

他の人と全く同じとまではいかなくても、今まで我慢してきた多くの事を、諦めてしまった事のひとつでも、その手に取り戻して欲しかったのに……

梨佳は、それを頑なにしようとしない。


「はぁあああ~…」


加奈子は深いため息をつきながら頬杖をついた。


午後の4時もまわると、さすがに外来は患者が少ない。先ほどの男性技師が仕事に戻れと加奈子を睨む。

きっかけは何だったのか、やや繊細さに欠ける性格の加奈子はすっかり忘れていたが、外来に移動になって以来、この技師とは、それぞれがお互いに“一度決着をつけねばならない”と、よくわからない敵対心を燃やしていた。


「…ハゲめっ」

「くっ…!」


――ふふん。まず、一勝。


悔しげな表情を浮かべ検査室に消えていく技師を見ながら、それでも晴れない気分に、加奈子は2度目のため息をつく。


自分にはどうすることもできないと、わかっているだけに腹が立つ。

考えたところで、所詮答えは決まっているのだ。

そして、そんな加奈子の気分をさらに逆なでするように、“答え”がのんきに声をかけてきた。


「怖ぇ~、伊藤さん」

「……」


やさぐれた様子で顔を上げると、予想通り大河が立っている。


もともと人目を引くキレイな顔立ちの子だったが、ここ1、2年で身長も伸びた。180センチはある。こうして改めて見ると、なんともまあカッコいい男に育ったものだ。姿だけでなく中身までもなんて、そうそういない。

加奈子は同じ年頃の親戚の男の子を思い出し、すわった目をさらに細めた。


――実際、大河はよくやっている。


徐々に悪化していく梨佳の病状は、回復の兆しをみせなかった。

特に彼女の場合、内科的治療の効果が薄く、早期から心臓移植が視野に入れられていた。


ただ、時だけが無駄に過ぎていく。ドナーなどそうそうみつかるものじゃない。


一時退院も、外出も出来なくなって、気がつけば梨佳は、病院どころか病室からも一歩も出られなくなっていた。


――もし…自分の好きな人が余命を宣告されるような病に犯されたら……


その想像に加奈子は身震いする。

日に日に弱り、動けなくなっていく想い人を、助ける術のないまま、何年も、何年もそばにいて見守りつづける。


その絶望。


目の前の高校生は耐えてみせたのだ。

これ以上、彼にもっとしっかりしろというのは酷だろう。


そんなことは、わかっている。

わかっちゃいるけど、腹が立つ。


「このヘタレ大河!さっさと押し倒しちゃいなさいよ!!」


立ち上がったと同時に叫んだ言葉は、はずみなんかではない。


死ぬ準備を終えてしまったあの子に、もう一度生きる意味を与えることができるのは、大河以外に誰がいるのだろう。


「……つい今しがた、我慢しろって言われたばっかなんだけど?」


めずらしく、大河が不快な顔をしてみせる。大体、今の今まで散々高橋に言いたい放題言われてきたのだ。


“いい加減にしてくれ!”


と、叫びたいのを、なんとかその程度で抑えた。

ただ、加奈子にしてみれば、そんなことは“知ったこっちゃない!”のだ。


「はあ?高橋先生なんて35にもなって結婚どころか彼女もいないのよ!あ~んな医者やってんのが趣味みたいな変人の言うことなんか聞いてたら、梨佳ちゃん他のオトコに取られちゃうんだからっ!!」

「伊藤さんだって、彼氏いないじゃん」

「あたしはいいのよ!まだ平均結婚年齢以下なんだからっ!!」

「ははっ、“まだ”って年でもじゃねぇじゃん」

「なぁああんですってえっ!?」


こうなると、もうお互いただの八つ当たりだ。


バシッ!!


伊藤は、手に持っていた書類を大河に叩きつけると、背後に感じた気配に勢いよく振り返り、声を荒げた。


「梨佳ちゃんっ!!」

「はっ…はいっ!?…っていうか、なっ、何やってんの?二人とも」


いつの間にか、検査室から出てきた梨佳と天敵の技師が唖然と立ちつくしている。


「やっぱ、え~っと、ほらっ!誰だっけ?告ってきたコ、その子と付き合っちゃえっ!」

「えええ~!?」

「それと隣のハゲ!これ検査に頼まれてわざわざ持ってきた書類だから、拾っといてよ!」


そう言うが早いか、加奈子は最後に大河をひとにらみすると、


「同じクラスの男子らしいわよ?」


そう言い残し、全力疾走でその場を去った。

数枚の書類を踏み潰しながら。




・・・・・・

17時30分

電車で帰宅中(座位)

・・・・・・


ホルター心電図の行動記録には、こう続けられた。


・・・・・・

大河が口きいてくんない

超コワイ

・・・・・・


大河は運よく空いていた席に梨佳だけ座らせると、他の人間の視線から梨佳を隠すようにその前に立った。電車内はかなり混み合っていたけれど、おかげで、これくらいのメモは取ることができる。

それから15分。

車窓に流れる景色を見つめたまま、大河は梨佳をチラリとも見ようとしない。

そんな幼馴染の様子を上目づかいで盗み見ながら、梨佳は小さくため息をついた。


「“超コワイ”って、行動記録に書くか?普通…」

「……ぁ、あのね」


ふいに頭上から降ってきた声に慌てて顔を上げたものの、すでに大河の視線は出口のドアに向けられている。行き先を失った言葉のかわりに、車内アナウンスが降車の駅名を告げる。


大河は当たり前のように梨佳の手を取ると、溢れる人波を少しやり過ごした後でホームに降りた。

自分の後影に梨佳を入れ、盾になりながら構内を抜ける。


「…大河……、あのね、聞いて、大河っ……」

「なに?」


前触れもなく立ち止り、真正面に梨佳を見つめる大河に、梨佳は何かを言いかけて、その言葉を飲んだ。

日も暮れて、あたりはすっかり夜に覆われている。ロータリーとは反対側の駅裏は人もまばらで、薄暗い街頭と月明かりだけが、二人を照らしだす。


「……告られた?」

「…ぅ、ん、そぅ…だけど、ちゃんと断ったし、…」

「じゃあ俺は?…返事、まだだよね」

「……」


ザアッ……


風が、肩まで伸びた梨佳の髪を巻き上げた。

春は、ほんの数週間前まで雪がちらついていた季節だ。日が暮れればまだかなり冷える。

でも、この小刻みに震える指先は寒さのせいじゃないと、梨佳は思う。


“つきあえない”


その、たった6文字を、梨佳は今日まで何度飲み込んだだろう。


「…(大河…、ごめ…)」


のどの奥に引っかかった言葉が声にならない。

二人だけが取り残された、音の消えた世界。そこに、少し低めの大河の声が響く。


「…ゴメン、カンジ悪いよな……」


――なんで、大河があやまるの?


梨佳は、必死に首を横に振る。


「…違う。そうじゃない、…ちがう……」


深くうなだれた梨佳の白い首筋が、月影に浮かび上がる。…と、突然、


ふわり……


なにか暖かいものが、梨佳の頭上に舞い落ちた。

あったかくて、いいにおい。大河のにおい。

サーモンピンクのストールが、包み込むように梨佳の頬をくすぐる。


「梨佳はさ、免疫抑制剤飲んでんだろ?風邪でもひいたら入院じゃん。もっと気をつけな?」


言葉の端がさっきまでとは違う。

ストールの隙間から不安げに見上げると、そこにはいつもの大河がいた。両手を制服のポケットに入れて、肩をすくめながら、やわらかに笑う。


「帰ろっか」


行く先の見えない薄暗い世界の中で、大河にだけ帯びる色彩。

大河には似合いそうもないサーモンピンクのストールは、梨佳のために大河が用意しておいたものだろう。

込み上げる愛しさに絶望しながら、梨佳はその過保護ぶりに、戸惑いがちに微笑みをかえす。


一瞬、大河の呼吸が止まった。


「……好きだよ、梨佳」


――大河……


隠している特別な気持ちも、何もかも、全部、全部、大河の、その瞳に見透かされてしまいそうな気がして、

怖くて……


咄嗟に距離を取ろうと梨佳が後ろに下がると、首に掛けられたストールごと、大河は梨佳を引き寄せた。

大河の髪が梨佳の頬に触れる。

ゆっくりと、当たり前のように、唇が触れた。


そのキスに、冷たく凍えきっていた体が熱を帯びる。

まるで、命を吹き込まれたみたい。


――スキ…大河……


誰よりも、何よりも、大好きなひと。

叶わなくても、結ばれなくてもいいから、一番、幸せになって欲しいひと。

こんなにうれしいのに、梨佳の伏せられた瞳からせつなく涙が流れる。


舞い上がる風が、二人の吐息を夜空に混ぜながら、雲を押し流す。

上弦の月が、雲の切れ間に見えては隠れ、隠れては幾度となく姿を現し、覗き見るように二人を照らしていた。

不安げに落ちる雲の影を、振り払うかのように。



その日の夜、梨佳はいつもの“嫌な夢”を見なかった。

だからといって、よく眠れたかといえばそうでもない。そのかわり見たのは大河の夢。頭の中が大河でいっぱいだった。


いい事も悪いことも、みんなまとめて、あるだけ、全部、とにかく大河のことしか頭になくて……

今思えば、それは、なんてあたりまえで、幸せなことだったのだろう。


*ホルター(ホルター心電図)とは24時間心電図を記録する検査のことです。機械を装着後、自宅で日常生活を送り翌日病院ではずします。その間の心電図を記録します。また、自覚症状や、食事・睡眠などの行動記録も同時に本人に書いてもらって、後に照らし合わせて診断を行う検査のことです。

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