ケンジャ
辺りは静かで、先程までとは打って変わり、かすかな水の流れる音に時々周りで水滴の落ちる音がするくらいだ。生きものの気配はない。
そのまま地下洞を奥へ注意深く足を進めると、すぐにまた地下川の流れに行きあたった。
天井が幾らか高くなっている開けた場所で、こぢんまりとした湖といった空間へ川が流れ着いている。
近づくと、奥の方の水面にぽつぽつと頭が出ているのが見える。頭髪のない人の頭と思われる。湯治をする老人達、なのだろうか。方々で湯煙が上がり、温かい地下泉になっているようだ。
「こんな地下に人? 最初のところに戻ってきた……なんてことはないよな?」
「まさかまた、新たな土着の生きものじゃないだろうな。飛び出してきたり、しないだろうな」
恐る恐る、近づく。
「どうした? ゆっくりしてけ」
水の中からそう語りかけてくる。
こちらにはもう気付いていたらしい。言葉も通じるし、どうやら敵対的な者ではないようだ。とは言え油断はしないように、三人は地下泉の脇の道沿いに彼らの元へ近づき自分達がケトゥ卿の元から来たことを告げ、礼を示した。
彼らは自らをケンジャの一族、と名乗り古来からこの地下泉の片隅に住んでいる者だという。かつては地上の民との交流もあったのだと。
見渡すと地下泉のあちこちに、十数の頭が見えている。どの顔も相当に年老いており、しかし聡明そうで、瞑想するように目を閉じている。
「ケンジャって……賢者?」
地下泉の前にしゃがみ込み、目の前で湯に浸る彼らにイリュネーは問う。
皆一様に頭髪はなく、耳より上の頭部が異様に長く、人間とは異なる種族かもしれない。
「わからぬ。古来よりわしら一族はただそう名乗ってきた」
「何か、知恵を持っているってことなのか……ミシン、この者らに問うてみてはどうか?」
「問うって……」
木馬のことか? 境界の〝敵〟のことか、あの、きりんのことも……何をどう問えばいいのか。そもそもこの者達が何か知っているのか。
ケンジャらは身動き一つなく、ただ静かに湯に浸っている。
「まあ、ゆっくりしてけってことですからなあ。ゆっくり話の一つ二つでもするのもよろしかろう」
そう言うミジーソは、着衣を脱ぎにかかっており地下泉でゆっくり、していく心積もりのようであった。
「ちょ……わ、私は入らないからなっ」
イリュネーはばっと立ち上がり、後ろを向く。
「しかしせっかく、身体を休められるところに来たのじゃ。女子であれば二日も風呂に入れぬのもいやではなかろうか。さきの蛙の件もあるし……」
「か、蛙……っ」
イリュネーは離れた岩陰へそそくさと歩いて行き、煙が深いところでちゃぽん、と湯に浸る音が聴こえた。
「あああ~……っいい湯っ。そりゃあ、お風呂に浸かりたくないわけがないわよ。ミシン、何を突っ立ってるの! 覗こうとしているんじゃないでしょうね。あなたも入りなさいよ。そんなとこにいられては、安心できないわ」
「僕は、いい。聖騎士ゆえに、僕は誇りにかけて覗きなどはしない」
「聖騎士聖騎士って……蛙臭い聖騎士なんていやでしょう」
「……」
ミシンは渋々と地下泉に入った。いい湯であった。
「……」
ミジーソはすっかりくつろいでいるし、煙の向こうからは優雅に鼻歌など聴こえてくる。境界に伝わる明るい調子の童謡のようだった。
「……その、聞いてもよろしいでしょうか?」
ミシンは近くに佇むケンジャの頭に問うた。最初に声をかけてくれたのがこの者だったように思う。
「是非、聞かせてくだされ。長らく地上の話は聞いてないでな」




