一周忌 ~帰省の前日~
気分次第の番外編、開始です。
時期的には、『Departure』と『エピローグ』の間の話になります。
俺が、高校卒業後にC県に移り住んで、はや半年が過ぎた。
ドラッグストアでの仕事は、楽しくもあり、つらくもあり。何せ、お客様が休んでいる日が稼ぎ時であるからして。今日まであっという間に時間が過ぎ去った気がする。
俺は『登録販売者』という資格試験の勉強のため、短い夏休みは実家へ帰らなかった。試験日が八月末日なので、ちょうど最後の追い込み時期と重なり、仕事と勉強でいっぱいいっぱいだったのだから仕方がない。
それにしても、学生時代は勉強などかったるくてやる気すらおきないものだったが、社会に出た今、学生という立場がどれだけ恵まれていたのかよくわかる。
結局のところ、人間は死ぬまで学ばねばならないのだ。しかも、社会に出てからの競争は結果がすべてである。そこに甘えなどが存在する余地はない。
まあ、こんなことを妹などに説教しても、『ウザい』の一言で終了しちまうんだろう、とは理解している。別にかまわない、社会に出てから思う存分打ちのめされるがいい。
――――そういや、妹と言えば。
おふくろが言うには、俺が『夏期休暇は実家に帰らない』と伝えたときの妹の落胆ぶりは、かなりのものだったらしい。
それを知った妹がすぐに電話をかけてきたとき、『帰ってきなさい』とか『帰ってくるよね』とか『帰ってきてくださいお願いします』とか、延々と二時間ばかり愚痴られたのはさすがに閉口した。
そんなにしつこく言ってくる理由を逆に問うと、『だってすっごく可愛い下着を上下で揃えたんだもん』と全く脈絡のない回答をしてきやがった。
どうしてそれのために俺が帰らねばならないのか、今度会ったら小一時間くらい問いつめてやりたいものである。
――――あらかじめ言っておくが、妄想などしていないぞ。俺が脱がせるわけじゃあるまいし。
………………
……それはさておき。
登録販売者の資格試験も終わり、秋になり、徐々に日も短くなってきた。さすがに半袖一枚で過ごすこともなくなった時期、俺は実家に帰るため、仕事休みを取ることにした。
オヤジの、一周忌である。
さすがにこれだけは無視するわけにはいかない。しかも堂々と休める。とりあえず三日ほど連休を申請し、俺は帰省準備を進めている最中だ。
「……よし。あとは礼服を朝一番でクリーニングから引き取って、そのまま新幹線で……」
ひとり暮らしを始めてから癖になってしまったひとりごと。ついつい心の声がだだ漏れになってしまう。
端から見たら痛いかもしれない。そう思ったことは言葉に出さずに孤独な苦笑いをしていると、不意にスマホが振動して着信を知らせてきた。
かけてきた相手は――小悪魔。
「明日には顔を合わせるのに、いったいなんの用だ……はい、もしもし」
『あ、お兄ちゃん。今、平気?』
「ああ、帰省準備はだいたい終わったし、大丈夫だ。どうかしたか?」
『大変なんだよ、お兄ちゃん!』
「……どうした、なんかトラブルがあったのか?」
『明日、久しぶりにお兄ちゃんに会えると思うと、ワクワクドキドキして眠れそうにないんだよ!』
「ズコッ」
おっと、心の声が擬音となってだだ漏れだ。まあわかりやすいからそれはかまわないとしても、だ。
――そういやこいつは、昔から遠足前日は眠れないタイプだったな。俺の帰省は遠足レベルかよ。
「なんでそんなにコーフンしてるんだ、おまえは」
『えー、だって明日は、わたしたち兄妹の記念日になるかもしれないし?』
「……どういう意味だ」
『だから、明日は初めて兄妹で結ばれる日、っていう予定!』
「……だからじゃねえ。どういう予定だ」
『わかってるくせにぃ、ムッツリスケベのお兄ちゃんたら。あ、仕事場に売るほどあると思うけど、忘れずに買ってきてね、スキ』
ブツッ。
「おっと、通話が切れちまったな。ま、いっか。さて、寝るかな……」
ブー、ブー、ブー。
ひとりごとで安心したのもつかの間、またもやスマホが振動する。
ブー、ブー、ブー、ブー、ブー、ブー、ブー、ブー、ブー。
すっかりバイブレーターと化したスマホに根負けして、嫌々ながらタップ。
「おかけになったばんごうは、げんざいつかわれておりません」
『ひどーい! 照れ隠しだとしてもいきなり切ることないでしょー!』
「どこをどう前向きにとらえたら照れ隠しと解釈できるのか」
『え? だってこんなかわいい妹が誘ってるんだよ? 妹大好きお兄ちゃんならルパンダイブしてくるでしょ、普通は』
「普通は兄妹でしねえっつーの! おまけに自分でかわいい妹とか言ってんじゃねえ!」
『妹大好きお兄ちゃん、には、ツッコミなしでいいの?』
「それ、全身全霊で否定していいか?」
『泣くよ? ガチ泣きするよ?』
「………………」
妹のテンションの高さに、あきれてものも言えなくなる。高2の女子がルパンダイブとか平然と言ってのけるのも何かがおかしいが、それ以前に兄妹で行為に至るわけがないだろうに、こいつはまったく。
「とにかく、そんな心配は杞憂だ」
『あ、やっぱり否定はしないんだね、お兄ちゃんは妹大好き』
「そっちじゃねえよ!」
『ええぇぇ……でも念のため、買ってきてね』
「だから何を念のためなんだおい」
『備えあれば憂いなし、って言うでしょ?』
以前俺の部屋でヘンなムードになったとき、オヤジに買ってもらったミニ四駆が突然落ちてきたハプニングが、脳裏によみがえる。
「おまえは……そんなにオヤジに怒られたいのか」
『大丈夫だよー。いくらお父さんでも、年頃の娘のことを毎日毎日一部始終見ているわけがな』
ガシャーン!
調子に乗った妹の話を遮るかのように、スマホの向こうから何かが倒れて壊れるような音がした。
「……いま、すごい音がしたけど、地震でもあったか?」
『……ううん。わたしもびっくりして部屋の中を見渡したら……家族四人の写真を入れてた、机の上の写真立てが……突然倒れたみたい』
「だから、地震でもあったのか?」
『…………』
「…………」
お互いに無言になるのも致し方あるまい。部屋の中だよな。地震もないよな。窓を開けていて風で倒れた、なんて季節でもないよな。家族の写真が倒れたんだよな。
――――謎は、すべて、解けた。わかってるよ、オヤジ。
「……そろそろ寝るか。じゃあな、すみれ。そしてオヤジもおやすみ。また明日」
『え、ちょ、ちょっ、どこにお父さんがいるの、えっ、やだ、怖くて眠れなくなりそうなんですけど、なんで、ちょっ』
ブツッ。
これ以上オヤジを怒らせるわけにはいかないと思い、俺は通話を無情にも切断した。なにせ、一周忌だし。
ワクワクドキドキして眠れないのが、怖くて眠れないに変わったくらいなら、妹のことを心配することはあるまい。
「というか、妹よ。おまえ、オヤジがいるとわかったのに、怖い、はないだろ。親子ならいつも見守ってくれていることに感謝しろ」
おっと、通話を切ってからひとりごとを言ってどうする俺。
……まあ、それはおいといて。
『――将吾。いつも、見ているぞ』
卒業式のとき確かに聞いたオヤジの声を、俺は今でも憶えている。だからこそ、オヤジに顔向けできないようなことは、俺にはできない。
なんでだろう、少しだけ、帰るのが怖くなってきた。別に、やましいことなんかないはずなのに。
――――ないはず、なのにな。




