レチエの剣
三人はその後、一日程度を費やし、地下を抜けた。
「ようーやく、地上に出れたわね!」
時刻は夕刻のようだが、イリュネーは朝だと言わんばかり大きく伸びをする。
雨は降っておらず、既に幾らか土地が高いからか水に浸ってもいない。
「ここが、西の山の麓、か……」
ミシンは辺りを見渡す。すぐ西に、水の霧にかすむ影のように山の影が見える。そう高い山ということもない。近くには木が疎らに生えており、山の方へ続いている。
ミジーソは東の方角へ歩み、様子を窺ってきたところやはりこの辺りは既に丘陵になっており、その下は依然、水に浸っているという。
「しかし、だいぶ退いておる様子。雨もしばらくは、おそらくわしらが地下におった間には降らなかったんじゃなかろうかな。温泉地や砦の方もやがて退いていくじゃろう。木馬の探索にどれだけかかるかわからんが、帰りには地上を歩いて帰れるのでは」
その時、反対方向の山岳の方へ先に進んでいたイリュネーが声をあげて呼ばわってきた。
「こちらへ! 何かある!」
ミシン、ミジーソが急いで駆け付けると、イリュネーが指さす方の木陰に何かが横たわっている。人の倍近い大きさはある。もう、動いていないようだが……
ミシンはそれを見て「あっ」と一声叫び、一人駆け寄った。
「ま、待て! 何があるかわからぬ。一人で先へ行くな……!」
ミシンは既に横たわるそれの傍らにしゃがみ込んでいる。
「そんな……」
ミシンは言葉を失った。
木馬だ。
完全に動きを止めている。足は折れ曲がり、身体も傷んでいる。
「うっ。これは」
「おお……」
二人もすぐ傍へ寄ったが、ミシンにかける言葉も見つからなかった。
完全に光を失った首なし馬。
木馬は、死んでいた。
こんなに早くに木馬が見つかるとは誰も思わなかったが、死んでいては全く何もならない。
光を失うと木馬は死ぬのか。ミシンはしゃがみ込んだまま、無言で木馬を見つめた。
やはり、あの時きりんの群れを打ち払った光は、この木馬のものだったのだろうか。それで、力尽きてしまった……
「どうするの? ミシン。せっかく見つけたけれど、これじゃ……その、死体なんか持ち帰っても、仕方ないよね?」
イリュネーは、明るく振る舞う。がそんなイリュネーの言葉も今のミシンにはほとんど届いていなかった。
レチエが、彼女の意志を、願いを込めて、届けてくれた木馬だったのに……。
「ううむ。なあミシン殿。木馬はこの一頭しかおらんのかのう。この近くにまだおるということは」
ミジーソの言葉にミシンは顔を上げた。
それは、そうだ。
あの雨の回廊の夜空を駆けていった木馬。何頭くらいいたろう。十頭近くは、いたのでは。皆が一緒の方向には行かずに離れ離れに散っていったが、同じ方向に飛んでいったものもいるだろう。
レチエの、願い……
木馬には、レチエの意志が入り込んでいる。こちらから何とか、レチエの意志を持った木馬を引き寄せることができないだろうか。何か、レチエとの思い出の品でもあれば……だけど僕は、レチエの恋人でも何でもなかった。戦いの前にたった一度だけ、レチエとふたりっきりで会って、話したことがあるだけなんだ。
ミシンは幾らか歪な瞳で、レチエのことを浮かべる。僕は、レチエに触れたことさえ、ない……!
ミシンは剣の柄をぎゅっと握りしめ、はっとした。
そうだ。レチエは、この剣に、触れた……!
ミシンは立ち上がり、剣を抜いた。
「わっ」
ミシンを傍らから見守っていたイリュネーが驚く。
「何するの、ミシン?」
ミジーソもいぶかしげに、ミシンの行動を窺った。
ミシンはその場で剣を高く掲げている。
何の反応もない。が、ミシンには、どこかで光がひかったイメージが湧き上がる。
はっ。どこだろう……わからない。ここからじゃ、届かないのか?
ミシンは山岳を上の方へ向けて突如、走り出した。
「ちょ、ちょっとお? おかしくなったの、ミシン?」
イリュネーは慌てるが、ミジーソは何も言わずに後を追った。イリュネーもすぐそれに続く。
半刻近くになるというくらい駆けたろうか。既に辺りは薄暗くなっている。
山は崖が切り立ち、眼下に景色が一望できる高さまで駆け登ってきた。ミシンはその崖の先端に立つと、剣を掲げた。
荒い息を整えながら、そのまま静かに待つ。
息を切らして、イリュネー、ミジーソが追い付いてくる。
「ミシン……!」
ミシンは尚、静かに待つ。
夜空から、光が近づいてくる。
一つ……二つ……まだ、来る。
「おお、なんと」
「あ、あっちからも来る! 三つ……その後ろにも!」
ミシンはまだ、剣を掲げ続ける。
まだ、まだ来ているぞ。
最初の木馬が、ミシンのすぐ傍に降り立つ。
二頭目、三頭目……集まったのは、六頭。
イリュネーもミジーソも、感嘆に言葉を忘れて、ミシンの周りを静かに木馬が闊歩するのをただ眺めている。
これでも全部ではないな、とミシンは思った。
他のは、届かなかったのか、ここまで辿り着けなかったか、それとも光が弱まってどこかでもう死んでしまっているのかもしれない。
ともあれ、これだけいれば……
「戦える……」
イリュネーが思わず、呟いていた。
そうだ。戦える。
ミシンは強く頷き、ミジーソも顔を見合わせて同じく頷いた。
木馬六頭を従えたミシンらは、それを率いて山を下りていく。
「驚いたな」
イリュネーが問う。
「その剣は?」
「聖騎士になった時に、王から受け取った」
「なるほど。それで、特別な力が」
「いや。うん……確かに特別な剣なのかもしれない。でも、木馬を導くことができたのは、レチエが……」
その誰かの名前を聞いて、イリュネーは少し、むっとしたような、寂しそうな、些か複雑めいた表情を一瞬見せた。それにミシンが気づくことはなかったが。
「レチエが、この剣に触れたから」
ミシンは、遠く山々の連なる向こうにある都の方角を見ている。
イリュネーはふっとため息を吹いた。
ミジーソは木馬達の後ろについて、木馬が遅れたりはぐれたりしないよう、注意している。
かくしてミシン達は六頭もの木馬を連れて、境界の砦へと帰還することになる。
(第5章・探索 了)




